FC2ブログ
プロフィール

mutukawa34413

Author:mutukawa34413
 「本物」の歴史の授業を創るための考え方やアイデアを紹介します。明日を担う賢い日本人を育てるための歴史教育ブログです。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

三人の武将 信長・秀吉・家康(7)

家康の授業である。
なお、この「三人の武将」では家康は1時間だけである。詳しくはこの後の江戸時代の学習で扱いたい。この戦国時代では3人のしんがりとして扱うにとどめる。

<ワークシート・1ページめ>
 信長は「桶狭間の戦い」、秀吉は「高松城水攻め」を導入で取り上げた。家康は「三方原の戦い」での敗戦を取り上げることにする。使用するのは「しかみ像」である。

☆この一枚の絵を見て、気づいたことを箇条書きで書き出しましょう。
しかみ像

徳川家康-大敗北の後に作った「しかみ像」
◆京の都をめざす武田信玄は3万人の兵で、遠江・三河・美濃に同時に攻め込みました。これをくい止めようとする徳川家康の兵力は8000人でした。
リーダーである家康は本多忠勝などの優秀な部下に恵まれ、これまでも部下のアドバイスでいくつかのピンチを乗り越えていました。                                            
◆家康は浜松城にこもって相手を待ち受けました。しかし、武田軍は、浜松城を素通りして三方ヶ原台地を通過しようとしていていたのです。自分を無視されたと考えた家康は怒り、部下たちの反対を押し切って武田軍を背後から襲う作戦に変更しました。ところが、三方ヶ原台地に到着すると武田軍は陣形を作って待ちかまえていたのです。徳川軍はわずか2時間の戦闘で敗れました。家康は命からがら逃げることになったのです。
◆家康は討死寸前まで追い詰められましたが、なんとか浜松城へ逃げ帰りました。浜松城へ到着した家康はすっかり落ち込んでいましたが、しばらくすると部下を呼び、「私が落ち込んでひどい顔になっている絵を書け」と命じました。これは「しかみ像」といって今も残っています。リーダーであるにもかかわらず血気にはやって行動し、多くの部下を失った自分に対するいましめとして描かせたのです。その後、家康はピンチになると冷静に対処するためにときどきこの絵を見て反省していたと言われています。                           
◆この後、間もなく武田信玄は病気になってしまいました。武田軍は作戦を変更して甲斐国へのもどりましたが、この帰り道で信玄は病死してしまいました。 家康にとっての最大の危機は信玄の病死によって逃れることができたのです。

このエピソードを紹介した後に信長・秀吉と同じく次の問を発する。 

☆家康がリーダーとしてすぐれているのはどんな点でしょうか?なるべくたく さん考えて書き出してみましょう。
<ワークシート・2ページめ>
☆徳川家康の政策をリサーチしよう! 教科書の家康についての該当箇所を読ませて、下線を引かせる。
 ここでは ①江戸の町づくり、 ②関ヶ原の戦い、③征夷大将軍に任命される、④武家諸法度には必ずふれるようにする。
 
 エピソードを読ませる。

★家康おもしろエピソード  家康の宝もの
ある日、天下を取った秀吉は家康を自分の城へ招待し、日頃から自慢している名物の茶道具や焼きものを家康に見せました。
「ところで家康殿。そのほうはどんな宝をもっているのかな?」
この秀吉の質問に家康はこう答えました。
「わたしはこのような名物は持っていませんが、わたしを大切にしてくれる500人の家臣がおります。この家臣たちがわたしの宝ものでございます」
家康の家臣たちは「三河武士1人で3人分」と言われるほどでした。なお、三方原の戦いでは3人の家臣が家康の身代わりとなって戦死しています。

 
最後はまとめの感想を書かせる。

★ 「織田がつき 羽柴がこねし天下もち すわりしままに食うは徳川」
三人の関係をうまく表現している川柳です。                  
 信長・秀吉・家康は三人そろって「一人」であるといっても過言ではありません。
そこで、次のことを考えてみましょう。
【まとめ】三人の武将は戦国の世をどんな国に変えたいと思ったのだろうか?あなたの考えを書いて下さい。

 
子どもたちの感想の中からいくつか紹介します。
①信長と家康は、この戦国の世を終わらせ、他の国にほこれるような国にしたかったと思います。大名が天下を統一すれば、他の大名はその天下を統一した大名の命令にしたがわなければいけませんし、天下統一した武将は新しい城や法を作れるので戦いを終わらせることができたのだと思います。また、徳川家康が作った武家諸法度の力で全国の大名がいくさをできないようにし、その法を破ったものは、自分の大事な藩(領地や組織)などをつぶすなどのきびしいばつをうけることで完全に争いを終わらせることができたと思います。

②織田信長は天下統一ぎりぎりで明智光秀にころされてしまったけれど、その後、秀吉が天下をとり、次に家康が天下をとったが、結局三人ともばらばらになった日本の大名たちを一つにまとめて平和にしたかったのだと私は思った。織田信長も、豊臣秀吉も、徳川家康もぶしょうは強いのもそうだけど、みんな頭がいいと思った。

③三人は国を一つにして、いくさがない国にしたかったんだと思います。だから、大名になるために必死で戦ったのだと思います。三人ともとても優しくてけらいを大切にしていたので人気があったんじゃないかなと思います。私は今日やった上にある川柳が気に入りました。三人のことがそのまま書かれているからです。でも徳川も努力をして大名になったわけだから三人とももちをついていると思います。

④信長は商業や工業を発展させ、楽市楽座に変えて、だれでも自由に商売ができるようにし、人々が平等に楽しく暮らせる平和な国にしたかったんだと思います。秀吉は、信長のとをつぎ、天下統一も果たしたので、太閤検地や刀狩令を出して、人々が安心して暮らせる国を作りたかったんだと思います。信長と秀吉は二人とも争いがなく人々が安心して暮らせる国を作りたかったんだと思います。

⑤・織田信長は、自分の国を活気があり、楽しくて強い国にしたかったと思う。
・豊臣秀吉は刀狩や検地などきっちりさせてしっかりした平和な国にしたかったと思う。・徳川家康は平和な国で今でいう工業のようなものをしっかりさせたかったのではないかと思う。
◎そして、この三人は三人とも平和な国を一番にねがっていたと思う。

⑥戦国の世を終わらせ、安定したいくさのない国に変えようと思っていたと思う。なぜなら、大名や農民(百姓)を取りしまっていくさができない状態にしようとしていたからである。徳川家康が江戸幕府を開いたことによって、今の東京は発展した場所になっていると思う。もしも、織田信長が幕府を開いていたらどうなっていたのかを考えてみたい。

スポンサーサイト



2015.02.20(Fri) | 室町・戦国 | cm(0) |

三人の武将 信長・秀吉・家康(6)

 秀吉の第2時である。
 前時の秀吉イメージと知識をもとに刀狩について学習する。今回は当時の農民の立場になって秀吉の政策をリアルに考えさせるのが目的である。言わば間接的に当時のリーダーの意思決定をシュミレーションする学習と言えるだろう。

<ワークシート・1ページめ>
■ワーク(1)戦国時代にはどんな武器が使われたでしょうか?    
 
 まずは当時の武器を挙げさせる。これまでの学習と下のイラストがヒントとなる。   
yjimageCAPYC5IC.jpg
yjimageCAGR1P0M.jpg
yjimageCAFGP22Y.jpg
yjimageCA4F6XK2.jpg
■ワーク(2)                             
 戦国時代の兵士は「農民兵」でした。ふだんは農業をしながらいくさのときには武器をもって出かけました。しかし、武器はいくさのときだけ使われたわけではありません。 どんなときに使ったと思いますか?予想してみましょう。
<あなたの予想>を書いてみましょう。


 狩猟のため、駆除のため、護身用などが出てくる。面白いところでは、剣の練習もしたのでは?弓矢で的あてゲームをした?などの意見も出る。これらも十分にあり得る意見である。
 話し合いの後に2ぺーじめで正解を読ませる。

<ワークシート・2~3ページめ>
 農民たちはいくさ以外にこんなときに武器を使用していました。
①シカやイノシシの狩猟。農作物を食い荒らす獣の駆除。
②盗み・放火・殺人などの犯罪の取りしまり。
③村どうしのナワバリ争い。
④いくさから村を守るため。


 戦国時代の農民にとって、武器はいくさのときだけでなく日常的に必要なものだったことが理解できればよい。
 そして、「ある日、天下人となった秀吉はこんなお触れを出しました」と述べて以下の刀狩令を読み上げる。

■ワーク(3)
「刀狩令」(1588年)を読んでみましょう。

第一条 日本全国の村人は、刀・脇差・やり・鉄砲、その他の武器をもつことは禁止する。じつは村人がよけいな武器をもつことで、年貢を納めるのをしぶったり、一揆を計画したり、領主にはむかったりする。それに、武器をもつと田や畑の仕事をなまけたりするので領主や役人は責任をもって武器を没収すること。

第二条 取り上げた刀・脇差はムダにするのではない。いま、京都に作っている大仏殿で使う釘やカスガイにするのだ。そうすれば仏様のお役にたち、この世はもちろんあの世でも救われる。

第三条 武器をすてて農具だけを手にして農業をがんばれば子や孫の代まで末長く幸せにくらせる。


 続けて以下のお話を読む。

*「刀狩令」を読んだ村人たちがこんな会話をしています。

「おい。秀吉様が出したお触れを読んだか?」
「刀狩令だろ。おれはぜったい反対だ!いくら秀吉様だってこれだけは許せん」
「ずいぶん怒っているなあ」
「当たり前だろ。刀や脇差は俺たちにとって大事な魂みたいなもんだぞ。それを取られて悲しくないのか?」
「うーん・・・確かにそれはさびしいよなあ。刀は<一人前の大人>の証明みたいなものだからな」
yjimageCAFBFGCN.jpg
「そうだろ。それにシカやイノシシを取るのに鉄砲はぜったいに必要だぞ。田や畑を荒らされたときに追っ払うのにも使うからな」
「でも、狩猟や駆除で使う場合は許可書を出せばいいらしいよ。クリキ村のゴン太に聞いたんだけど、許可書を出したら鉄砲は出さなくてもOKになったんだって」
「それ、本当なの?」
「本当さ。秀吉様もちゃんと考えてくれているんだよ」
「でも、去年もモモキ村のヤツらと洋光山のナワバリ争いがあったじゃないか。あのときにおまえがヤリ、おれが刀で相手をおどかしてやったら逃げて行ったよな。それで山を守ったようなもんだ。だから武器は必要だよ」
「それも喧嘩停止令(けんかちょうじれい)というお触れが出て、ぜんぶ秀吉様が公平にお裁きをしてくれるらしいぜ。ナワバリ争いなんかで武器を使うと死者が出て危ないから禁止になったんだって。それにもう天下は統一されたからいくさもなくなったし武器は必要ないんじゃないかなあ」

「おれは信じないぞ。信じられるのは自分だけさ。自分のことは自分で守る気がなけりゃだめだ。秀吉様はうまいことを言って武器を集めて自分のものにしようとしているんだ」「集めた刀は大仏殿の釘やカスガイにするって言ってるじゃないか。仏さまのために使うんだからいいことだよ。信じようよ」

「だまされるもんか!きっと秀吉様は、むかし信長様にはむかった一向宗のような一揆になるのを恐れているんだ。俺たちだって不満に思うことがあったら力で対抗できるようにしておかないと何をされるかわからないぞ」
「そうかな。俺なんかは農業に専念できるんならそっちのほうがいいけどな。秀吉様たち武士を専門にする人たちに守ってもらえれば楽チンだよね」


 ここで子どもたちに意見を問う。

*あなたが当時の村人だったら「刀狩」に賛成ですか?反対ですか?自分の意見を 
 決めて理由を書いてください。どちらかを○でかこんでください。

わたしは    賛成     反対 です。           
 理由は・・・


 自分の立場を明確にさせることが肝要である。4分後ぐらいをめやすにして話し合いをさせる。
 なお、私は6年生3クラスで実践したが子どもたちの意見分布は次のようになった。
 
 1組賛成24名 反対6名   2組賛成27名 反対2名   3組賛成26名 反対4名
  
 面白いことに3クラスとも賛成が圧倒的となった。
 話し合いが終わったら以下のお話を読む。

<ワークシート・4ページめ>
■ワーク(4)
刀狩令が出された後の村のようすを見てみましょう。

<その1 摂津・鳴尾村と瓦林村(1592年)>                  
 二つの村が用水をめぐって争いになった。どちらも弓やヤリをそろえ、馬に乗って大がかりな合戦となり、双方ともに多く死傷者を出した。村から代表が呼び出されて裁判となり、「喧嘩停止令」により39人が死刑になった。さらに裁判は続き、双方で話し合いが行われ用水の権利を絵図にすることで争いは静まった。         

<その2 山城・醍醐の村々(1600年)>
合戦が行われているとき、この村に「城攻め用の竹を集めるのだ」と言って略奪に来た兵士150人が集団で押しかけてきた。
村に住む武士が寺の鐘をつくと、それに気づいた農民たちも武器を持って武士といっしょに一斉に立ち向かった。恐れをなした兵士たちは「助けてくれ」と言ったので見逃してやった。

 不思議な話ですね。「刀狩令」で村から武器はなくなったはずなのに、どの村も山ほど武器を持っています。
じつは「刀狩令」はあまりまじめに行われませんでした。秀吉自身もほんとうに武器を全部集めることなどできっこないと思っていたようです。しかし「刀と脇差だけはできるだけ集めろ」と言っていました。
「刀狩」のほんとうの目的は<一人前の大人>の証明である刀と脇差を集めることにありました。                                    
 刀・脇差を取り上げて農民と武士をはっきり分けようと考えたのです。        
 当時は村に住む「村人」と町に住む「町人」に分かれていました。ここから「武士」を別にして「農業・商業・工業をする人」と「政治・いくさをする人」に分けて専門化し、国づくりを進めようとしたのです。


 秀吉の兵農分離政策の歴史的な意味に気づかせることがこの授業のテーマである。
 なお、高校の先生から「この授業の最後に太閤検地との関連に触れるべきでは?」というアドバイスをいただいた。農業に専念できるようになったのは刀狩令だけではなく、太閤検地による耕作地の確保・耕作権の保障も重要であることを理解させる必要がある、ということである

2015.02.15(Sun) | 室町・戦国 | cm(0) |

三人の武将 信長・秀吉・家康(5)

秀吉の1時間目。

<ワークシート・1ページめ>
☆先生が掲示した戦国の合戦シーンの絵を見て、気づいたことを箇条書きで書き出しましょう。
高松城水攻め


 信長の導入は「桶狭間の戦い」を選んだが、秀吉の導入は「高松城水攻め」を使う。このいくさが秀吉らしさを伝えるのに最適と考えたからである。
 子どもたちは船や高い櫓、右奥に見える「島」のようなものに気づく。当然、「海での戦いかな?」と疑問を持つ。まさかこれが相手方の城を水没させる作戦とは気づかない。この意外性がねらいである。
 これが「水攻め」の様子であることをタネあかししたのち、以下の図も見せてこの作戦の巧みさに気づかせる。
水攻め地図
 
<ワークシート・2~3ページめ>
豊臣秀吉-ピンチをチャンスに変えた水攻め
◆中国地方では毛利氏が最大の勢力でした。天下統一を進める織田信長は家臣である秀吉に命じて毛利氏への攻撃を開始しました。

◆秀吉はまず、小寺氏・赤松氏を支配しました。その後、山名氏を降参させ、吉川経家の鳥取城を攻め落としました。秀吉は苦しい戦いが続き、大事な仲間を失いましたが、じっくりと自分たちの優位を築いてから強敵・清水宗治の守る高松城攻めにのぞみました。

◆高松城は低湿地を利用した沼城(ぬまじろ)で、まわりを沼で囲まれています。攻め込むには細い道を通るほかなく、大軍で攻め立てるのは難しい城です。鉄砲・騎馬戦法にも強い城でした。秀吉は3万人の大軍で城を包囲し、2回にわたって攻撃を加えましたが、逆襲を受けて敗退しました。

◆この状況を打開するために、考えに考え抜いた秀吉は水攻めを行うことを決めました。低湿地にある沼城の利点を逆手にとった作戦です。
 秀吉はすぐに堤防工事に着手しました。長さ約4㎞、高さ8㍍、幅24㍍にわたる堅固な堤防を造り、川の水をせきとめようとするものでした。     
 工事に農民たちを集め、銭100文・米1升という当時としては非常に高額なアルバイト代を与えました。よろこんだ農民たちは、昼も夜も働き、堤防はわずか12日で完成しました。川から引いた水で城の周りは大きな湖となりました。さらに、梅雨の時期に降り続いた雨によって川は増水し、高松城の中にも水が押し寄せました。       

◆高松城内では水攻めという奇想天外な戦法に驚き、動揺が広がりました。食料の補給もできなくなり、助けとなる援軍が来る様子もなく兵の戦う気力も低下してしまいました。ついに城内まで浸水したため、降伏を決意したのです。


☆秀吉がリーダーとしてすぐれているのはどんな点でしょうか?なるべくたく さん考えて書き出してみましょう。

 子どもたちからは秀吉のアイデアの素晴らしさや部下を危険にさらさないで任務を遂行する能力の高さを指摘する意見が出てくる。

☆豊臣秀吉の政策をリサーチしよう!
 
 ここでは教科書を読ませて下線を引かせる。
 なお、大阪城の築城・黄金の茶室エピソード、太閤検地、刀狩令、朝鮮出兵等に必ず触れるようにする。

 最後に3つの秀吉エピソードを読ませる。
 自分はどのエピソードが一番気に入ったか話し合わせると面白いだろう。

<ワークシート・4ページめ>
★秀吉おもしろエピソードその1  ゾウリを温めた
秀吉は若いころ、木下藤吉郎の名で信長の「ゾウリ取り」として働いていました。   
 ある日のことです。寒い冬の日、縁側から庭に出ようとした信長はゾウリをはこうとしましたが、いつものところにありません。すると、ひかえていた藤吉郎がふところから取り出したゾウリをすばやく信長の足下に置きました。
ゾウリに足を通した信長の足の裏にほんわかと温かいぬくもりが伝わってきました。少しでも寒さをしのいでもらおうという藤吉郎の気づかいです。信長はこのような細やかな気づかいができる藤吉郎の才能を見抜き、一国一城の大名へと出世させていきました。


★秀吉おもしろエピソードその2  一夜で城を作った
美濃(いまの岐阜県)の斉藤氏を攻めあぐねていた信長は敵の稲葉山城の近くに小さな城を建てようとしました。秀吉にまかせてみたところたった一夜で墨俣に城を作ってしまいました。
 秀吉は美濃の近くに住む浪人や農民を味方にしました。そして、役割をはっきりさせるために半分で敵を防ぎ、もう半分で城づくりをさせました。作業をスムーズにするために上流の山から切った木はその場で加工して材木にしてイカダに組み、下流に流します。作業現場ではこれを受け取ればすぐに組み立てられます。この城は「墨俣一夜城」と呼ばれました。

★秀吉おもしろエピソードその3  敵にも見方にも笠を配った
秀吉は信長が亡くなった後、柴田勝家と天下をかけて戦いました。このいくさは猛暑の中で行われたため、暑さで倒れる兵士が続出しました。すると、秀吉は近くの農家からスゲ笠を大量に買い込み、敵味方の区別なく負傷者にかぶらせてまわりました。兵士たちはこの心づかいに感動し「秀吉様のためならなんでもやるぞ」と心にちかったと言います。

2015.02.15(Sun) | 室町・戦国 | cm(0) |

三人の武将 信長・秀吉・家康(4)

 第3時である。
信長の2時間目。前時に学んだ信長イメージと信長についての知識をもとにして「信長体験」をしてもらう。つまり、信長に「なって」考えてみるのである。
導入に安土城の絵を見せるところから始める。

<ワークシート・1ページめ>
◆信長は安土(いまの滋賀県)に大きな城を造り、天下統一を進めるための拠点にしようと考えました。この安土城の絵を見て気づいたことを箇条書きで下のノートに書き出してみましょう。
a href="http://mutukawa34413.blog.fc2.com/img/20150106170052bf3.jpg/" target="_blank">安土城

子どもたちからは中央の山と天守閣にはすぐに気づく。
その他、以下の点にも気づいてほしい。                     
*山全体が城になっている。                           
*湖(海と考える子もいる)に面していて、橋でつながっている。
*山の麓に家屋が見える。村らしきものがある。
 この導入で信長の居城である安土城とその周辺環境に興味を持たせる。
次にメインの課題を提示する。

<ワークシート・2~3ページめ>
◆戦国シミュレーション 安土にナンバーワンの都市をつくろう
 信長は安土を日本一の町にしたいと考えました。
 そのためにはたくさんの人が「ここに住みたいな」と思うような町づくりを進める必要があります。
 そこで、みなさんに信長になったつもりで安土の町づくりを考えてもらいます。
 安土をできるだけたくさんの人が「ここに住みたい」と思う町にするにはどんなことをすればよいでしょうか?


子どもたちには「前時に勉強したことも思い出しながら、次のお話を参考にするように」と投げかけて以下のお話を範読する。なお、気になるところには下線を引くように指示する。

◆さてある日のこと、信長は貧しい農民に変装して安土近くの街道に出向き、こっそりと農民や商人の会話を聞き、町づくりに生かそうと考えました。
 あなたもこの会話を町づくりの参考にしてください。

「なんでも、こんど信長様が安土に新しい町をつくるそうだ」
「信長様はいずれは天下を取るお方だからな。いい町になるように期待したいよ」
「メッちゃでっかい城が建てられているらしいぜ」
「へえ!それは見てみたいな。でっかい建物なんてそうそう見られるものじゃないからな。どうせなら近くで見てみたいもんだ」

「ところで、おまえさんはどこから来た?」
「大阪の堺からだ」
「ほう、堺か。あそこはにぎやかな町らしいなあ」
「商人がたくさん集まって店が軒を連ねているから、日本中からものの売り買いで人が集まるんだ」
「堺は港があるもんな。重いものや大量の荷物を運ぶにはなんといっても船が便利だよ」「日本だけじゃないぞ。西洋人たちとの貿易もさかんなんだ」
「聞いたことがある。バテレンの宣教師たちが南蛮寺も立てているそうだな」
「そうだ。バテレンがキリスト教を広めるために貿易にも力を入れるからなんだよ。西洋の商人も宣教師といっしょに遠いヨーロッパから来るってわけだ」
yjimageCAVFW5VJ.jpg

「ところで昨日、そこの木の下で話をした茶碗売りの商人が怒ってたなあ~」
「どうして?」
「川を使って舟で茶碗を運んできたらしいんだが、ここに来るまでになんと10カ所も関所があって高い通行料を取られたらしいんだ」
「知ってるよ。土地をたくさん持っているお寺が勝手に通行料を取るんだよな。だいたいお寺が通行料で金儲けするなんてひどいよ」
「それだけじゃなくて。その茶碗売りがお店を出して売ろうとしたら、同業者の座の連中が店を出すにはお金が必要だ!と言ってじゃましてきたんだって。お金を出して座に入らないとダメらしいんだが、新人はなかなか入れてもらえないらしい」 「ひどいなあ。それじゃこれからがんばろう!っていう人にチャンスがないじゃないか」

「おっと、ところであんたはどこから来たんだい」
「おれは越前(いまの福井県)で農業をしていたんだが、いくさのたびに戦争しなくちゃならないだろ?自分の田んぼが敵にやられないためには殿様といっしょに戦わなくちゃならないけど、農業と戦争と両方やるのはけっこう大変なんだよ」
「そうだよな。田植えや刈り入れのときに忙しくて戦争なんかやってられないもんな。もっと落ち着いた生活がしたいもんだよ」
「それにしてもこの頃は物騒だ。世の中が安定しないから強盗や泥棒もたくさんいるし、チンピラみたいなのもあちこちにいて、危なくって女や子どもはおちおち外を歩いてはいられないよ」                                  「安心して住める町はないのかねえ。信長様にはしっかりしてもらいたいもんだよ」


◆あなたの考えを書いてみましょう。あとでみんなで話し合いましょう。        
 いろいろなアイデアを考えてみてください(あなたは信長ですからたいていことは実行可能です)。これまで学習したことも大いに生かしてください。


町づくりのヒントは基本的にこのお話の中に入っている。
*貿易をさかんにする(湖の水運利用、西洋との貿易など) 
*自由に商売できるようにする(楽市楽座)
*安心して住めるように法律を定める
*農民と武士の仕事を分ける

などは必ず出てくるが、私の実践ではその他に以下のような意見も出された。

*通行も出店も無料にして商売のチャンスを広げる
*港を作って大型船による貿易をする
*観光として安土城の見学会を行う
*空き家を利用して商店街を誘致する
*町の周辺に新田を開発して農民も住まわせる
*イベントを企画するなど交流の場を設ける
*警備員を雇って安心できる町にする
*減税の実施

 実際、信長は城の見学会をやっているし、相撲イベントやパレードもしている。また、戦国時代の大名たちは農民の奪い合いになっていて自分の領地に耕作地を誘致した記録も残っている。

<ワークシート・4ページめ>
◆当時の安土城周辺を想像図で見てみましょう。どんな感想を持ちましたか?
安土

 授業の冒頭に見せた、安土城周辺よりも大規模に都市化した雰囲気がわかる。
最後に次のお話を読ませる。

◆信長の町づくり
①家臣をお城のそばに住まわせた                          
 当時は農民がいくさのときに武器を持って戦う「農民兵」だったのですが、信長はこれを「専門兵」に変えました。ですから信長軍は強かったのです。そこで、「専門兵」になった自分の家臣を田や畑のある村からお城のすぐそばに引っ越しさせて家族全員で住むようにしたのです。こうして町ができました。

②自由に商売させた
 家族みんなで住むようになれば生活で必要なものを安く買えるお店が必要です。   
そこで信長は、「楽市楽座」でだれでも自由に商売ができるようにしました。新しく商売をしたいなと思っていた人たちがどんどん安土に集まってきたのです。また、関所も廃止したので商人たちはたいへん喜びました。
さらに、たくさんの人たちが集まって来られるように橋を作り替え、道路の幅を広げ、並木道を作りました。暑い日には木下ですずむことができて好評でした。

③安全を保障した
強盗が出てきて夜どころか昼でも安心して歩けなかった町も、信長が支配するときわめて平和になりました。犯罪を厳しくとりしまったからです。それからは夜でも戸を開けて寝られるし、昼間は旅人が荷物を道ばたに置いて昼寝ができるほどになったと言われています。とくに有名なのは安土につながる中山道の通行の安全を保障したことです。

④その他
*キリスト教の布教を許し、南蛮寺(キリスト教の学校)も作られました。安土にはヨーロッパの宣教師や貿易商人もきっとたくさん来ていたことでしょう。
*安土城の建設現場を自由に見学させました。

2015.02.15(Sun) | 室町・戦国 | cm(0) |