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 「本物」の歴史の授業を創るための考え方やアイデアを紹介します。明日を担う賢い日本人を育てるための歴史教育ブログです。

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歴史用語と人物学習(5)

◆「精緻化」の他の方法
 言葉の「連合性」のところで、「精緻化」を心がければ記憶が有用なものになることにはふれた。そのための一つの方法が想像することであることはすでに紹介したが、じつは「精緻化」させるために有効な方法はまだある。
一つは「先行オーガナイザー」の提示という方法であり、もう一つは言語の論理性によって安定した構造を形成させる「言語的援助」という方法である。(4)    
  「先行オーガナイザー」とは「主たる学習材料と関連性を持ち、それを包みこむような一般的・抽象的な内容を持つ文章であるとされている」(p40)           
 こうしたオーガナイザーを先行して提示すると後発の学習内容の記憶が促進されるという。例えば北尾は次のような実験例を紹介している。
小学校5年生の理科の「花のつくり」の学習で実験群の児童には「花の進化過程から考えて、花は葉から変化したものである」というお話を図を使って説明する。そして、めしべ、おしべ、花びら、がくの並び順はいかなる花でもかわらないという情報を先行オーガナイザーとして与える。対して統制群児童にはこのような情報は与えない。そして、同じ授業を行う。1週間後に転移テストすると、相対的に実験群児童の方が得点がすぐれた結果になった、というものである。
 人物を中心とした物語構造はここでいうところの「先行オーガナイザー」になっていると言えるだろう。短くおおざっぱであっても一つの<筋の図式>である物語が先行して頭にあれば、そこにざまざまな知識を構造的に関連させることができる。   
 例えば、「源頼朝は平氏に敗れて東国に逃れ、のちに平氏討伐軍のリーダーとなり鎌倉幕府を開いた」という筋が前提として頭の中にあれば、「平治の乱」「伊豆」「以仁王」「義経」、そして「守護・地頭」といった後続情報が筋の中に構造的に加わり、より強固な連合によって活性化するはずである。徐々に詳しい「源頼朝構造」ができあがる過程は頼朝の外郭的な情報が付加され、それによってより頼朝という人間の心情まで推測しやすくなっていく過程でもある。
 もう一つの「言語的援助」は言葉の論理性という安定的要素によって記憶を援助しようととする手法である。これについては歴史上の人物を材料にした面白い実験が紹介されている。歴史上、有名な人物の特徴を覚えさせるという実験である。     
 ブラッドショウとアンダーソンは28人の人物について一般にはあまり知られていない情報を4つのグループに分けた被験者の大学生に与えた。ただし、その後はグループによって付加情報を与えたり与えなかったりした。4つのグループとは原因条件を与えるグループ、結果条件を与えるグループ、無関係条件を与えるグループ、何も与えないグループの4つである。
 例えば、「ニュートンは、子どものように情緒不安定になり、あぶなかしくなった」という情報を最初に与える。次に原因条件グループには「生まれたときに父が死に、母は再婚、祖父に育てられた」と伝える。また、結果条件グループには「わけもなく偏執狂になる」無関係条件グループには「ロンドン発明家協会に呼ばれてトリニティカレッジへ行った」といった情報を付加するのである。1週間後に人名に対してその個人的特徴を筆答させるテストをすると、原因や結果の情報を付加されたグループの正答率の方が高くなるという結果が出る。
 これらの結果から単独情報よりも因果性などの背景的文脈の中で学習した方が記憶は確実になるという知見が得られる。   
 この実験について物語構造という視点からさらに考察をくわえてみたい。     
 4つの中で、無関係条件のグループはただそこに二つのエピソードがあるだけで二つの間に関係性がない。つまり、「物語」になっていない。単一文条件のグループはもちろん「物語」になっているとはいえない。                  
 だがこれに対して、原因条件グループや結果条件グループはそこに関係性のある情報が付加されるため意味のある「筋」になっている。つまり、たった二文しかないが小さな小さな物語になっているのである。
 「文化的に意味のある物語構造」は後続情報として加わってくる知識の先行オーガナイザーにもなり、またその言語の論理性によって安定した知識構造を形成することができると言える。

◆歴史用語の記憶と人物学習
 言葉は構造をもって記憶される。それは歴史用語も同じである。
歴史学習において、その構造をより強くし強固な長期記憶するためには言葉の連合性を高める必要がある。その方法として有効なのは人物を中心とした物語構造の形で歴史用語を与えることである。つまり、人物を目標語(中心語)とし、物語構造の中で他の用語を内周としての上位概念語・性質語・状況語、外周としての同一範疇語・関連動詞として関連させる。これによって歴史上の人物の行為を仮想的に身体運動し、エピソードを想像することが容易となる。さらに無関係かと思う事柄や偶然的とも思える各エピソードが筋のる物語構造によって意味のある関連を持つことになるのである。
 冒頭に提示した人物中心の物語構造に見られる二つの長所に戻ろう。       
 ひとつめの「印象に残り、他の項目への興味・関心が生まれやすい」も二つめの「その時代の全体像が見渡せる」もどちらも歴史知識ネットワークの構造化に深く関わっている。
 佐伯は次のように言う。(8)     
「知識というものは単なる「エピソード」ではない。それは、あらゆるものに「つじつま」をあわせてくれるし、あらゆる経験の「意味」を教えてくれるし、あらゆるできごとの「関連」をつけてくれる」(p65)
 これを頼朝の例で考えてみよう。    
 印象に残る、というのは頼朝の存在に注目するとこの時代の各項目がよりよく記憶に定着性するということを言い表している。そこから興味・関心が高まるということの中には知識構造を一貫して安定させたいという積極的な姿勢がある。例えば、伊豆へ流されたことへの「つじつま」をあわせたい、「鎌倉に幕府を開いたこと」の意味を知りたい、「守護・地頭」との関連をつけたい、などである。さらに、こうした歴史知識の構造化によって頼朝が生きた時代の全体像がより広がりより深まって「見渡し」やすくなっていくのだと言えるだろう。


<引用文献>
(1)目賀田八郎編『66時間で育てる歴史の見方・考え方』(東京書籍 昭和62年)
(2)三神雄司「2小単元「徳川家康」の指導計画と実践」(中野重人編『6年「小学校らしい歴史学習」のヒント』明治図書1991年)
(3)北尾倫彦『学習指導の心理学 教え方の理論と技術』(有斐閣 1991年)
(4)池谷祐二『記憶力を強くする』講談社ブルーバックス 2006年)
(5)山鳥重『脳からみた心』(NHKブックス 1985年)
(6)月本洋・上原泉『想像 心と体の接点』ナカニシヤ出版 2003年)
(7)M・ マルティネス、M・シェツフェル『物語の森へ 物語理論入門』叢書ウニベルシタス 法政大学出版局 2006年)
(8)佐伯胖『「学び」の構造』(東洋館出版 昭和62年)
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2015.01.29(Thu) | 歴史用語と人物学習 | cm(0) |

歴史用語と人物学習(4)

◆連合性を強化するもの
 先にも述べたとおり、連合性を強化するのは理解であり、それは一般的には法則のようなものだと言う。          だが、池谷はこの連合性を強化するものにもう一つ「想像」することの重要性を上げている。氏は日常的に行われている語呂合わせによる記憶法にふれて次のように言う。
「(記憶を補強する)そのためには多少の時間がかかっても、やはり語呂合わせを自分で作るのがよい方法です。そして、できる限り語呂合わせの意味している状況を具体的に想像するのです。想像すれば想像しただけ、はるかに記憶に残りやすくなります。」(p200)
理解と想像の関連性については月本洋・上原泉両氏が「身体運動意味論」を提起している。これは言葉の意味とは身体運動である、という考え方である。(6)     
 氏らは言葉の理解には想像力が必要であり、想像するときには想像上の動きで使った身体の部位と同じ実際に身体を動かす脳の部位が動くという。例えば「株価」という抽象的な言葉の理解は「上がる」「下がる」という物理的な身体運動を仮想することで可能になるという。
 ある歴史事項について想像しようとすれば必然的に人物を想定することになる。なぜなら、同じ人間として仮想的身体運動がしやすいからである。頼朝が刀を握る「武士」の姿、「治承の内乱」の戦いの中で石橋山に逃げ込む疲れ切った足取り、朝廷から「征夷大将軍」の称号を受ける得意満面な顔など・・・こうした仮想的身体運動を通して歴史用語が記憶に定着していくと言える。頼朝が主人公のテレビドラマを見たり、歴史小説を読むなどして仮想的身体運動がより活発に起こる経験は誰でも経験しているだろう。

◆「物語構造」の役割
 「人物」が目標語になることで仮想的身体運動=想像が容易になり、理解が深まる。 では、その「人物」項目が持つ「物語構造」はどのような有効性があるのだろうか。
M・マルティネスとM・シェツフェルはH・ホワイトの歴史的説明三つのタイプを紹介しながらそのうちの一つである「プロット化」を取り上げている。プロットとは、一般的には意図や意味を書き出したものをさし、物語の粗筋の意味もあるが、ここでいう「プロット化」とは物語の種類をロマンス・悲劇・喜劇・風刺などに特定することで意味を規定することである。そして、なぜ歴史家がプロット化するのか、という問いに対して次のように答えている。
「歴史家が現実の歴史的出来事をプロット化することによって、とりわけ文学的テクストに特徴的である筋の図式に包括する理由は、ホワイトにとっては、この方法によって事実的なもののつまらない偶然性が、文化的に意味ある物語構造によって形式を整えられ親しみやすいものになる」(p226)                      
 物語の意味は典型的な<筋の図式>によって認識されるという。
 いくつかの偶然的に起こったエピソードをつなぎ合わせた「筋」が初めて意味をもたらす。意味のない関連を嫌う私たちの脳は「文化的に意味のある物語構造」ならばそれを積極的に受け入れるはずである。
たんなる丸暗記よりも人物を中心とした物語構造の中で各歴史用語を定着させる方がより長期的な記憶になると言える。

2015.01.28(Wed) | 歴史用語と人物学習 | cm(0) |

歴史用語と人物学習(3)

◆長期記憶と目標語
 人間の長期記憶は大きく二つのカテゴリーに分かれているという。エピソード記憶と意味記憶である。エピソード記憶とは「いつどこで何をしたという過去の自分の経験や出来事に関連した記憶」であり、意味記憶は「経験とは関係のない「知識」」のことをいう。(4)
 では、前述のような歴史用語はどちらなのか。
 もちろん、武士も征夷大将軍も源頼朝もすべて「知識」なので、意味記憶ということになる。しかし、この場合にエピソード記憶は全く無関係なのだろうか。以下、歴史学習における用語と記憶の関係を考察することで人物学習の有効性について考察する。
 神経心理学者の山鳥重氏はその著書の中でハロルド・グッドグラスらによる「語の意味野」の研究成果を紹介している。(5) 山鳥氏によれば「一つの語はその語の周りに一定の強さで関連する語彙の網目をもっている」(p32)という。その中心となる目標語に接っするもっとも内側には上位概念語、性質語、状況語がなどがあり、この語群のさらに外側には同一範疇語や関連動詞が分布している。          
 例えば果物の「オレンジ」を目標語とすると、内周には「フルーツ」という上位概念語、「ジューシー」という性質語、「朝食」という状況語がある。外周には同じ果物である「りんご」という同一範疇語、「食べる」という関連動詞がある。
これを先に例示した歴史用語に当てはめてみよう。
*「源頼朝」を目標語とする。
*内周には「武士」(上位概念語・性質語)、「治承の内乱」「鎌倉幕府」(状況語)など。
*外周には「源義経」「足利尊氏」「徳川家康」(同一範疇語)、「戦う」「開く」(関連動詞)など。
頼朝の肖像画などを見せられて「これダーレだ?」と聞かれたときにとっさに名前が出てこないことがある。そのときに私たちは上の「網目」を辿って思い出そうとすることがある。「えっーと開いた人だ・・・誰だっけ・・・家康じゃなくて・・・鎌倉?そう鎌倉幕府でさ、最初の武士政権の・・・そうだ!源頼朝だ」という具合である。
 我々は言葉についてこのような構造を持っている。山鳥氏によれば「語の数は大量にあり、関連する語の意味野は複雑に重なり合っている。一つの語はそれ自体の意味野をもつが、同時に別の多くの語の意味野の周辺を形成する」(p34)という。
先の「オレンジ」の例に戻ろう。   
 「オレンジ」を目標語にした言葉の構造は自己の経験によって形成されている。例えば、母親がオレンジを「朝食」のときに用意してくれて「食べる」経験をして、ある食感を感じたところで、それが「ジューシー」と言うんだよと父親に言われ、さらに三時のおやつも「フルーツ」にしようと「りんご」がテーブルに置かれる・・・このような子ども時代からの経験が「オレンジ」という言葉の構造を作ったと考えることができる。
 前出の池谷は同じ著書の中で意味記憶とエピソード記憶の関係を次のように述べている。
「意味記憶は「知識」だと述べましたが、どんな知識でも初めはなんらかの状況のもとで脳にたくわえられたはずです。その状況が消えてしまい知識だけが残り意味記憶となっていくのです」(p63)      
 つまり、最初はエピソード記憶として取り込まれたものが最終的には意味記憶として残るわけである。
では、歴史用語である「源頼朝」の場合はどうか?「源頼朝」の構造も自己の経験によって形成されるのだろうか。もちろんそうなる。
例えば、次のような経験である。明日、歴史の定期テストがある。教科書の試験範囲のページを開き、頼朝の肖像画を見つける。その下に「征夷大将軍となった源頼朝」と書かれている。すぐ横の本文には「鎌倉幕府が開かれる」という太字タイトルがあり、ざっと読むと「守護・地頭」という言葉がやはり太字になっている。これらは関連があるはずだ、と考えて必死で暗記する。いわゆる丸暗記だ。
 しかし、丸暗記は「連合性」という性質がうまく使えていないのですぐ忘れてしまうという。「連合性」とは簡単に言えば「ものごとを関連づければ覚えやすくなる」(p197)性質のことである。      
「すでに述べたように、ものごとを理解し連合させると、その分覚えやすくなりますから、単一のことを記憶するときでも、できるだけ多くのことを連合させたほうがよいことになります。このように事象の内容を連合させて、より豊富にすることを「精緻化」といいます。常に精緻化を心がけていれば、記憶がたやすくなり、かつ、その記憶も有用なものになります。」(p201)
 歴史用語辞典のところで見たようにより多くの用語を過不足なく結びつけ、全体像を構成できる「人物」は連合性を有効に使えるタイプの項目である。つまり、「語の意味野」を「人物」を目標語にして構造化することができると言えるだろう。
 なお、関連づけると言った場合、それは理解ということに深く関係し、一般的には法則性のようなものが想定される。脳は丸暗記のような役に立たないあまり意味のない関連にはエネルギーを使わないという。では、もっと効果的に関連づけることができるエピソード記憶となる経験はないのだろうか。

2015.01.27(Tue) | 歴史用語と人物学習 | cm(0) |

歴史用語と人物学習(2)

◆歴史用語辞典
 知識の一つの形態である歴史用語がどのように記述されているか見てみよう。使用したのは『角川日本史辞典 第二版』(角川書店 昭和54年)である。ある小学校教師が「武士政権誕生」をテーマにした授業を構想しているという設定でこのテーマに関わる用語を引いてみる。なお、全文を引用していると膨大な文章量となるので以下、上記の授業テーマに関わる一部のみ引用することにする。
 まず<武士>を引いてみた。     

*ぶし 武士
 武芸を専業とする者をいう。古代では「もののふ」といい、のちには封建的支配階級の中心をなした・・・彼らは侍(さむらい)となって貴族の身辺警護に奉仕して中央に進出、次いで武家の棟梁と呼ばれる者の下に団結し、保元・平治の乱でその中央政治に対する影響力を示し、鎌倉幕府・・・

 いわば武士という集団の出自と変遷が書かれている。ここでは「貴族の身辺警護に奉仕して中央に進出」が武士政権樹立のプロセスとして大事なポイントである。次は<源平合戦>で引いてみる。すると→があり、<治承の内乱>とある。

*じしょうのないらん 治承の内乱
  源平合戦ともいう。古代的政権に対する全国的な豪族のゲリラ的内乱を背景にした源氏の平氏打倒の戦い・・・1180(治承4)以仁王の令旨を奉ずる源頼政・頼朝の挙兵によって飛躍的に拡大し、富士川合戦・倶利伽羅峠の合戦・義仲合戦を経て、叛乱勢力は源氏の下に統一されて・・・
 
 戦いの性格と経過が書かれている。蛇足だが「ゲリラ的」という言葉に驚いた。この形容詞は必要だろうか?
次は最初の武士政権である<鎌倉幕府>を引く。

*かまくらばくふ 鎌倉幕府
 源頼朝が鎌倉を根拠として創始した武家政権。成立時を1183(寿永2)頼朝の東国行政権取得の時、翌年の主要機関設置の時、85(文治1)守護・地頭設置の時、92(建久3)征夷大将軍就任の時とするなど、種々の説がある。初期の主要機関として将軍の下に侍所・公文所(くもんじょ)・政所(まんどころ)・問注所があり、85勅許を得て諸国に守護・地頭を設置し、全国の軍事警察権を握った・・・

 創始者と経過、主な機構内容が説明されている。
もう一つ<征夷大将軍>を引いてみよう。

*せいいたいしょうぐん 征夷大将軍
 本来は蝦夷征討のために任ぜられた臨時の官。794(延暦13)大伴弟麻呂が補任され、次いで坂上田村麻呂・・・811(弘仁2)以後中絶し・・・源頼朝が任ぜられて鎌倉幕府を開いた。以後幕府の首長の職名として武門の棟梁の地位を表すものとされ・・・              
 
 この職名の性格の変遷が主な記述内容である。
最後に<源頼朝>を引いてみよう。

*みなもとのよりとも 源頼朝
1147-99(久安3-正治1)鎌倉幕府初代将軍。義朝の3男。母は熱田大宮司季範の娘。平治の乱に敗走の途中美濃で捕われ、伊豆に配流。1180(治承4)以仁王の令旨を受けて挙兵したが、石橋山に敗れて安房にのがれ、三浦・千葉氏らの援助を得て鎌倉により、侍所をおいて東国政権を樹立・・・さらに義経をして85(文治1)壇ノ浦に平氏を族滅させた。その後、院に接近した義経を追い、その追捕を理由に諸国に守護・地頭を設置、武家政権を確立。九条兼実ら親しい公卿で朝廷を固めた・・・

 <源頼朝>という人物の項目を一読して気づくのは先に引いた4つの用語が過不足なくすべて入っているとことである。さらに詳しく知ろうとすれば他の4つの用語も調べる必要はあるが、テーマの中心となる人物を一人引けば全体像がつかめるのは間違いない。
 次に気づくのはその記述のドラマ性である。例えば、守護・地頭設置の理由を比較してみたい。             
 <鎌倉幕府>の項には「85勅許を得て諸国に守護・地頭を設置し、全国の軍事警察権を握った」とある。子どもはこれを読めば単純に「今で言う軍隊と警察を全国に制度化したんだな」あるいは「日本中に自分の武士の仲間をばらまいたんだ」と考えるだろう。
 しかし、<源頼朝>の項にはあるエピソードが記述されている。「院に接近した義経を追い、その追捕を理由に諸国に守護・地頭を設置」というエピソードである。子どもは頼朝と義経の関係にあるドラマを感じるだろう。さらに「その追捕を理由に」とある。「理由に」とあるからには「これを利用した」ということだ。つまり、このエピソード前の段階では守護・地頭の設置は滞りなく進んでいたとは言えず、「頼朝がこの義経追捕をうまく利用して目的を達成したんだな」と察するだろう。子どもは頼朝を「頭がいい」と思うかもしれないし「狡猾な奴だ」と思うかもしれない。
 さらに重要なのは、辞書という字数と表現の制限があるにもかかわらず記述が「物語」になっている点である。この<源頼朝>の項はわずか約420字であるが、そこに、敗走→配流→挙兵→のがれる→援助→政権樹立と波瀾万丈のストーリーが書き込まれている。起伏ある記述は印象に残るし、平治の乱、義経、壇ノ浦、侍所などの他の項目への興味もかき立てるに違いない。「物語構造」によってさまざまな用語がそこに収斂し、エピソードが書き込まれることで全体像が見渡せる。
 つまり、人物項目の「物語構造」には2点の長所があると言える。       
*長所その1:印象に残り、他の項目への興味・関心が生まれやすい。
*長所その2:その時代の全体像が見渡せる。

2015.01.26(Mon) | 歴史用語と人物学習 | cm(0) |

歴史用語と人物学習(1)

◆現場教師の指摘
 東京都で小学校の教師をしていた目賀田八郎は小学校の歴史学習について、子どもは「人物」に興味・関心があるので人物を中心にした学習にすることが重要な戦略の一つになる、という主張をしている。(1) そして、この主張の中で以下のような実践的な知見を紹介している。       
 目賀田によれば、鎌倉幕府の政治の仕組みについて守護・地頭の役割に重点を置いて教えたとき、ストレートに守護・地頭の役割を教えるよりも、頼朝が「義経を捕らえる」ことを口実にして守護・地頭を置いたというところから指導を始めたほうが、格段に子どもたちの反応が強くなったと言う。さらに、子どもたちは「義経を殺した後、守護・地頭はどうなったか」という疑問まで持ち、教師の意図した方向へと思考が展開したとも言っている。
「つまり、普通名詞としての守護・地頭の学習では、知識を授ける指導ならいざ知らず、学習は成立し難いのである。義経を捕らえることを口実にしたという「人物の入った守護・地頭の学習」になると、反応がよいだけでなく、能動的な学習も可能になり、「見方・考え方」も深まりをみせるようになる」(p18)
 目賀田の指摘では興味・関心が高まって学習姿勢が能動的になり、さらに歴史の見方・考え方も深まることが強調されている。これは重要な指摘である。「普通名詞」の学習では学習が成立し難く、「人物が入った」学習ならば子どもたちが積極的に参加し、歴史に対する見方・考え方が深まるということは人物学習は歴史の授業構想上必須であることになる。
同じ東京都の小学校教師・三神雄司は1990年に「徳川家康」の実践を報告している。(2)               
 授業は家康の肖像画を観察するという導入で始まる。家康が子ども時代に人質だったことを明確にした後、「弱小大名だった家康が、どのようにして天下を統一することができたのか」という学習問題を設定する。この問題に対して予想を立ててグループ毎に課題を決め、調べ学習を行うという展開である。
 三神は、この実践報告の最後に授業後の子どもたちの感想を次のように記録している。
「人物を中心とした学習について、子どもに感想を書かせたところ、「その人のおいたちや性格がわかり、どんな生き方をしたのかがよく分かっておもしろかった」「ただその時代を勉強すると頭が混乱するようだけど、人物だけ勉強すると、おもしろくて、分かりやすい。」「時代をまとめて勉強するより、ずっと人物中心の方がやりやすかった。」等と子供にとって分かりやすく、楽しい勉強になったようである。」(p86)
 ここで注目したいのは3つの感想には「よく分かって、おもしろかった」「おもしろくて分かりやすい」「やりやすかった」と学習の明快さや容易さに触れていることである。これらの子どもの感想から、人物中心の学習は「おもしろい」と言う言葉で代表される興味・関心の高まりに有効なだけでなく、「わかりやすい」「やりやすい」といった学習内容の明快さやその内容理解の容易さの面からも有効である言えるだろう。それが学習姿勢の能動性や見方・考え方の深まりに関連していると推測できる。

◆知識のネットワーク
 北尾倫彦によれば、認知心理学においては仮説的な概念として知識のネットワークモデルを作って実験的な研究を行っているという。(3)そして、知識の貯蔵モデルを以下のように説明している。           
「ところで、知識は頭の中で貯蔵されているのであるが、倉庫に物を投げ込むような形で貯蔵されているのではない。バラバラな状態ではなく、網の目のようにネットワークを形成して多量の知識が貯蔵されていると考えられる」(p36)
 知識はある秩序をもって構造化されたおり、日々新しい経験や学習によってこの構造を柔軟に変化させている。
 知識の定着と活用が学習内容とその理解に深く関わることを考えれば、先の実践における「わかりやすい」「やりやすい」という感想は歴史学習における知識の定着とその活用についての肯定的な評価と考えられる。人物学習は歴史上の知識獲得及びその活用による理解深化という観点から見ても有効な方法であると言えるかもしれない。
 以下、歴史上の知識の一つの形である歴史用語をテーマに取り上げて人物学習との関係を考察してみたい。

2015.01.25(Sun) | 歴史用語と人物学習 | cm(0) |

分析-意思決定型授業(4)

◆日本の歴史人物学習の課題
 日本の歴史授業ではある時代の歴史的な状況を教師が説明することが多い。そして、ここに最も多くの時間が費やされる。そこで説明される内容は、時代背景・歴史的経緯・当時の習慣や人間関係などである。さらに「次に何が起こったの?」「どんなふうに起こったの?」といった指導言によって児童に投げかけられる。この一連のプロセスこそ「調べる」学習なのである。
 児童は教師の指導言に答えて教科書や資料集、あるいは図書館の文献、インターネットのサイトを利用して時代背景・歴史的経緯・当時の習慣や人間関係などを調べているわけである。
 すでに指摘したとおり、調べたことは主にHOWへの解答である。そして「なすがままに」「ごく自然に」といったイメージでその変化が位置づけられる。さらにそこに登場する人物の常識的な「通常」の感情を確かめることが唯一の人物学習らしい人物学習となっている。         
 日本の歴史学習のレベルはアメリカの「教師用手引き」で言えば最初に習得されるべき「知識」とその次の「理解」までである。「応用」以上の「高度」な能力へのチャレンジは見られない。もちろん、判断や決断にあたる最上位の「評価」にはほど遠い。
  『解説』が人物重視の方針でねらっているのは「日本人としての自覚をもって国際社会で主体的に生きていくために必要な資質や能力の基礎を培う」ことだったはずである。国際社会を生き抜いていくための「必要な資質や能力」は調べる力だけでよいのだろうか。「主体的に生きていく」ためには降りかかる難題に対して意思決定する経験が不可欠だろう。知識・理解に留まっている現状を改善する人物中心の授業が必要である。               
 以上、ここまでは本考察の中で繰り返し日本の人物学習が「調べる」ところまでに留まっていることを指摘してきた。    しかし、冒頭の『解説』の分析でもふれたように一部には「願いを考えたりする」「政策の意図を考える」といった表現があるようにアメリカ型の分析-意思決定型に近い授業イメージがまったくないわけではない。日本においてもこれに準ずる歴史授業の実践は行われている。その授業例を二つ紹介しよう。
 一つ目は、斎藤武夫氏の「仏教論争」の授業である。(4)            
 古代日本の仏教公伝を扱った授業である。ここでは仏教が日本社会に持ち込まれたときの金色に輝く仏像の衝撃を導入として、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏に分かれて論争を行い、最後はこの論争に決着をつけた聖徳太子の国づくりの方針を知るという展開である。「分析-意思決定」場面に出てくるのは蘇我氏と物部氏であるが、これが聖徳太子という人物の偉大さに結びつく展開になっている。
 もう一つは、築地久子氏の「負けない国にするために」の授業である。(5)    
 この授業も「分析-意思決定」場面に出てくるのは明治時代の農民だが、討論中に政治家の立場として発言が必要になり、多様な観点で明治国家の富国強兵策を議論する授業構成である。なお、ここに出てくる人物は無名の人物である。名も知らぬ当時の農民や特定できないが明治国家の政治家の立場に立って課題に向き合う展開になっている。
 両実践とも「分析-意思決定」という学習場面があるからこそ必要な人物に辿り着き、歴史を変化させる人物の偉大さに気づいたと言える。             
 このように見てくると、じつはターゲットにしている歴史上の人物からいったん離れることでかえってクリアに人物学習が構想できるのと言えるのかもしれない。このタイプの歴史人物学習の有効性を強調し、日本の小学校教育に根付かせていく必要があるだろう。

<引用文献>
(1)渡辺雅子「歴史の教授法と説明スタイル 日米小学校の授業比較から」(渡辺雅子編『叙述スタイルと歴史教育-教授法と教科書の国際比較』(三元社 2003年)以下、ページの指摘があるのはこの文献からの引用である。
(2)G・E・M・アンスコム著 菅豊彦訳『インテンション実践知の考察』(産業図書 1984年)
(3)アーサー・C・ダント著 河本英夫訳『物語としての歴史 歴史の分析哲学』(国文社 1989年)
(4)斎藤武夫『学校でまなびたい歴史』(産経新聞社 2003年)
(5)築地久子『生きる力をつける授業』(黎明書房 1991年)

2015.01.24(Sat) | 分析-意思決定型授業 | cm(0) |

分析-意思決定型授業(3)

◆アメリカの歴史授業の特徴
 アメリカの歴史授業の特徴は以下の4つである。
A:質問のタイプとして原因の特定を求める「なぜ(WHY)」が多い。
B:教師の質問によって時間の経過が原因と結果の明確な対応関係で枠付けられている。
C:児童に歴史上の決断を迫り、最良の決断をするために情報を選択する作業が行われる。
D:授業展開において結果から振り返ってその原因を探す過去の出来事を理解する構造が、未来を理解する構造としても使われる。
 ここで取り上げられている2つの授業を紹介する。(p55~59)

□K教諭の授業 1840年代・西部開拓者たちの幌馬車の旅のシュミレーション
①教師がこれから進むべきいくつかの架空の道筋について様々な情報を読み上げる。児童はこれをノートに取る。
②情報をもとに児童はグループで話し合ってどの道を選ぶべきか決断する。
③決断を下したところで教師はサイコロをふり、その目の数に該当する「運命」を読み上げる。
④出た運命に従って個人とグループの持ち点が加減される。これを目的地オレゴンまでくり返す。
 K教諭は決断のためには何が大切か次のように忠告する。
「今はどこにいるの?何をしなければならないの?何が今一番大切なの?なぜその決断をするの?大事なのは大切な事や大切な言葉だけを書きとめることだったわよね。(ある道筋の)有利な点と不利な点を書いて、それを比較するのよね。それが分析するってことでしょう。あなたたちの幌馬車隊が可能な限り利益を得るためには、それぞれの場面で少なくとも二つのプラス面とマイナス面を考えなさい」
 そして、幌馬車隊のリーダーがどの道筋を行くか発表した後に理由を発表させる。結果がわかると何がよい決断で何が悪い決断だったのかの解釈を求める。
 印象的なのはサイコロを振る前にK教諭が「自分のした決断に責任が持てる?何が私たちの基本ルールなの?」と尋ねると児童が全員で「運命を受け入れること!」とコーラスすることである。

□S教諭の授業 南北戦争
①「リンカーンは南部に対して軍隊を使うべきか」という課題を提示する。    
②南北戦争当時の状況を新聞記事の形にした教材を配布する。
③児童にリンカーンになったつもりで決断するように指示する。その際に決断を補助するタスクシートを配布する。
1、大統領は実行すべきか                はい・いいえ 理由
2、今実行すべきか               はい・いいえ 理由
3、一般の人の協力は得られるか             はい・いいえ 理由
4、それによって得られるよい結果(少なくとも2つ)
5、それによってこうむる悪い結果(少なくとも2つ)

 渡辺氏はこの授業の構造について「児童はまず未来の目標として何を達成しなければならないのかを明確にし、その目標から振り返って現在の行動を決定するように求められているのである」と分析している。(p58)
 S教諭は課題を提示するにあたり次のように述べている。
「歴史(の事実)を知らないものとして、君たちがリンカーンになったつもりでこう言ってごらんなさい。「どうするべきだろうか」と。戦争を始めるべきか、始めるべきでないか。自分たちが持っている情報を使いなさい。君たちは何を達成したいの?私たちは今、この瞬間に歴史を変えられるんだよ!」(p57)
 なんとも力強い言葉である。
 この授業でも印象的なのは「良いことも悪いことも同じぐらいの程度で起きる可能性があるので戦争をすべきともやめるべきとも言えない」と答えた児童に対して「肝心な点を理解していないね。君、つまりリンカーンは何を達成したいの?それがポイントだよ」と冷たく突き放すところである。日本ではまずありえない指導だ。むしろ、日本だったら両サイドからの意見をまとめた「中立」な立場の発言として高く評価されるだろう。
 だが、アメリカのS教諭の指導はまだ終わらない。「リンカーンは決断しなければならないんです。その時に大切なのは理由です。何を達成しなければならないのか。自分の言葉でその理由を言ってごらんなさい」と畳みかけるのである。
 二人のアメリカ人教諭は歴史を学ぶ目的について次のように述べたという。
*K教諭 決断する技術を教えることと決断した自分に自信を持つこと。それと同時に西部開拓者達が感じたであろう無力感に共感する力を養うこと。
*S教諭 常に「なぜ起こったか」を問うことによって歴史のサイクルを断ち切って同じ過ちを犯さないようにすること。(p59)

(1)アメリカの授業の分析1:原因-結果関係の重視-歴史を物語構造としてとらえる
 渡辺氏は日米の授業比較からアメリカでは「まず時系列で習った出来事の中からある出来事を結果と定め、時間を遡ってその原因を特定する因果律を歴史理解の枠組みとする傾向が見られた」という。(p66)
 ここで哲学者アーサー・C・ダントの主張を見てみよう。(3)         
 ダントは「歴史の要諦」は目撃者のように行為を知ることではなく、のちの出来事との関連から<部分>として知ることだという。過去は直接触れることはできないし、史料という媒体を通じて見る以上は客観的に観察することもできないからだ。
 ではどうすればよいか。
 ダントは推論によってのみ過去に近づくことができるという。
 「史料というスクリーンを透視して過去の全景を見定める」というイメージではなく、「史料を凝視して過去の出来事についての記述を試し、確認し、検討しようとする」イメージが必要だと述べている。
 さらに、以下の例を引いて歴史説明は物語記述と一体であると主張している。
<交通事故が起こったとき、警察官が駆けつけ「何が起きたのか?」と尋ねたら、それは「事故が起きた」という答えではなく、その事故のストーリーを知りたいと思っている>
  「物語」とは始めから終りまでの変化がどのように起こったかについての記述=説明である。始めと終わりが被説明項となり、説明項は始め-終わりの中間部分にあたる出来事間相互の「関係」になる。ただし、ダントはこの「関係」は因果関係ではないと言っている。出来事は時間幅を持つ変化の両端であり、原因はこの変化にあるからである。        
 渡辺氏がいう「結果-原因」とダントがいう「変化の両端」はちがう。しかし、時間幅のある二つの出来事を決めてその関係を「歴史理解の枠組み」と見る点では同じである。アメリカの歴史教育は歴史を物語構造としてとらえ、変化に着目させる指導方針をもっていると言える。

(2)アメリカの授業の分析2:決定する技術-アメリカ型人物学習の特徴
 先に紹介した「南北戦争」の授業は、リンカーンという歴史上の人物の意思決定場面を取り上げて児童に思考させるという典型的な人物学習になっている。また、西部開拓者の授業も無名の人々ではあるが繰り返し起こる困難に対する状況に対してその都度意志決定する場面が用意されている。
 二つの授業の共通点は児童の「意思決定」への参加である。
 さらに、「意思決定」関わって共通しているのは「分析能力」の重視である。アメリカの教師たちすべてが「歴史を理解する上で最も重要なのは、分析する能力であると答えた」と報告している。
  K教諭もS教諭も次のような指導言で分析を促していた。
「有利な点と不利な点を書いて、それを比較するのよね。それが分析するってことでしょう。あなたたちの幌馬車隊が可能な限り利益を得るためには、それぞれの場面で少なくとも二つのプラス面とマイナス面を考えなさい」(p55)
「戦争を始めるべきか、始めるべきでないか。自分たちが持っている情報を使いなさい。君たちは何を達成したいの?」(p57)
 渡辺氏の調査によれば、このようにアメリカで「意思決定」と「分析能力」を重視する背景には「米国で広く使われている教師用手引き」の存在があるという。
 少々長いが手引きの紹介部分を引用する。
「その手引きによれば、最初に習得されるべき能力は知識であり、その次に理解が続き、応用、分析、統合、評価となっている。分析は理解よりも高度な能力と格付けされており、その理由は「理解」が出来事の経過とその結果を説明するのに対して、「分析」は結果から逆連鎖を辿ってそれぞれの出来事がいかに結果に寄与したかを探る作業のもうひと手間を必要とするからだと述べている。この格付けで興味深いのは、最も高い価値が与えられているのが評価、すなわち判断や決断する能力だということである。手引では、下位の能力は上位の能力の土台になると指摘されており、そうであるならば知識・理解・応用・分析・統合は、すべて評価あるいは決断するためにあることになる」(p63)
 アメリカ型人物学習は、歴史上の人物を前提にして構想されているというよりは「認知能力の向上」を目的として構想することで人物学習に行きついていると言える。

2015.01.24(Sat) | 分析-意思決定型授業 | cm(0) |

分析-意思決定型授業(2)

◆歴史授業の日米比較
 渡辺雅子は日米の歴史授業を比較し、日米双方の教師が歴史をどうとらえ、それが授業にどう反映しているかという興味深い報告を行っている。(1)         
 結論を先に言えば、アメリカの歴史学習は歴史上の人物の意思決定過程を重視した人物学習になっているのに対して、日本の歴史授業は人物の業績等を調べることを重視した人物学習になっている。
 以下、筆者・渡辺氏の分析も参考にしながらこのような特徴を持った日本の人物学習についての課題を明らかにしていきたい。

◆日本の歴史授業の特徴
 渡辺が指摘する日本の歴史授業の特徴は以下の3つである。
A:質問のタイプとして出来事の展開・当時の状況・歴史上の人物の気持ちを問う「どのように(HOW)」が多い。
B:起きた順番に出来事を再現し、出来事と出来事のつながりを説明する時系列連鎖で語られる。
C:状況を身近な日常生活に翻訳し直して人物の感じ方・気持ちと行動を結びつける共感の手法を重視する。
 さらに上記と重なるが日本の歴史授業には三つのステップがあるという。
①まず、教師はある時代の歴史的な状況を説明する。ここに最も多くの時間が費やされる(時代背景・歴史的経緯・当時の習慣や人間関係)。例えば「次に何が起こったの?」「どんなふうに起こったの?」といった指導言が投げかけられる。
②次に、その状況を身近な日常生活に翻訳し直すことによって人物がその状況下でどのように感じたかを児童に想像させる。「もし、こんな事が起こったらどんな気持になる?」などの投げかけによる。
③最後に、想像した歴史上の人物の気持ちと行動を結びつける。「そうしたら、みんなだったらどうする?」と発問したりする。

(1)日本の授業の分析1:「なぜ?」と問わない理由-人間の「意志」が見えない
 ①のステップについて考えてみたい。
 渡辺氏は日本の歴史授業は「どのように」と問うことが多いという。そして、同様に教科書も「明治維新はどのようにしておしすすめられていったのだろうか」など「出来事の展開を問う質問」が多いという。ここで氏は、この傾向に対して以下の認知心理学の研究成果を紹介している。  
「出来事と出来事の間に通常でない関係を見出した時には「なぜ」という質問をするのに対して、出来事の間のリンクが通常だと感じた時には「どのように」起きたのかと尋ねると言われる」(p50)
 先と同じインターネット辞書で「通常」を調べてみると「いつもどおりで特別の事情がないこと」と書いてある。これは日常的な使用で考えると「通常の営業時間は十時から八時までとなっております」などのように使われるだろう。ただし、ここには特別の事情があれば変わることもあるという含みも込められている。
 すると、日本の教師や歴史教科書は「歴史の変化の仕方は常に通常である」と考えていて、そこには「特別な事情は起こる可能性はあるが、今も昔も起こっていない」と考えていることになる。日本の歴史教育は「よくあるように」「なすがままに」「ごく自然に」といったイメージで歴史が語られている。歴史上に生きる人物たちの個人の行為によって歴史が変化しているという考え方が非常に弱い。
 イギリスの哲学者G・E・M・アンスコムは、それまでの心身二元論や行動主義的な説明ではなく言語の働きに着目することが重要であり、意志行為は「なぜ」という問いに対しての説明であるという見解を述べている。アンスコムによれば、他人が当該行為者の「意志」を確認したければ「なぜ」と質問しその答えを聞かなければならない。そして、行為者自身も「なぜ」と自分自身に問いかけて言葉によって納得しなければ「意志」を確認することはできない。(2)                つまり、日本の教師が「なぜ」と問わないのは歴史は人間の意志行為によって変化しているという意識が弱いからだといえる。                 

(2)日本の授業の分析2:実体のない「共感」ー自分でもないし歴史上の人物でもない
 渡辺は日本の歴史教育の例としてO教諭の授業を紹介している。蒙古襲来の授業である。(p48)

 O教諭 今言ってくれたように、日本の幕府はモンゴルの最初の使者を無視しました。(中略)そして日本はこんなにちっちゃい国だ。そしたらモンゴル人はどう考える?自分たちはこんなに大きくて強い、そしてあなたたちはこんなに小さい。あなたたちだったらどう感じる?
 生徒 いばるな!
 O教諭 そう、いばるなって思うよね。モンゴル人がどんなに仲良くしようって言ったって、それは国交を持とうという意味だけど、モンゴルはこんなに大きな国だから、自然に日本を支配下に置こうって思うよね。
 
 渡辺氏は上記の授業記録を引用したあとに以下のように述べ、他教諭の授業例をふまえて「共感の手法」が日本の歴史授業の特徴の一つであると結論づけている。
「ここで特筆すべきは、O教諭が質問しているのは、児童ひとりひとりの感情ではなく、また歴史上の人物本人の気持ちでもないということである。それは共感を感じて得られる、ある状況下に置かれた普遍的な人間の感情やそれに基づく行動であると言える」(p48)
 しかし、疑問がある。
 上記の例は「共感」と言うのだろうか。
 再び、同じインターネット辞書で意味を調べてみると「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち」と書いてある。
 この説明によると「共感」はいわば「共感する本人」とその「共感の相手」の二者の間で成立する概念であることがわかる。例えば、「小学校6年生の太郎くんが北条時宗に共感する」と言えば「太郎くんが北条時宗のモンゴルの使者を斬るべきだという意見や感情にそのとおりだと感じる」ということになる。
 だが、ここの上記の例は「児童ひとりひとりの感情ではなく、また歴史上の人物本人の気持ちでもない」のである。太郎くんの感情でもないし、北条時宗の気持でもない、ましてやモンゴル人の気持でもないとしたら何なのだろう。これは「共感」ではない。O教諭は日常における経験をもとに「常識から考えてどう感じるか」を児童に聞いているのである。渡辺氏は「普遍的」という言葉を使っているが、大きい相手・小さい自分という情報しかない極端に狭められた場面設定の中で誰もが常識的に感じるであろう感情を確認しているにすぎない。いわば「通常」の感情である。どうしても共感していると言うならば「生徒」が「O教諭」に共感しているとしか言いようがない(なお、このような手法が間違っていると言っているのではない。授業にはこうしたステップも必要であるときがある。私はO教諭の指導言を批判しているのではない)。
 渡辺氏はさらに「共感」について以下のように述べている。          
「日本の歴史授業で出来事の展開を理解するために使われていた「共感」が最も効果的に働くのは、因果関係が出来事の連鎖で説明されるときであった。教師の語りの助けを借りながら過去の出来事をひとつひとつ追体験することによって、児童は歴史上の人物と自分自身を一体化させて歴史の流れを必然的なものとして理解することが出来るのである。その児童が注目するのは、ある出来事と別の出来事が無理なくつながるか否かであり、連続する時間の経過そのものが出来事を理解する枠組みになっていると言える。」(p49)
 日本の歴史授業では、歴史上の人物の常識的な「通常」の感情を確かめる手法を通して出来事と出来事が特別なことなく、必然的に無理なく、ごく自然に展開していることを教えようとしているのである。
 つまり、上記の渡辺氏の説明では、一見すると「共感」という手法で歴史上の人物と自分を一体化させているかのように見えるがそうなってはいないのである。
 以上(1)(2)の分析により以下の二点が明確になった。
①日本の歴史教育では歴史は人間の意志行為によって変化しているという意識が弱く、「なすがままに」「ごく自然に」といったイメージでその変化が語られている。 
②それは各状況における歴史上の人物の常識的な「通常」の感情を確かめる手法を通して行われる。

2015.01.21(Wed) | 分析-意思決定型授業 | cm(0) |

分析-意思決定型授業(1)

◆小学校学習指導要領における「人物重視」の特徴
 わが国の平成20年版「小学校学習指導要領社会編」の「第6学年」に歴史学習についての目標が以下のように記されている。
「国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めようとするとともに、我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」
 この目標記述の主な主旨は「人物」「文化遺産」を二本の柱として重視し「国を愛する心情」を育てることにある。これは平成20年8月文部科学省発行の『小学校学習指導要領解説社会編』(以下『解説』とする)にも明記されている。      なお、意外に見逃されることが多いのだが『解説』は上記の目標の解説について以下のような文でしめくくっている。   「このことは、日本人としての自覚をもって国際社会で主体的に生きていきために必要な資質や能力の基礎を培うことにつながるものである。」       
 これは見逃してはいけない重要なポイントである。文部科学省は自国の歴史上の人物や文化遺産を学習することは世界を相手にした国際社会の中で「主体的に」生きていくための基礎になると指摘しているのである。
 以下、わが国の小学校歴史学習の二本の柱のうち、人物学習に絞ってその問題点と課題について考察を試みる。

◆『解説』にみる人物学習の授業イメージ
  人物学習を柱の一つに掲げる文部科学省はわが国の教師にどのような授業を望んでいるのだろうか。その授業イメージの輪郭を見てみよう。
  『解説』は「目標」に続いて「内容」としてより詳しい授業の例をあげている。歴史にかかわる(ア)~(ケ)に対する例示から人物名があげられている箇所のみ以下引用してみる。

①聖徳太子の肖像画やエピソードなどからその人となりを調べる学習
②大仏の大きさから天皇の力を考えたり、大仏造営を命じた詔から聖武天皇の願いを考えたりする学習
③源平の戦いにおける源義経の活躍の様子やエピソードを調べる学習
④肖像や人物年表、エピソードから都とを離れて鎌倉に幕府を開いた源頼朝の業績について考える学習
⑤戦い方を工夫しながら勢力を伸ばした織田信長による天下統一の様子を調べる学習
⑥検地や刀狩の資料から豊臣秀吉の政策の意図を考える学習
⑦徳川家康や徳川家光の肖像画や人物年表、エピソードなどからそれらの人物の業績を考える学習
⑧本居宣長、杉田玄白、伊能忠敬の業績から、その努力の様子や果たした役割を調べる学習
⑨西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允のエピソードや資料などをもとに明治政府の諸改革について調べる学習
⑩『学問のすすめ』を手掛かりとして福沢諭吉が欧米から取り入れた新しい文化や考え方を調べる学習
⑪伊藤博文が大日本帝国憲法の起草を進めるに当たってどのような取り組み方をしたのかを調べる学習
⑫日清・日露の戦争や条約改正にかかわる主なできごとを年表に表し、陸奥宗光や小村寿太郎の努力をとらえる学習

 以上の12項目を見て気づく大きな特徴は「調べる」学習の重視である。12項目中7項目の文末が「調べる」となっている。
 なお、他の5項目のうち1項目は「努力をとらえる」だが、インターネットgoo辞書によれば「とらえる」は「物事の本質・内容などを理解して自分のものとする。把握する」ことだと言う。これをふまえてここでは「しっかりと内容を把握する」という意味に解釈しておく。        
 残りの4項目は「願いを考えたりする」「業績について考える」「業績を考える」「政策の意図を考える」など文末は「考える」になっている。しかし同じ「考える」でもその対象は二種類に分けられる。一つは「願い」「意図」という人物の意思である。もうひとつは「業績」という人物が社会に残したものである。先の「努力をとらえる」も人物が社会に残したものを対象にしている点でこの「業績を考える」に近いと言えるだろう。    
 このように『解説』が掲げる人物学習の授業イメージは、基本的にその人物を「調べる」ところまででよしとしているようである。さらに「考える」学習まで行う場合も「業績」に対する客観的な評価をすればよく、人物の意志にまで迫るのは人物学習全体の十二分の二(六分の一)程度でよいというイメージを持っていると言えよう。 だが、歴史上の人物は主に調べる対象としてそこにあればよいのだろうか。

2015.01.20(Tue) | 分析-意思決定型授業 | cm(0) |

擬人的認識論と人物学習の意味(5)

(6)浅永実践の改善
 では、これまでの考察をふまえて浅永実践の授業をどう改善すればよいのか考えたい。
 この授業は源頼朝という武士のリーダーとしての人物像をつかませるという意味で成功している。しかし、以下の2つの点で改善が必要と考える。

<1>第一発問=メインの課題を変更する
<2>資料の「小出し方式」をやめて「オール開示方式」にする

<1>について
 浅永氏の設定した課題は「頼朝が義経を殺したのはなぜか?」である。この発問は学齢期の児童にはあまりに重過ぎる。
 ここで重要なのは武士のリーダーたる頼朝が兄・頼朝を超えて「罰」を下すか下さないか、という点にある。殺すか・殺さないかは「罰」の内容であり、「罰」の軽重の問題である。
 そこで発問を「頼朝は義経に罰を与えるべきだろうか」と変更することを提案したい。この発問はそのまま投げかけてもよいし、以下のような選択肢を与えてもよい。
A:これまでの功績を考えて罰は与えない
B:軽い罰として家来全員の前で謝罪させる
C:処刑する
<2>について
 これは①の発問変更と深く関わるが、話し合いに入る前に児童に「家来」として議論することを予告する。その上でこれまでの義経の活躍の確認し、同時に人物年表も配布して義経の「わがまま」も確認する。つまり、小出しにして徐々に本題に近づける展開をやめて、話し合いのスタート時点で資料すべてを「開示」するのである。児童はすべての事実を知った立場で議論に参加する。「擬己化」で立ち止まらせずに「ペルソナ的擬人化」へとすぐに入っていける環境を作ってやるのである。なお、この形の討論設定は斎藤武夫氏のすぐれた実践「聖徳太子の授業 仏様か神様か」で行われている。(6)
 このような環境を設定した場合、上記で提案した選択肢は以下のように変更されるかもしれない。
A:これまでの功績を考えて罰は与える必要なはい。
B:けじめをつける意味で家来全員の前で謝罪させるべきだ。
C:危険人物として処刑すべきだ。

 浅永が「人物への共感と追求意識」として「人間性が強調されたために感情論に傾いた」と授業を自己分析していることはすでに紹介したが、藤岡信勝は「共感論」として4つの点を指摘している。(7)                    
①「共感」とはアダム・スミスのいう他者の立場に身をおいて考える想像力にある。ゆえに、共感者の知的能力と過去経験に支えられている。単なる感性的認識でもないし、相手と同じ感情を感じることでもない。
②「共感」には発見的意義がある。外側からながめていただけではわかりにくかったいろいろな側面が見えてくることがある。
③「共感」が起こりやすいのは、その人物をよく知っているか、その人物についての情報をたくさんもっているか、その人物と学習者の間に共通項があるか、するときである。
④「共感」を生み出すような他者についての情報は、じつは他者の内面についての情報ではなく、逆にその人物が置かれた状況についてのくわしい情報である。
 浅永実践で言えば、児童が源頼朝や家来の立場に身を置いて考えたり発言したりすることが「共感」である。そこで人物学習の授業づくりにおいては③と④の指摘に注目する必要がある。③はその人物の情報量はたくさんあればあるほど「共感」が起こりやすいと言う指摘であり、④はその情報はじつは内面情報ではなく「状況」という外郭情報こそ重要である、という指摘である。つまり、頼朝の内面情報ではなくその頼朝の置かれた状況-ここで言えば義経の活躍や掟破りの行動、それに対する家来の気持ちについての情報-こそが必要なのである。

◆人物中心の意味
 浅永は人物学習についてこう述べている。
「私は、子どもたちが自らの意欲を持って追求していったこの時のことが忘れられない。しかし、人物の歴史だけでは片手落ちである。人物の生きた時代の様子、事象をつかませたい。つまり、人物の働きを中心に学習することを通してその人物の生きた時代や様々の事象をつかませる必要がある。」(p38・太字筆者)
 浅永氏は人物学習について次のような学習イメージを持っている。それは、人物そのものの学習が先発であり中心であり、これを進めていくと付随的にその時代やその事象が理解されていく、という考え方である。これは浅永だけでなく多くの授業者が持っている一般的なイメージではないかと思われる。
 しかし、ここまで見てきたように子どもの思考を視点論や認識論で分析してみると、むしろ、逆のイメージが必要である。
 その人物が生きた時代や様々な事象をつかませた上で人物の働きを中心に学習する必要がある、というイメージである。
 歴史人物学習における「感情没入問題」とは、学習者自身の狭い思考範囲から抜け出せないまま歴史上の問題を無理に思考させようとして生じるものある。それは、学習者が必要な視点や知識を持てないことで感情的な思考の中を這い回ってしまい、歴史上の重要ポイントに気づけないという問題点を含んでいる。
 これを解消するためにはさまざまな視点で人物を見せる授業展開にすること、人物を取り巻く外郭的な情報をしっかり教材化して与えることが必要であると言えよう。    
 歴史人物学習は歴史の流れをつかませたり、時代イメージを構築するための単純な手段ではない。その人物が生きた時代の知識を得たり、イメージを構築した上で、人物の行動を「意思決定」する思考実験を行い、その経験をもとにその時代の本質を理解させるものである。ぼんやりした時代イメージが具体的な人物の行動を通して明確な時代観へと昇華していくのだと言える。

<引用文献>
(1)大門正克編著『昭和史論争を問う-歴史を叙述することの可能性』(日本経済評論社 2006年 )はしがきⅱ
(2)木村博一「人物学習・どこでどんな論議があったのか」『社会科教育』(1989年7月号 NO326)
(3)藤岡信勝編『ストップモーション方式による1時間の授業技術 小学社会6年』(日本書籍 1988年)
(4)宮崎清孝・上野直樹『認知科学選書1 視点』(東京大学出版会 1988年)
(5)佐伯胖『イメージ化による知識と学習』(東洋館出版 昭和59年)
(6)斎藤武夫『学校でまなびたい歴史』(産経新聞社 2003年)
(7)藤岡信勝「共感から分析へ」『社会認識教育論』(日本書籍 1991年)

2015.01.19(Mon) | 擬人的認識論と人物学習の意味 | cm(0) |