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 「本物」の歴史の授業を創るための考え方やアイデアを紹介します。明日を担う賢い日本人を育てるための歴史教育ブログです。

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擬人的認識論と人物学習の意味(5)

(6)浅永実践の改善
 では、これまでの考察をふまえて浅永実践の授業をどう改善すればよいのか考えたい。
 この授業は源頼朝という武士のリーダーとしての人物像をつかませるという意味で成功している。しかし、以下の2つの点で改善が必要と考える。

<1>第一発問=メインの課題を変更する
<2>資料の「小出し方式」をやめて「オール開示方式」にする

<1>について
 浅永氏の設定した課題は「頼朝が義経を殺したのはなぜか?」である。この発問は学齢期の児童にはあまりに重過ぎる。
 ここで重要なのは武士のリーダーたる頼朝が兄・頼朝を超えて「罰」を下すか下さないか、という点にある。殺すか・殺さないかは「罰」の内容であり、「罰」の軽重の問題である。
 そこで発問を「頼朝は義経に罰を与えるべきだろうか」と変更することを提案したい。この発問はそのまま投げかけてもよいし、以下のような選択肢を与えてもよい。
A:これまでの功績を考えて罰は与えない
B:軽い罰として家来全員の前で謝罪させる
C:処刑する
<2>について
 これは①の発問変更と深く関わるが、話し合いに入る前に児童に「家来」として議論することを予告する。その上でこれまでの義経の活躍の確認し、同時に人物年表も配布して義経の「わがまま」も確認する。つまり、小出しにして徐々に本題に近づける展開をやめて、話し合いのスタート時点で資料すべてを「開示」するのである。児童はすべての事実を知った立場で議論に参加する。「擬己化」で立ち止まらせずに「ペルソナ的擬人化」へとすぐに入っていける環境を作ってやるのである。なお、この形の討論設定は斎藤武夫氏のすぐれた実践「聖徳太子の授業 仏様か神様か」で行われている。(6)
 このような環境を設定した場合、上記で提案した選択肢は以下のように変更されるかもしれない。
A:これまでの功績を考えて罰は与える必要なはい。
B:けじめをつける意味で家来全員の前で謝罪させるべきだ。
C:危険人物として処刑すべきだ。

 浅永が「人物への共感と追求意識」として「人間性が強調されたために感情論に傾いた」と授業を自己分析していることはすでに紹介したが、藤岡信勝は「共感論」として4つの点を指摘している。(7)                    
①「共感」とはアダム・スミスのいう他者の立場に身をおいて考える想像力にある。ゆえに、共感者の知的能力と過去経験に支えられている。単なる感性的認識でもないし、相手と同じ感情を感じることでもない。
②「共感」には発見的意義がある。外側からながめていただけではわかりにくかったいろいろな側面が見えてくることがある。
③「共感」が起こりやすいのは、その人物をよく知っているか、その人物についての情報をたくさんもっているか、その人物と学習者の間に共通項があるか、するときである。
④「共感」を生み出すような他者についての情報は、じつは他者の内面についての情報ではなく、逆にその人物が置かれた状況についてのくわしい情報である。
 浅永実践で言えば、児童が源頼朝や家来の立場に身を置いて考えたり発言したりすることが「共感」である。そこで人物学習の授業づくりにおいては③と④の指摘に注目する必要がある。③はその人物の情報量はたくさんあればあるほど「共感」が起こりやすいと言う指摘であり、④はその情報はじつは内面情報ではなく「状況」という外郭情報こそ重要である、という指摘である。つまり、頼朝の内面情報ではなくその頼朝の置かれた状況-ここで言えば義経の活躍や掟破りの行動、それに対する家来の気持ちについての情報-こそが必要なのである。

◆人物中心の意味
 浅永は人物学習についてこう述べている。
「私は、子どもたちが自らの意欲を持って追求していったこの時のことが忘れられない。しかし、人物の歴史だけでは片手落ちである。人物の生きた時代の様子、事象をつかませたい。つまり、人物の働きを中心に学習することを通してその人物の生きた時代や様々の事象をつかませる必要がある。」(p38・太字筆者)
 浅永氏は人物学習について次のような学習イメージを持っている。それは、人物そのものの学習が先発であり中心であり、これを進めていくと付随的にその時代やその事象が理解されていく、という考え方である。これは浅永だけでなく多くの授業者が持っている一般的なイメージではないかと思われる。
 しかし、ここまで見てきたように子どもの思考を視点論や認識論で分析してみると、むしろ、逆のイメージが必要である。
 その人物が生きた時代や様々な事象をつかませた上で人物の働きを中心に学習する必要がある、というイメージである。
 歴史人物学習における「感情没入問題」とは、学習者自身の狭い思考範囲から抜け出せないまま歴史上の問題を無理に思考させようとして生じるものある。それは、学習者が必要な視点や知識を持てないことで感情的な思考の中を這い回ってしまい、歴史上の重要ポイントに気づけないという問題点を含んでいる。
 これを解消するためにはさまざまな視点で人物を見せる授業展開にすること、人物を取り巻く外郭的な情報をしっかり教材化して与えることが必要であると言えよう。    
 歴史人物学習は歴史の流れをつかませたり、時代イメージを構築するための単純な手段ではない。その人物が生きた時代の知識を得たり、イメージを構築した上で、人物の行動を「意思決定」する思考実験を行い、その経験をもとにその時代の本質を理解させるものである。ぼんやりした時代イメージが具体的な人物の行動を通して明確な時代観へと昇華していくのだと言える。

<引用文献>
(1)大門正克編著『昭和史論争を問う-歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社 2006年 )はしがきⅱ
(2)木村博一「人物学習・どこでどんな論議があったのか」『社会科教育』(1989年7月号 NO326)
(3)藤岡信勝編『ストップモーション方式による1時間の授業技術 小学社会6年』(日本書籍 1988年)
(4)宮崎清孝・上野直樹『認知科学選書1 視点』(東京大学出版会 1988年)
(5)佐伯胖『イメージ化による知識と学習』(東洋館出版 昭和59年)
(6)斎藤武夫『学校でまなびたい歴史』(産経新聞社 2003年)
(7)藤岡信勝「共感から分析へ」『社会認識教育論』(日本書籍 1991年)
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2015.01.19(Mon) | 擬人的認識論と人物学習の意味 | cm(0) |

擬人的認識論と人物学習の意味(4)

(4)二つの擬人的認識論
 佐伯氏は「他人の立場に立つ」とか「ひとの身になって考える」というのは「擬己化」と「ペルソナ的擬人化」の両方の意味をふくんでいて、この両方の働きが「認識の基本形式」であるという。
 では、「擬己化」「ペルソナ的擬人化」とは何だろうか?
 「擬己化」とは自分が相手だったら?という頭の中での立場変更だが、相手の立場に立っている自分はもとの自分と同一であるという暗黙の前提に立っている。ゆえに、相手の立場を理解するとはいっても、その「理解する」自己自身がもともと貧弱ならば、身勝手な解釈にとどまってしまう。この貧弱さを修正し、認識を広げるしくみは擬己化には存在しない。  「擬己化」の問題点は、己の閉鎖性にあると言う。(p106)
 浅永氏が児童の発言を聞いて「人間性が強調されたために感情論に傾いた」「一人ひとりが感じた気持ちで話をしているので、まとめられない授業であった」と感じているのはここに理由があると思われる。
 これに対して「ペルソナ的擬人化」とは、「己の発展と、複数の多様な己への擬己化活動」ができるようにすることである。よりわかりやすい言葉で言えば「自分でない他者のヒト的な構造のシュミレーション」である。(p108~110)
 なお、「ヒト的な構造」とは「応目的的」で「無限例証的」なシステムのことを指す。これは「モノマネ」を考えるとわかりやすい。「モノマネ」は自分でない他者のヒト的な構造のシュミレーションである。マネられた人が行っていないことすら無限例証的に生成することができる。
 佐伯氏はわたしたちは外界に対し次のようにて認識を深めていると言う。  
 ①はじめは「擬己化」を行う。    
 ②同時並行的に己にあらざる「ヒト的な構造」の存在の可能性をさがす。   
 ③そして、抽出したヒト的なものたちにあらためて「擬己化」のしなおしをする。
 ④そのようにして分身化した己を、相互に交叉吟味的につきあわせ、全体としての整合的体系を構成し直す。
 ⑤より高次のヒト的なものを生み出そうとする。
 認識活動はこの無限に発展していく成長過程であると佐伯氏は言う。(p112)
 非常に複雑なプロセスだが、ここではごく簡単に児童は擬己化とペルソナ的擬人化を交互に繰り返しながら認識を深めていると考えることにする。     

(5)擬人的認識論と児童の発言
 再び浅永実践の検討に戻ろう。   
 「頼朝が義経を殺したのはなぜか。自分の考えをノートに書きなさい」と発問した後に発言している児童のほとんどは頼朝に「擬己化」している状態にあったと言えるだろう。
 なぜなら<ねたみ説>は、合戦で大活躍するヒーロー義経対戦わない頼朝の図式で見ていると予想され、児童はこれまでの自分の生活経験もとにして自分と同一の前提で思考していると考えられるからである。
 しかし、そこへ「義経の人物年表」が配られ、義経は「許しなく」位をもらったり、結婚して勝手な行動をしている、という「知識」が入ってくるとそれまでの「頼朝構造」に変化が起きる。そしてやや変化しはじめた「頼朝構造」により、これまでとは違う新たなシュミレーションが起き始める。
 そして、最後に「位をもらったり、平氏の娘と結婚した義経を、頼朝のけらいたちはどう思っただろうか?」という発問により家来視点で頼朝の行動を見た児童は「頼朝構造」を整合的に構成し直す。 そして最終的には、お兄さん・頼朝から武士のリーダー・頼朝へというルートをたどり、高次の人物認識へと高まっていったと言えるのである。

2015.01.19(Mon) | 擬人的認識論と人物学習の意味 | cm(0) |

擬人的認識論と人物学習の意味(3)

(2)視点論で見た授業構造     
 この授業展開を「視点」というアイテムで見てみよう。児童は授業前半は客観視点で義経の活躍を見ている。その後、授業後半は頼朝視点で「弟を殺す」意志決定を下している。ただし、後半は最後に家来視点でも頼朝を見ているのである。
 客観視点→頼朝視点→家来視点と次々と変わっている。
 児童は最初に客観的に義経との比較で頼朝を見ている。次に頼朝自身になってみて頼朝の目で義経や当時の情勢を見ている。そして最後に頼朝の家来たちの立場に立って頼朝の決断を評価している。学習の中心人物は頼朝から変化はないが頼朝を見る視点は変化しているのである。                 
 中心人物を頼朝に絞ったはずなのに視点が変化することに問題はないのだろうか。
 宮崎清孝・上野直樹は、人間はミクロの眼球運動レベルでは固定することなく常に微細に振動しているという。運動を止めると静止網膜像が破壊されてしまうからである。同じように、マクロレベルでも人間は視点を動かし、変化を見ることで対象をどんなものか特定しているという。見ることは基本的に視点を動かしつつ見ることなのである。これを宮崎・上野は「知覚の流動モデル」と呼んでいる。(4)              
 視点論から見れば、源頼朝という人物のことをより深く知るためには浅永氏の授業のようにいろいろな視点で頼朝を見ることが必要であるといえる。

(3)佐伯胖氏の擬人的認識論
 では、「いろいろな視点で見ている」ときの「いろいろ」とはどういうことなのか?それが歴史上の人物の理解にどう役立つのか?を考えてみたい。
 佐伯胖は、認識は「意思」の投入によって始まるとして「擬人的認識論」という概念を提案している。(5)
 「たとえば、「わたし」は「田中角栄」ではないし、「田中角栄」の中に自分に似たところをみるというわけではないが、しかし、わたしは「田中角栄の眼」で世界をながめ、「田中角栄」になったつもりで、彼の「活動」を自分なりにたどってみることができる。そして、そのとき、わたしは「角栄という人物」並びに、彼の「活動」を理解することができる」(p17)
 そしてこのような理解の過程を「小びとの派遣」という比喩を用いて次のように説明している。
「「わたし」は、ものごとの色々な側面を「理解する」使命を色々な小びとに与えて放つ。小びとたちは、いろいろな使命をおびて、世に出て、世界をかけめぐり、「活動」に従事して、「わたし」のところに報告に帰って来てくれる。その報告によって「わたし」は新たな別の「小びと」を派遣するかもしれない。」(p17)
 浅永実践で言えば、「小びと」は義経の大活躍を義経に近づいたり離れたりして見た後に、頼朝のところに飛んでいってちっとも戦わないその姿にがっかりしたことを報告する。次に頼朝自身の心の中に飛び込む。そして、とまどいながらも彼の心情を「わたし」に報告する。最後は頼朝の家来たちに入り込んでそこから頼朝の行動を冷静な目で見て最終報告となるわけである。
 佐伯氏は「認識」とはただ単に情報を受け入れることではなく、「適切な小びとを生み出す創造的活動であり、また小びとを派遣する積極的はたらきかけである」と言う。(p31)            
 さらに「外界にあるもの(実在)は、すべて統合的に認識することができる。しかし、その場合の統合は、自己の側から発する感覚エピソードにかぎられてしまう。つまり、吟味の視点(派遣される小びと)は、自己の経験を越えることはできない。したがって、もし生活体が実在意識を高めたいならば、どうしても、「視点」そのものの拡大をめざさないわけにはいかない。」としている。(p129)
 つまり、歴史人物学習における教師の役割は、児童自身の感覚や経験を越えて歴史上の人物を「実在化」させるために、適切な「小びと」を適切なタイミングで紹介したり、その「小びと」たちを積極的に派遣・報告させる環境を整えたりすることと言えるだろう。
 浅永氏の授業で言えば「頼朝が義経を殺したのはなぜか」という課題、源平合戦のプリントやお話、義経の人物年表などの教材、「頼朝の家来たちはどう思っただろう」などの発問等々にあたる。
 佐伯氏の言葉を再び引用すれば、歴史上の人物の「実在は視点を動かすことによってはじめて認識される」のである。(p157)

2015.01.18(Sun) | 擬人的認識論と人物学習の意味 | cm(0) |

擬人的認識論と人物学習の意味(2)

◆感情没入問題と視点
(1)発問と子どもの発言内容
 この授業における学習場面②での子どもの発言を見てみよう。
 先に紹介した学習場面②はさらに3つのパートに分けられる。
 ②-1:発問をして自分の意見をノートに書かせる
 ②-2:新しく年表資料を提示する
 ②-3:第二の発問をする
 以下、それぞれの学習場面について子どもの発言内容の変化を見ていきたい。
◇②-1
 教師は先の課題を板書した後に以下の発問をする。            
 「頼朝が義経を殺したのはなぜか。自分の考えをノートに書きなさい」
 この発問によって子どもから出された意見をカテゴリー分けして紹介する。
<ねたみ説>
「源氏の頭は頼朝はえらいのだけれど、自分より人気が出ては困るから殺したんだと思う」
「自分より活躍した義経をねたんだから殺した」
「人々に弟の方がえらいと思われたくないのだと思う」
「えらい人からほうびをもらったからだと思う」
「えらい人に位をもらったけれどそれが頼朝は気にいらなかった」
 学習場面①で義経の活躍をさんざん見てきているのでこうした意見が出てくるのは当然といえる。さらにこの<ねたみ説>の発展系として次の意見がある。
「頼朝はこれから始まる政治のことでいろいろと口出しされるのがいやだったんだと思う」
「自分がいつか殺されると思っていたんだと思う」
<命令説>
「誰かに殺せと命令された」
 平家滅亡に奔走した弟・義経を殺す理由が見あたらず、この冷酷な意志決定を他人に委ねた意見であると思われる。
<裏切り説>
「義経が頼朝の命令を聞かなくなったから」
「何かきまりみたいなものがあって、それを義経が破ったから」
 これらの意見は学習場面①から推論することは可能かもしれないが、むしろ歴史の好きな子が参考書等から得ている知識が元になっていると思われる。これは浅永氏も同様の指摘をしている。
◇②-2
 次に授業者は資料を配付する。「源義経の人物年表」である。頼朝との出会いから衣川での死まで、である。
 その中に以下の重要な二つの事柄が入れられている。
・1184(元暦1)年 義経、頼朝の許しなく、検非違使の位につく。
・1185(文治1)年 義経、頼朝の許しをえず、平時忠の娘と結婚した。
  「許しなく」「許しをえず」の言葉を入れているところがポイントである。これは先の<裏切り説>を補強することになっている。そこで、
「頼朝は源氏の大将だから命令は絶対聞かなくてはならない人だと思う」
というリーダーたる頼朝の立場に立った意見が出てくる。
 しかし、それにしても「殺すほどのことなのか」という意見が根強く残る。
◇②-3
 第二の発問である。これがこの話し合いを大きく変化させるキーになる。
「位をもらったり、平氏の娘と結婚した義経を、頼朝のけらいたちはどう思っただろうか?」
 ここでは家来の立場に立った意見が出てくる。子どもたちはここで頼朝の立場から一旦離れるのである。
「うらやましい」「くやしい」という意見のほかに、
「頼朝に対して信頼しなくなると思う。だって、自分の弟だったら何をしても許されるなら、他のけらいたちはねたんでばっかりになる」
「源氏の大将の命令は絶対なのに弟はいいんだというのはよくない」
という核心を突いた意見が出てくる。
 さらに、組織のリーダーがもっとも恐れるべき問題にも子どもは気づく。
「誰かが裏切って反乱を起こしちゃうよ。そしたら一番困るのは頼朝だよ」
 最後は「罰が必要だ」という意見が出て、子どもたちは心情的には拒否感が強いが不本意ながらも弟を「殺す」とう頼朝の意志決定を論理的には受け入れることになる。
 授業者はこの一連の話し合い活動によって、頼朝の「弟を殺す」というショッキングな意志決定は、義経への私的な「ねたみ」などではなく武士政権という公のリーダーとしての冷酷かつ苦悩の選択なのだということを教えることに成功している。しかし、授業者は「人間性が強調されたために感情論に傾いた」とも言う。これは、②-1での話し合いで児童から<ねたみ説>がかなり多く出ていたことと、最後まで「弟を殺す」ということへの児童の「抵抗感」が大きかったことが授業者の自己評価に関係していると推測される。

2015.01.17(Sat) | 擬人的認識論と人物学習の意味 | cm(0) |

擬人的認識論と人物学習の意味(1)

◆人物学習と歴史事象をめぐって
 戦後、わが国で歴史人物学習が問題の俎上に上がるようになったのは昭和31年のいわゆる「昭和史論争」の影響が大きい。これは『昭和史』(岩波新書)の著者たちへ亀井勝一郎が批判を加えたことに始まる。                   「昭和史論争のキーワードの一つは「人間」であり、論争当事者の一人であった亀井勝一郎は「この歴史には人間がいない」「人間不在の歴史」であると『昭和史』を批判した(「現代史家への疑問」『文藝春秋』第34巻3号、1956年3月)」(1) この論争は歴史学者をはじめ多くの思想家や知識人を巻き込んで大きな論争へと発展したが、木村博一によれば「昭和史論争」は歴史教育にも影響を及ぼし、人物学習を積極的に進めようとする山口康助とそれに対する批判という形で展開されたという。木村の整理のよれば、代表的な人物に迫ることがその時代の理解につながるという山口の論に対して、批判者たちの論は人物が中心になれば時代の特色や構造などの時代背景が見失われるというものだった。(2)
 しかし、ここで一つの疑問が頭をもたげる。                                                 山口への批判者が言うように人物と歴史事象の関係は簡単に途切れてしまうような弱いつながりしかないのだろうか。 また、仮にそうだとしても人物と歴史事象の関係をどのように結びつければ正しい歴史理解につながる授業を構想することが出来るだろうか。
 以下、一つの授業例を精査することで歴史人物学習の授業を展開する際の原理・原則を導き出してみたい。

◆「武士政権の誕生-源頼朝」の授業
 浅永剛司は1988年に「武士政権の誕生-源頼朝」という小学校6年生授業実践を報告している。(3)           この実践報告に人物中心学習の重要な論点が明示されている。まずはこの実践の概要を紹介したい。
 授業は二つの学習場面で構成されたシンプルでわかりやすいものである。
<①「源平の合戦」のようすを地図とプリントでたどる>
 なお、ここでは頼朝が富士川の戦いの後にすぐ鎌倉へ戻るのに対して、一ノ谷の合戦 以降は義経の大活躍で平氏滅亡まで進むことが比較して強調される仕組みになっている。
<②頼朝が義経を殺した理由を考える>
 「頼朝が義経を殺したのはなぜか?」が課題であり、これについて話し合うのがこの授業のメインの学習である。なお、途中で「源義経の人物年表」が重要な資料として配付される。なお、この資料配付後に「位をもらったり、平氏の娘と結婚した義経を、頼朝のけらいたちはどう思っただろうか?」という発問がなされる。この発問が武士政権を打ち立てようと苦悩するリーダー頼朝への共感を誘う展開となっている。

◆実践者自身の振り返り
 浅永は報告の中に「人物への共感と追求意識」という章を立てて以下のように実践を振り返っている。
「頼朝という1人の人物を中心に単元を構成して、人物の生き様を追いかけていくということは、まるで連続ドラマのようであった。」(p48)
「頼朝の生き様そのものが武士の中心の時代の象徴である。そして何よりも子どもたちの追求意欲が単元の流れを構成していく。」(p49)
 浅永は時代のイメージを体現した頼朝という1人の人物に絞り込んで学習を構成したことで成果を上げることができたと述べている。
 しかし、同時に次のような「問題点」も指摘している。
「一つは、頼朝が義経を殺したということを子どもたちに追求させたが、人間性が強調されたために感情論に傾いたことである。子どもの発言に見られる、「いやだった」「ねたんだ」「気にいらなかった」などがそうである。つまり、何かの資料を根拠にして発言するような討論になりにくいのである。一人ひとりが感じた気持ちで話をしているので、まとめられない授業であった。」(p49)
 この指摘を以下「感情没入問題」と呼び、以下浅永実践を精査することでこの問題を考えたい。

2015.01.16(Fri) | 擬人的認識論と人物学習の意味 | cm(0) |