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 「本物」の歴史の授業を創るための考え方やアイデアを紹介します。明日を担う賢い日本人を育てるための歴史教育ブログです。

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昭和史論争(13)  論争を振り返る

「昭和史論争」を一部ではあるが振り返ってみた。ここでこの論争の争点がどこにあったのかを明らかにし、この論争の意義についてまとめてみたい。
冒頭に紹介したウィキペディアはこの論争をどうまとめているのかもう一度見てみよう。ウィキペディアには以下の一説がある。
「昭和史論争は、第二次世界大戦後の日本における歴史認識の問題をめぐっての、また、歴史教育や歴史教科書の問題をめぐる論争の出発点としての意味を持つとも言える」
つまり、歴史認識、歴史教育、歴史教科書をめぐる<論争の出発点>であるという位置づけだ。
では論争の中身はどうなのか。何が論点なのか。
(1)唯物史観
大門正克は『昭和史論争を問う-歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社 2006年)の「はしがき」で次のように述べている。
「論争のテーマを拾ってみれば、「人間」をどう描くか、現代史の課題、歴史研究の方法、歴史と文学の異同といったことがあった。要するにここで議論されたことは、歴史認識と歴史叙述の方法にかかわる事柄だったのであり、歴史とは何かという根源的問いを含んでいたところに、この論争が広範な人びとをまきこんだ理由があった」(pⅱ)
論争が「歴史とは何かという根源的な問いを含んでいた」という見方に異論はない。しかし、この表現に私はややひっかかりを感じる。                   
「人間」をどう描くかも、現代史の課題も、歴史研究の方法も、歴史と文学の異同もすべてはいわばオモテ側のテーマであって、じつはウラ側に隠れたテーマがあるように感じる。それをはっきりと指摘しているのは論争の仕掛人である亀井とそれに対してある意味で正直に答えた遠山の二人である。
亀井ははっきりと「唯物史観」を問題視している。「唯物史観」による歴史の見方は公式を当てはめてわかった気になる底の浅さがあることを批判している。対して遠山は、亀井との正面からの論争は避けながらしかしこれもはっきりと「唯物史観」による「階級」的なものの見方が重要だと言っている。
日本の歴史教育を唯物史観による見方で進めるのか、それともこれに反対するのか、じつはこれこそが本当のテーマである。ところがこのウラ側のテーマが「人間」の描き方や現代史の課題、歴史研究の方法、歴史と文学の異同というオモテ側のテーマに置き換わると、いかにも歴史学上の学問的論争のように見えるのである。
先に指摘したように『昭和史』が岩波新書という廉価な入門書、しかも学生が手に取るような本として発刊されたことが、この論争が歴史教育のフィールドで始まった理由だと考えられる。歴史教育の場こそこの論争の「主戦場」だったのである。

(2)歴史教育への言及
亀井は唯物史観との対決を選んだ。この延長上に自分の歴史観を披瀝し、歴史教育へ具体的な提言を行った。あまり触れられることはないが以下の亀井の言葉は重要である。
「史観と史観の対立というかたちをとりやすいが、さきに述べたように、どちらにも人間はいないのだから、まず人間を復活させた方が勝だと私は思っている」
ここでいう史観とは皇国史観と唯物史観のことである。亀井はどちらも人間がいないという。亀井がいう人間とは、いわば史観よって善悪の役どころが決められた受動的なものではなく、自分で考え自分で決断し行動する能動的な主役としての人間である。亀井の言う「人間がいない」とは単に具体的な人間の叙述がない、ということだけではない。そもそも歴史の主役たる自己決定する人物がいないという意味である。
亀井は、唯物史観への強烈なカウンターパンチとして「人間」をキーワードにした歴史観を呈示した。そしてこのキーワードから歴史とは何か、歴史の見方・考え方、歴史叙述のあり方などを具体的に展開している。だが、亀井の功績はたんに唯物史観に待ったをかけようとしただけではない。その独自の歴史観だけでなく独自の歴史教育論も提起したことに最大の功績がある。
その功績の中身は大きく二つある。
ひとつめは歴史教育の目的を明示したことである。二つめはその方法原理を提案したことである。
亀井は歴史教育の目的を「歴史への欲求」として2点にまとめている。一つは「自己の生の源泉を民族性や時代の流れのうちに確認したいという欲求」であり、もう一つは「史上において典型的人物と思われる人と邂逅し、新しい倫理的脊骨を形成する上での根拠を発見しようという欲求」である。
前者を<集団的アイデンティティの確認>と名付け、後者を<個人の生き方の発見>と名付けよう。同じ趣旨で論を展開しているのは松田道雄である。松田は「民族的誇り」と「魅力ある人間像」という言葉で亀井と同じ意見を述べている。
もう一つの、亀井が提案する歴史教育の方法原理についてはとくに「人物邂逅」と「追体験」の2つが重要である。亀井は言う。
「歴史とは人間の歴史だ。あたりまえの話である。様々な人生の厖大な累積であって、歴史に入りこむとは、人間性の微妙さにふれることである」
つまり、「人物邂逅」は歴史そのものだという見解である。さらに次のように述べている。
「歴史を知らずに方法論のみに熱心な人もあるが、いきなり手放しで、歴史そのものの中に飛び込んではどうか。これぞと見当をつけた人物でいい。そこで邂逅して、翻弄の関係に入るように仕むけるべきではなかろうか」
邂逅は「出会い」であり、翻弄は「思いのままに扱う」ことである。つまり、歴史上の人物に出会い、その人物を思いのままに扱うのだと言う。比喩的表現のために直截に意味を理解するのは難しい。が、ここに「追体験」を加えてみるとその意味が見えてくる。。
「あらゆる時代の人間は、善悪是非はあるが、その時代を彼なりに精一杯生きそして死ぬ。その運命を直視せよと言いたい。もし自分がその時代その環境に生きたなら、自分はどうであったかという「追体験」の上に立って判断すべきではないか。大へんむずかしいが、この意味での復原力の強弱が、歴史家の真贋を決定する一条件ではなかろうか」
「思いのままに扱う」とは現代の我々が過去のその人物に可能な限り近づき、その人物の思考回路をシミュレーションすることである。
これについては、篠原一が適した「政治過程」における政策決定時の個人の役割の問題が亀井の論を補っている。
しかし、歴史学者を中心にした『昭和史』擁護派はメインとなる亀井の歴史教育論についてはほとんど触れていない。
昭和史論争とは何か。                              
それは、唯物史観という名の階級闘争史観を日本の子どもに教えたいという派とこれに対して直観的に危険を感じた派の激突だと言える。その意味での<論争の出発点>なのである。そして、論争の副産物として正統派の歴史教育の原理が戦後の日本に生き残ることができたのだと言えるだろう。
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2015.01.12(Mon) | 昭和史論争をたどる | cm(0) |

昭和史論争をたどる(12) 遠山茂樹編その2(p292~305)

「歴史叙述と歴史意識」(『社会科教育体系3 歴史教育の課題』三一書房、1963年)

 亀井にその歴史家としての文章力を批判された遠山の反論である。
 自分の文章表現力を批判されたのだから、逆に亀井の歴史著述の弱点を指摘すれば面白い論争になると思うが、彼はそれはしない。
 代わりに小学校6年生の教科書を持ち出し、教科書記述の無味乾燥さの問題点を指摘する。遠山の指摘はただ一つ、「児童の興味をひき理解を容易にする歴史記述は、何よりも具体的記述である必要がある」という点である。
 この指摘には賛成である。
 続いて遠山は「通史的記述」と「伝記的歴史記述」とを比較し、「科学と文学のけじめ」をつけろと言う。とりあえずここまではいいとしよう。ところがこの後、突然論旨が変わってしまう。
「人間を階級として把握することは、歴史認識の一つの方法である。方法とは、分析のための道具としての仮説という意味である」
 この人は突然意味不明なフレーズが始まるのだが、ここでは<その1>の時と同様に再び「階級」が出てきたことに注目しよう。                                                                          さらに遠山は「階級という尺度を使って歴史を分析し認識する以外に、歴史を科学的に把握する方法がない」のであり「小中学校の歴史教育にあっても、通史学習の前段階で階級・社会構成の理解が育てられ、また通史学習を通してその理解が深められる必要がある」とまで述べる。しかも「中学校段階では、社会の変革における階級対立・階級闘争の意義を学ぶまでに進むのだから、階級の理解は相当明確になっていなければならない」というのだからこれはもう中国や北朝鮮の歴史教育について語っているとしか思えない。                                                   遠山の論は明確である。教科書には日本の小中学生に階級闘争を教えるための史実を具体的に記述せよ、ということである。これが「科学的」という言葉の正体がである。                                              『昭和史』の著者たちの「本音」を暴いたところに亀井が始めた「昭和史論争」の真の意味がある。

2015.01.12(Mon) | 昭和史論争をたどる | cm(0) |

昭和史論争をたどる(11)  荒井信一編(p271~291)

「危機意識と現代史―「昭和史」論争をめぐって」(山田宗睦他『現代の発見6 戦後精神』春秋社、1960年)

 荒井は他の批判論者立ちに比べ、そのスタンスは第三者的だが、『昭和史』の著者・マルクス主義歴史家の弱点を取り上げ、むしろ亀井の論に対して好意的である。
 荒井は亀井の歴史観を「美学的歴史観」と呼ぶ。ではこの「美学的歴史観」のどこを評価しているのか。
 ①戦後歴史学の客観主義的な歪みをつき、マルクス主義歴史学・現代史家を含めた歴史  家の思想を批判した。
 ②民族の危機・人間の危機などの危機意識を強調し、それと歴史学の主体性との連関に  こだわった。
 ③従来の現代史研究とちがい天皇制を民衆の意識や心理との連関においてとらえた。
 ④中国関係の把握を国民の意識や心理に即して展開した。
 ⑤現代史研究が現実の政治と安易に結びつくと研究は歪められやすいことを暴いた。
 以上5点にまとめられるが、亀井の批判点を過不足無く要約している点で評価できる。
 しかし、④についてここでこだわっておくべき問題がある。荒井は中国関係の問題につて述べている箇所で次のように書いている。
「このような中国観を反省させ、「戦後私の眼をひらいてくれたのは竹内好の『現代中国論』であった」と告白しているが、その『現代中国論』は1949年に刊行されているから、亀井の中国観の転換は、戦後といっても、1949年以降のことであろうと思われる。ここで重要なことは、『現代中国論』が、平和運動の主体的契機として、日本人に中国にたいする戦争責任の自覚をきびしく促したものであったことである。この竹内好の提言に触発された、亀井のあたらしい「対中国関係」の認識は、したがって、現代日本および日本人のあり方そのものにたいする反省にまで発展し、さらにその基調として、中国にたいする民族的な戦争責任論をふくんでいる」
 亀井の論には本当に戦争責任論が含まれているのだろうか。「現代史家への疑問」の該当箇所をまるごと引用する。
「なぜ満州や中国への侵略が行われたか。「支配階級」だけが悪いのなら問題は簡単だ。それと併せて、日清戦争の頃から国民のあいだに徐々に深められてきた東洋人蔑視の感情がある。私なども幼少の頃は、中国人を「チャンコロ」と呼んで劣等民族のように思いこんでいたが、こうして培われてきた中国への無知無関心という根ぶかい心理的地盤がなかったら、中国侵略はあのように易々と陰謀的には行われなかったであろう。それは西洋への劣等感とも結びついた日本「近代化」の悲劇なのだが、こんな当然のことが、著者たちには実感されないらしい。あれもこれもすべて「支配階級」の罪に帰して、それだけですませるものなのか」
 亀井の論旨は次のようなものである。                                                     自身の幼少期の経験をもとに「東洋人蔑視の感情」が国民があった。その心理的地盤が中国への「侵略」に結びついた面もある。ゆえに、「支配階級」のみに罪を帰するのは間違っている。
 亀井は「戦争責任」などという言葉は使っていない。荒井は「戦争責任論をふくんでいる」と言うが、それは意図的な誤読である。ここの論旨は唯物史観による善悪二元論で単純に歴史を理解したつもりになるのは間違っている、と言いたいだけなのである。「中国」はその一例にすぎないし、亀井の論の中には国民の「戦争責任」など一片も入っていない。「罪」という日常語を使って「支配階級」にのみ悪役を着せようとする唯物史観の杜撰さを指摘しているのである。亀井の中にはかりに「反省」はあっても「責任」はない。  
 蛇足だが『大辞林 第3版』で言葉の意味を調べてみよう。

はんせい【反省】
①振り返って考えること。過去の自分の言動やありかたに間違いがなかったかどうかよく考えること。「自らの行為を-する」「 -の色が見えない」「 -を促す」
②?哲・心? 〔reflexion〕 注意・感覚・思考など,意識の作用を自分の内面,自己自身に向けること。何らかの目的や基準に照らしつつ行われる判断であり,普遍原理の窮極的把握そのものとは区別されることが多い。ヘーゲルがカント・フィヒテなどの哲学を,現実の具体性にいまだ媒介されていない抽象的な内省,理性に至らぬ悟性的思惟による反省哲学と呼んだのはその意味による。

せきにん【責任】
① 自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。「-を果たす」「保護者としての-」
②自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。「-をとって辞職する」「だれの-でもない」「-の所在」「-転嫁」
③?法? 法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では,違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。

 2つの言葉の違いは読めば一目瞭然である。「反省」は「考えること」「内面・自己自身に向けること」である。ようするに心の中の問題である。「責任」は「任務」「義務」「償い」「制裁」である。つまり実効的な行為が伴う行動の問題である。次元が違うのである。

2015.01.12(Mon) | 昭和史論争をたどる | cm(0) |

昭和史論争をたどる(10)  松沢弘陽編(p263~270)

2015.01.10(Sat) | 昭和史論争をたどる | cm(0) |

昭和史論争をたどる(9)  篠原一編 (p243~259)

 「現代史研究の深さと重さ-一欧州現代史研究者の立場から」(『世界』第132号、1956年12月)

 篠原の論のキーワードは「政治過程」である。篠原自身の説明によれば「政治過程」とは次のようなものである。     「歴史の動きは一握りの政治家の恣意的決定によって起こるものでもなければ、また下部構造の単なる反映でもない。社会の深みから政治社会の頂点に向って働きかける諸勢力の葛藤の結果として、ある一定の「政策決定」が行われ、この政策はまた社会の深みにまで浸透し、その反応として新たな「政策決定」への動きが起こるという、立体的な螺旋的な循環の過程として現実の政治及び歴史は描かれる」
 説明されれば何も難しい概念ではなく、ごく常識的な政治の見方である。要は「政策決定」までのプロセスを具体的にたどるのが「政治過程」の意味だろう。         
 篠原は続けて、こうした動きは「大衆の政治的比重が増大した現代政治に多かれ少なかれ共通する現象」であり「このような観点は日本のマルクス主義者の現代史研究に欠けている重要なポイント」だと言う。
  つまり、篠原の批判は『昭和史』の著者たちは歴史の事象を抽象的な共産党の公式にすぐに当てはめたがり、具体的な事実を研究していないということなのである。
  また、篠原はこの「政治過程」を重要なアイテムとして歴史を見ることで歴史における個人の役割もよくわかると言う。
「政策決定→政策の施行→社会層の反応→政治過程→政策決定とくりかえされる政治の循環過程において、その中心となり、歴史の動きを直接的に決定する要因が「政策決定」にあることはいうまでもない。そして、この「政策決定」に対する直接的な影響力の強弱によって政治家の「権力」の多寡が決定されるが、このような政治家のもつ力、歴史における個人の役割は大衆の台頭した現代においても決して少なくはない」
 篠原によれば歴史における個人の役割は「政策決定」時の「影響力の強弱」ということになる。そして、篠原は、亀井の論にふれ、                    
「亀井氏は、現代の歴史家には「人間に対する実証力」がないと痛烈に批判されているが、やはりわれわれはこの批判を率直に受けとって、歴史における人間を機構の内に解消しないように努めなければならないであろう」
とまとめている。
 篠原の『昭和史』批判は亀井の「人間が描けていない」という批判をより具体的に指摘している点で重要である。

2015.01.08(Thu) | 昭和史論争をたどる | cm(0) |