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mutukawa34413

Author:mutukawa34413
 「本物」の歴史の授業を創るための考え方やアイデアを紹介します。明日を担う賢い日本人を育てるための歴史教育ブログです。

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聖武天皇(3)

 聖武天皇の2時間目である。 
 本時は聖武天皇の詔を読み、奈良時代の役人になって大仏づくりを呼びかけるためのキャッチフレーズを作る。
 なお、導入は東日本大震災の画像を見せることで始める。
 ワークシートを使用する。構成は仁徳天皇の時と同じA3版である。

 授業の冒頭を次のように始める。
「前回の終了時に予告しておいたように東日本大震災のことを思い出してくれましたか?今から5年前のことです。君たちは1年生だったよね。じつは今日の聖武天皇の学習と関係があるんです。では、その当時の画像を見てみましょう」

救助活動
支援物資
支援活動
募金活動
天皇皇后両陛下


 実際は18枚の画像を見せた。内容は、津波による被害2枚・自衛隊や海上保安庁・警察による救助活動3枚・亡くなった方への黙祷1枚・避難する人2枚・支援活動8枚(飲料水や食料、医療ケア、プロ野球選手や欧州サッカーで活躍する選手たちの募金活動等)・天皇皇后両陛下のご訪問1枚・被害マップ1枚である。

 東日本大震災の画像を見た後に次のような話をする。
「このような国が立ちゆかなくなるほどの大きな災難を国難と言います」
 <国難>と書いたカードを見せる。
「いま日本は国難に立ち向かうために日本人全員で頑張っていますが、じつは奈良時代にも東日本大震災と同じぐらい大きな国難があったんです。見てみましょう」
 ワークシートを配布する。

<1ページ>
◆奈良時代の年表をみてみましょう。

神亀元(724)年  聖武天皇が位につく

天平2(730)年  雨が降らず日照りが続き、作物が実らない。役所に落雷・雷雨及び火災。

天平4(732)年 雨が降らず日照りが続き、作物が実らない。政府から使者を出して雨乞いのために神に祈る。お年              寄・身寄りのない人に食料を援助する。
7月15日 地震発生
8月4日  台風襲来
8月27日 台風襲来 人家・寺が多数倒壊

天平5(733)年 飢饉が全国にひろがる。
*稲を無利息で貸し出す
*食料などの緊急支援物資を送る

天平6(734)年 4月7日 大地震発生 家屋倒壊・死傷者多数。
*被害状況を調査する
*稲を無利息で貸し出す
*税金を納めるのを延期する

天平7(735)年 9月 大地震発生。伝染病(天然痘)が流行 死者多数。作物が実らず凶作。
*災害がなくなるように各寺で仏に祈る
*お年寄・障害者・身寄りのない人に食料を援助する

 天平8(736)年 作物が実らず凶作
*災害がなくなるように全国の各寺で仏に祈る

天平9(737)年 伝染病(天然痘)が再び流行。死者100万人以上 全人口の30%が死亡。朝廷の大臣たちも伝染病で死亡者多数

天平13(741)年   
*国分寺を全国に建てるように詔を出す



◆天平6(734)年7月12日 聖武天皇の詔(みことのり・「詔」とは天皇が自分の心を表してみんなに伝えたものです)

 わたしが民を治めるようになってから、10年がすぎた。だが、日照り が続き地震が起こり、飢餓によって人々の心が荒れてしまい、犯罪が増えている。こうなってしまったのは、わたしのリーダーシップがたりないか らである。
 責任はすべてわたし一人にある。民にはなにも責任はない。
 そこで、犯罪を起こした者に自分の力でやり直すきっかけをつくるために、罪を許し釈放する。ただし、法律に決められている重大犯罪者(殺人犯・強盗犯・誘拐犯など)をのぞく。

  ※みなさんはどんな感想を持ちましたか?

 
 子どもたちからは、災害が繰り返されていることや伝染病での被害の大きさが出される。
「そうですね。ですからこの時代のリーダーである聖武天皇の課題はこうなります」
 次の言葉を書いたものを掲示する。
<国難をどう乗り越えるか>
 「ではその聖武天皇はどんな人なのか見てみましょう」
 次に詔を読む。
 聖武天皇の詔の感想では「責任感が強い」「民のことを第一に考えている」「やさしい人だ」などが発表された。

<2・3ページ>
◆災害が続き、悩んでいた聖武天皇は河内(いまの大阪)にある知識寺という小さなお寺に立ち寄り、一体の仏像と出会いました。
 聞くところよれば、この寺と仏像は貴族や豪族がお金を出して作ったのではなく、この周辺に住む民たちがそれぞれわずかなお金を持ち寄ったり、みんなで仕事を分担して建てたものだというのです。
 聖武天皇は感動しました。
「これだ!これと同じように大きな仏像を全国の民と一緒に作ろう。そうすれば・・・」

◆天平15(743)年10月15日 大仏建立の詔

 わたしは天皇の位についてからというもの、この世に生きているものすべてを助けようと心がけ、慈しみの心をもって民を治めてきた。そのわたしの心は国中に伝わっていると思う。しかし、仏の教えのありがたさはまだまだ国中に行き渡っているとは言えない。そこで、仏の教えの力で天地が安らかになり、この国の未来にも残るりっぱなことを成しとげて、生き
るものすべてが栄えるようにしたいのだ。

 わたしは、金と銅で大きな仏像をつくろうと思う。国中の銅を集めて大仏をつくり、山を削ってお堂を建てるのである。この大仕事のことを広く国中に呼びかけて、賛成してくれる者を仲間とし、最後には全員が仏の教えで救われるようにしたい。

 いまの世の中の富と力を持っているのはわたしだから、わたしが大仏をつくろうとすれば簡単にできるだろう。しかし、それでは大仏をつくる本当の意味が成しとげられたとは言えない。魂の入っていないただの形だけの仏をつくることになってしまう。
 また、この大仕事を行うにあたって心配していることがある。それは、この国の民に苦労をさせるだけになってしまい、仏の教えもわからないままに終わってしまうのではないかということである。

そこで、わたしの仲間として大仏づくりに参加する者は、誠実な心で仕事をして、幸せをつかみ、一日に3回は心の中で仏を拝んでほしいのだ。
これに自分からすすんで賛成する者は、その気持ちを大事にして大仏づくりに参加してほしい。もし、一本の枝、ひとつまみの土などのわずかなことでもすすんで仕事に参加したいという者がいれば喜んで受け入れたい。

 なお、役人たちに言っておく。この仕事を理由にして民の財産を取ろうとしたり、税金を高くしようとしてはならない。このことは国中すべてに伝えるようにしなさい。



☆聖武天皇がみんなに伝えたい大事なことは何だと思いますか?
★みなさんも大仏づくりに参加してみましょう。奈良時代の政府の役人になってください。
  聖武天皇の詔を読んだあなたは大仏づくりの仕事に全力をつくすことを決意しました。 
 「聖武天皇の気持ちを正しく伝えたい。そして、大仏づくりにできるだけ多くの民が参加してほしい!」と思ったあなたは、より多くの民に参加を呼びかけるためのキャッチフレーズを作ることにしました。


※キャッチフレーズとは、宣伝に用いられる短い文のことです。短い文でわかりやすく魅
力を伝えます。その後に、民へのよびかけの文章を書いてみましょう。下のCMの例を参考にして下さい。

例1: すぐおいしい、すごくおいしい
-こんなにおいしいものがたった3分でできるなんて、驚きです。ぜひ、みなさんも食べてみて下さい。

例2:ココロも満タンに
-燃料がなければ車は動きません。でも、人間だって幸せな気持ちがなければやる気が起きません。やさしい心で     待ってます。

例3:ありがとう。いい?くすりです
-体調が悪いときはこの薬をどうぞ。きっと痛みをとってくれるます。いい薬だと言ってもらえるように作っています。

例4:そうだ、○○へいこう
-毎日お仕事ごくろうさまです。のんびりしたいなあ、と思っているあなた。旅行に行きましょう。行くなら美しい自然と    すてきな人がいる町が最高です。

□あとで、作ったキャッチフレーズをお互いに発表しましょう。


 ここでキャッチフレーズを作らせるときの大事なポイントは
 ①聖武天皇の心を正しく伝えること
 ②多くの民が参加したいと思うこと
の2つである。
 作業に入る前に
「聖武天皇が伝えたかった大事なところはどこなのでしょうか?」
と発問して子どもたちの意見を板書しておく。以下のような点が子どもたちに指摘された。

*仏の力で助けたい
*全員救いたい
*すべてが栄えるように
*魂が入ったもの・心のこもったもの
*自分の仲間になってほしい
*やる気のある人に来てほしい

 この板書がキャッチフレーズづくりという子どもたちの知的作業を助け、本題からはずれることなく学習課題に取り組むための支援にもなる。

 では、子どもたちが作ったものの中からいくつか紹介しよう。
①大仏最高!
-国が危ない!大仏づくりに参加して国を救う救世主になろう!!
  聖武天皇の言葉「大仏を作って国を救って下さい」

②やる気魂
-やる気のある人だけでいいです。無理矢理来なくてもいい。でも、作るのであれば魂の入ったものを・・・。さあ、大仏を造ろう。一つまみの手伝いでも・・・。みんなでのりこえよう。

③すくおう、その手で、この国を
-今この国は激しい災害や日照りが続き、民は苦しい生活を続けています。苦しんでいるのはあなただけではないのです。あなたのその手で国をすくいませんか?ぜひ大仏づくりにご参加ください。力をかしてください。

④ひとつまみの幸せ
-皆で力を合わせれば、あっという間にすぐ完成。枯れ木も山のにぎわいです。ひとつまみひとつまみとコツコツコツコツ続ければ、やがていつかは完成し、大きな幸せをつかめます。

⑤ありがとう聖武天皇
-民のみなさん。聖武天皇は自分のために大仏を作るのではありません。民のみなさんのために魂をこめて大仏を作りたいのです。どうですかみなさん。聖武天皇だけでなく民のみなさんのためにも大仏を作りませんか。

⑥日本を変えよう!
-聖武天皇と一緒にこの日本を変える大仏づくりに参加しませんか?きっとあなたの生活も豊かになるでしょう。

⑦形だけではだめだ
-聖武天皇はこの世に生きているもの全てを助けようと心がけています。大仏は聖武天皇だけでも作れるけれど魂が入りません。魂を入れましょう。

⑧小さいことから
-一本の枝、ひとつまみの土でもいいから力をかして下さい!どんなに小さいものでもコツコツとがんばりませんか?そして聖武天皇と一緒に大仏を完成させよう!日本を変えるために!!

⑨日本を救おう
-あなたが参加すれば日本が救われる。救いたい人は心をひとつに大仏づくりに協力すれば救世主になれます。

⑩そうだ大仏をつくろう
-大仏づくりに協力して仏様の力をかりて幸せをつかもう。枝一本だけでもOK

⑪大仏造りますか、人間やめますか
-大仏を造らなかったら天然痘、台風、地震、餓死・・・。死んでからでは取り返しがつきません。

 授業の中では机間巡視しながら5~6作品を選び、画用紙と黒マジックを渡してキャッチフレーズのみ書かせて黒板に掲示した。そして、これをクラス全員で鑑賞するというスタイルをとった。

<4ページ>
◇オールジャパンで大仏は完成した!

 天平17(745)年8月23日に東大寺での大仏づくりが始まりました。
この日、聖武天皇はみずから着物のそでに土を入れて運びました。それにならって皇后や聖武天皇の娘、高い位の女性たち、政府の役人たちも土を運んで大仏の土台を作りました。
  そして、河内(いまの大阪府)の豪族がお金を、越中(いまの富山県)の豪族がお米を寄付したのをきっかけに寄付を申し出る豪族が次々と名乗りを上げはじめました。
  さらに、それまでは朝廷と対立していた僧の行基とその弟子たち約3000人も大仏づくりに協力することになりました。
いったいどれぐらいの人たちがこの大仕事に参加したのでしょうか?『東大寺要録』という本にその記録が残っています。

①お金を千貫以上寄付した人          10人
②それ以外にお金を寄付した人   37万2075人          
③材木を寄付した人            5万1590人
④労働に奉仕した人          166万5071人
⑤仕事としてやとわれた人       51万4902人

  合計すると260万3648人の人が大仏づくりに協力したことになります。これは当時の人口の約半分です(のべ人数かもしれません)。
 現代の日本では東日本大震災からの復興を日本人全員の力で進めています。それと同じように奈良時代の人たちも国難を乗り越えるために聖武天皇をリーダーにしてオールジャパンで大仏づくりを進めたのです。

 ☆今日の授業の感想を書いて下さい。


 <子どもたちの授業後の感想文>
*聖武天皇はとても責任感が強い人だと思いました。そして、みずから土を運び、大仏を作ったことがすばらしいことだと思いました。それとお金や材木、お米などを寄付した人もやさしい人だなと思いました。

*聖武天皇はすごいと思った。詔に書いたことで、まさか260万人が大仏づくりに参加したとは予想外のことだった。聖武天皇は自分で責任を負い大仏を作って民を助けたいと思ったところがすごいと思った。

*聖武天皇のやる気の強さはとてもすごいと思いました。そして、たくさんの人が集まって大仏ができたんだと思うと、やっぱりすごいと思います。これからは自分もみんなのために動きたい。

*聖武天皇は民を一番に考え、魂をこめた大仏を作ろうとしました。私は(社会の時間毎回ですが今回はとくに)この行動に感動です。自分だけでは意味がない、民みんなでつくろうというのがきっと本当に大仏が力をはっきしてくれるきっかけになっていくのではないかと思います。今日の社会も楽しかったです。

*信頼できるリーダーがいないとこういうプロジェクトには参加できません。聖武天皇が頼れる人だから、私たちの国を救ってくれたから、みんなが協力してくれたんだと思います。協力って本当にいいものですね。

*聖武天皇は自分より民を優先できるすばらしい人なんだなんと思いました。聖武天皇は民から絶大な信頼を得ていたことがわかりました。

*聖武天皇は仁徳天皇と一緒で民を一番に考えている。

*奈良時代の人も現代の人も苦難を乗り越えてがんばってきたんだなあと思いました。
*なぜ大仏を作ったか、よく分かりました。聖武天皇が位についてからいろいろな国難があってたいへんだったと思うけど、みんなで大仏を作り、少しは国難を乗り越えられたと思う。今日の学習で聖武天皇の性格がよくわかった。

*聖武天皇との大仏づくりでたくさんの人々が参加したことで対立していた僧の行基までが参加したというのが印象に残っています。1700年程前でも人々が協力していたと知って驚きました。私も見習って寄付をしたりしたいと思いました。

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2015.05.31(Sun) | 古墳・飛鳥・奈良 | cm(0) |

聖武天皇(2)

 第1時は以下のように展開した。
(1)平城京
*画像を見せながらいまの奈良県に平城京という大きな都ができたことを説明する。
*「気づくことはありませんか?」と問う。
  「縦横があって四角くなっている」「お寺が多い」等の気づきが出る。
*右京・左京などの構成や唐の長安を手本にして作ったことを話す。
平城京

(2)東大寺の大仏
*平城京の外京に東大寺があることに着目させ、ここに世界最大の金銅製の大仏があることを教える。
*画像で大仏と大仏殿を見る。
大仏殿
大仏と観光客
大仏正面


(3)調べる
*教科書・資料集等で東大寺の大仏について調べてノートに箇条書きで書き出す。
*発表する。
*発表後に大仏開眼式の画像を見る
開眼式1
開眼式2


(4)教科書穴埋めプリントをやる

 (3)がメインの学習となる。ここで大仏や大仏づくりに関わるいろいろな情報を得ることになる。子どもたちは自分で調べる学習を通して大仏の材質や伝染病の流行、行基などの人物についても知ることになる。

2015.05.31(Sun) | 古墳・飛鳥・奈良 | cm(0) |

聖武天皇(1)

 みなさんは「聖武天皇」と言われて某かの人物をイメージできるだろうか。
 東大寺の大仏はイメージできてもそれを作った聖武天皇をイメージできる人はまずいないだろう。私は自分の周囲の数人に聞いてみたが、その全員が「まったく思い浮かばない」と言っていた。かく言う私も同じだった。
 また、ぼんやりとしたイメージが浮かんだとしてもそれはいかにも「ひ弱」というマイナスなものであることが多い。「有名な巨大大仏」との対照によってそうなってしまうのだろうか。 
  森本公誠氏は言う。
「聖武天皇がひ弱で優柔不断な人物だというのは、実は皇国史観の呪縛から解き放たれた戦後の日本史学界の動向に遠因があろう。唯物史観への雪崩を打つような論調の中で、天皇制否定論ともあいまって、天皇の治績を否定的に論じることが流行のようになっていた。教育界に与えたその影響は大きく、たとえば中学生の修学旅行を引率してきた教師が大仏殿に来て、「先生は入らないが君たちは二百万人もの人民を酷使してつくった大仏をよく見て来い」といって、出口で待つといった調子である」(森本公誠『聖武天皇 責めはわれ一人にあり』講談社 p22)
  森本氏はさらに以下のように続ける。
「筆者は十五歳で入寺し、東大寺に籍を置く身である。つねづね、ひ弱で優柔不断な人間がどうしてこのような大仏を造ることができたのか、と素朴な疑問をいだいてきた」(同p22)
  巨大プロジェクトを発想した人間やそれをまかされた人間が「ひ弱」「優柔不断」だとは到底思えない。
  この授業の最大の課題は従来の<思い浮かばない状態>や<「ひ弱」なイメージ>を改善して巨大プロジェクトを立ち上げた力強い聖武天皇イメージを明確にすることである。
もうひとつある。
 大仏建立の目的を当時の情勢に照らしてくっきりと浮かび上がらせることである。
 大仏建立の動機のひとつとして教科書では災害や疫病ついて触れているが、その規模や深刻さについての記述はほとんど皆無だ。当時の災害の具体的な情報を児童に与える必要がある。とくに当時の人口の30%が死亡した疫病(天然痘)についての情報は重要である。
  私は、この当時の災害等について調べていたときにわれわれ現代の日本人が経験した東日本大震災と重なって見えた(宇治谷孟『続日本紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫 1992年)。この未曾有の災害と奈良時代の災害・疫病を同じ民族が経験した「国難」として意識させることで当時の人々と同じ目線を持つことができるのではないか。
  誰もが認める国家規模の目標がなければあのような巨大プロジェクトが実行に移されるわけはないからである。

2015.05.31(Sun) | 古墳・飛鳥・奈良 | cm(0) |

仁徳天皇(3)

 仁徳天皇の第2時である。
 本時が本番である。当時の大和人に「なってみる」ことで仁徳天皇の善政を追体験する。
 授業では以下の内容をワークシートにして授業を行った(A3版にA4で表裏4ページ分として印刷したもの。真ん中で折るとちょうど表紙→見開き(2ページ分)→裏表紙となる。

<1ページ>
◆『日本書紀』に書かれている仁徳天皇のお話を読んでみましょう。
 
仁徳天皇


ある日のことです。いつのもように仁徳天皇は高殿に登り、宮殿のまわりのようすをじっとごらんになっていました。天皇は家来たちを集めてこう言いました。
「宮殿の高殿に登って遠くをながめてみると、民の者たちの家から煙が出ていないことに気がついた。これは民たちが貧しくて、かまどで食事を作ることができないからにちがいない。都の中ですらこうなのだから、都の外はもっと厳しい状態になっているのだろう。そこで今後、3年間は税金を取るのをやめて、民の苦しみをやわらげようと思う」
  宮殿では、自分たちもできるだけムダをなくすために衣服やはきものは切れて破れるまで使い、食べ物は腐らなければ捨てないことにしました。また、宮殿の周囲をめぐらしている垣や家の屋根がこわれても修理はしません。夜には星が部屋の中から見えてしまうほどです。
  こうして3年がたつと農作物も豊かに実り、民の生活はだんだんとよくなっていきました。そして、家々のかまどからも煙が立ち始めました。
  天皇が高殿に登って見回すと家々のかまどからさかんに煙が立ち上っていました。天皇は、
「もうこれで心配ない。わたしもようやく豊かになったな」
とおっしゃいました。すると、皇后がたずねました。
「なぜでしょうか。たしかに民は豊かになりましたが、宮殿は壊れても修理できず、屋根も壊れて着ているものもぬれてしまっています。これで豊かになっていると言えるでしょうか?」
  天皇はこうお答えになりました。
「家々のかまどの煙が国の中に満ちている。民が豊かになるということは自分が豊かになるということだ。民が貧しければそれは自分が貧しいのと同じだ。この国を治めるリーダーとして民こそが国の根本であることを忘れてはいけないのだ」

◇みなさんはどんな感想を持ちましたか?
  
 児童からは「民のことを第一に考えている」「とてもやさしいリーダーだ」などの感想が出てきた。

 上記の「民の竈」のエピソードを読んだのちにメインの課題へ進む。
<2・3ページ>
★大和の国に来た旅人の日記・古墳に驚く編★

 こんどは先生の作った架空の日記を読んでもらいます。古墳時代に朝鮮から大和に来た旅人がどんなことを考えたのか?を想像して書きました。この人は百済という国から来たという設定にしてあります。

海から見た仁徳陵


◆4月25日 小雨
 ようやく着いた。自分の国・百済を出発して船に乗り、九州というところに着いたのだ。めざす大和の国はまだまだ遠い。ここで大和の国の役人と仲良くなり、いっしょに行くことになった。次に船で航海する海は瀬戸内海というおだやかな海らしい。一安心だ。

◆4月30日 快晴
 船にゆられて数日。船から大和の国が見えてきた。最初に目に飛び込んできたのは山のように巨大な建物だ。太陽の光を反射してピカピカ光っている。船に乗っていた男にたずねると「あれは神聖な大王の墓だ」と言う。それにしてもよくこんなにも巨大なものを作ることができたものだ。
 船を下りるとそこはたくさんの人が行き交う大きな町だった。百済や新羅にも大きな町があるが、それと同じぐらいにぎやかな町だ。いつのまにこんなににぎやかな国になっていたのだろう。もっと驚いたのは船の上から見たあの巨大な墓だけでなく他にもいたるところに大きな墓があることだ。こんなに大きな建造物をたくさん作っているとは、この国は思っていた以上の力を持った国だ。

◆5月1日 晴れ
 これらの墓は大王だけでなく豪族のリーダーたちのものもあるらしい。だから、たくさんあるわけだ。さらにあのいちばん大きなものはこの国のいまの王である仁徳という王のものだという。どうやら身分の高さによって大きさが変わるようだ。

◆5月2日 晴れ
 墓のなぞは深まるばかりだ。墓は○と□が組み合わさった不思議な形をしている。なぜみんな同じ形をしているのか?この形の墓は大和だけではなくほぼ全国にあり、国中の豪族のリーダーが大王と同じ信仰を持ち、大王の仲間であることの証拠だという。仲間同士でモノの売り買いや戦いのときなどにいろいろと協力し合っているらしい。豪族たちは助け合うことでお互いに治めている国を豊かにしているのだろう。

◆5月3日 晴れ
 なんとラッキーなことにあの友だちのはからいで、巨大な墓の敷地に入る許可がおりた。墓の上に登ってみると、まわりには「はにわ」という素焼きの壺のようなものが並べられている。○の部分には四角に区切られた場所に人や動物、家や兵士のはにわもおかれている。ここは儀式をする場所だ。巨大な墓はたんなる墓ではなく神に祈るための場所らしい。いまの大王が死ぬと神になる。そして、生きている王が政治をして民を助け、死んだ王が神になり地震・日照り・台風などの天変地異から民を守る仕事をするらしい。

◆5月4日 曇り
 現在の王である仁徳の墓は完成に15年かかったという。工事に参加した人は一日に約2000人。15年間で60万人以上の人が働いたことになる。しかも、いろいろな職業の人がいる。その人たちがくらしていくために商売をする人がさらにたくさん集まって大きな町ができたのだろう。巨大なものを作ることとこの国の発展は関係がありそうだ。

◆5月5日 曇り
 この国は巨大な墓を作るのに必要な高度な土木技術も持っている。聞くところによれば「はにわ」づくりの技術はわたしたちの国から来た渡来人が伝えたのだという。自分の故郷が役に立っていると聞いてうれしい。それにしても、この国の人たちは他の国から学ぼうとする気持ちがとても強い。大和には渡来人の子孫もたくさん住んでいるらしいが、ここに住みたくなる気持ちもわかる。こんなに発展している新しい国で自分の力をためしてみたいと思うのだろう。

 巨大な墓に興味をもったこの旅人は、大和朝廷の役人や工事に参加した人などにインタビューしました。

 <あなたはなぜ、仁徳天皇の巨大な墓づくりに参加しようと思ったですか?>

 いろいろな答えが考えられます。この当時の人になったつもりでたくさん考えて下さい。

 
 2つのクラスで実践したが、どちらのクラスもおおよそ大別して6つのカテゴリーの意見が出てきた。

<A:恩返し>
「仁徳天皇は町の人に好かれていて有名だったからです。感謝したい」
「仁徳天皇にはいつもお世話になっていてお礼のできないので恩返しとして参加したいと思いました」
「仁徳天皇が国を豊かにしてくれたから、その恩返しがしたい」
「仁徳天皇は、すごくやさしくて自分のことよりも私たち民のことを心配してくださった。だからこそ、その恩返しのつもりで、仁徳天皇の墓を作ろうと思った」
「大王の墓が作れるなんて光栄だから」
「仁徳天皇のことを尊敬しているので亡くなってしまったから、「ありがとう」の気持ちをこめて天国に行って欲しい」
「こんなえらい人のお墓を作れるなんてとてもすばらしいことです」

<B:神になって助けて欲しい>
「仁徳天皇がなくなって神になったときもしかするとこの古墳を造ったお礼としてなにかあったときに助けてくれるかもしれないからです」
「亡くなった人は神になるのだから、墓づくりに協力すれば自分がピンチになった時、神が手をさしのべてくれるかもしれないから」
「いまの大王が死ぬと神になり地震や日照りや台風などから私たちを守ってくれますから」

<C:好奇心>
「たくさんの人と協力してなにかをつくりあげてみたい」」
「世界一の墓を作ってみたい」
「自分の名をあげたい」
「どのくらいできるのか自分をためしたい」
「人生で一度だけでも大きなことをなしとげたいから」
「みんなの役に立つのはみんなもうれしいだろうし、自分も役に立っていると考えると気持ちがいい」

<D:給与>
「ぼくの家は貧しくて、たくさんお金がかせがなくてはならないので古墳づくりに協力しました」
「いまの職業では家族を支えることができないから墓づくりに参加しました」

<E:国づくり>
「国をもっと強くしたい」
「大和も有名になるから」

<F:技術を学びたい>
「工事に参加して技術がほしい」

 なお、授業の中で意見を出し合う子どもたち同士に面白いやりとりがあった。
①一石二鳥?
  一人の男子が「古墳づくりは一石二鳥だと思う」と発言したのがきっかけだった。
 この子は
「仁徳天皇はいい人だから工事に参加すれば恩返しができて、それに神になってもらって自分たちを助けてもらえるから一石二鳥だと思う」
と発言した。
すると、
「いや、一石三鳥でしょ。だって、お金も貰えるんだし」
「四鳥じゃないの。いろいろな技術を学んで次の墓づくりにも生かせると思う」
と続いた。
  教室全体に<古墳づくりっていいことだらけだね>という雰囲気が漂った。幅広い拡散的な問いの有効性がいかに重要であるかがわかる。
 なぜ古墳を造ったのか?という問いはよくあるが、大抵は「大王や豪族が自分の力を示したかったから」という「正答」が出てエンディングとなる。こうした粗雑な問いでは子どもたちに底の浅い歴史観しか持たせることはできない。

②純粋じゃない?
  ある男子児童が
「家族を支えるために工事に参加した」と発言したのでこれと同種の意見を書いていた別の児童Aを指名して
「ぼくの家は貧しくて、たくさんお金をかせがなくてはならないので古墳づくりに協力しました」と言う意見を発表させた。
 すると
「なんかそれって純粋じゃないよ」
という声が上がった。
私は「純粋じゃないということではないよ」とこの児童の状況設定の面白さをほめて「こういう人も古代の大和にはいたかもしれない」と話した。

  これだけの意見が出てくるのはエピソードの力である。
「民のかまど」のエピソードは子どもたちに大きなインパクトを与えている。歴史教育は政治教育でもあり、公民教育でもあるが「為政者とは民のことを第一に考えて行動するもの」という理想を12歳という「純粋」な心の時代にしっかりと教えるべきである。
 初等教育段階は「国づくりを進めた立派な人」を主役にすべきである。

<4ページ>
□最初に紹介した「仁徳天皇と民のかまど」のお話は『日本書紀』という古い歴史書に書かれています。ここに紹介されているお話がほんとうにあったかどうかはわかりません。しかし、当時の日本にすぐれたリーダーがいたのは確かだと思われます。あのように巨大な古墳がいくつも作られていることがそれを証明しています。
 『日本書紀』の作者は、仁徳天皇のことを民の気持ちをくみ取り、国を発展させたわが国で最初のリーダーとして理想を込めて描いているのだと考えられます。                                                                   

□今日の授業の感想を書きましょう。      
 

児童が書いた感想文の中から主なものを紹介する。
(1)小学生とウィリアム・ゴーランド
*仁徳天皇はすぐれたリーダーだと思った。だから民が仁徳天皇についてくるんだと思った。すぐれたリーダーでなければ、あんなに大きな古墳は作れなかったと思う。

*一番最初に読んだかまどのお話で、仁徳天皇の民を思う気持ちに感動しました。自分と民は同じだという考えは当時、仁徳天皇だけだったと思います。そして、そのずばらしい天皇のために役に立ちたいという気持ちがあるからこそ大勢の人が古墳づくりに参加したのだと思います。

*仁徳天皇は大和の大ヒーローだから、大和の人も大ヒーローのためならと墓づくりに参加したのだと思う。

*仁徳天皇は民のことをすごく。考えていてすごいなと思った。それにその信頼から巨大な古墳を民が造ったこともすごい。しかも、いまでも巨大古墳が残されていることがすごい。

*私がこの授業で思ったことは、みんなが優しいということです。仁徳天皇は国の貧しさを助けるため自分も協力しました。国の人たちは感謝していると思います。だからきっと仁徳天皇の古墳づくりにたくさんの人が参加したんだと思います。古墳づくりに参加した人も、力仕事で大変だったと思うけど、いつもお世話になった仁徳天皇へのお礼でもあったと思います。だから、人に優しく、気持ちを考えて行動すれば、みんなに好かれ、いつかきっと自分にかえってきるんだと思いました。私もたくさんたよられる、りっぱな人になりたいです。

*僕は、あの世界一大きい墓の大仙古墳の中でねむっている人が仁徳天皇だ、という説に納得しました。なぜなら、「仁徳天皇と民のかまど」というお話を読んで、仁徳天皇は、民おもいのやさしい人ということが分かって、そんな人があんなに大きなお墓の中でねむっていないはずはない、と思ったからです。

*ぼくは、今日の授業で、仁徳天皇のやさしさと民の気持ちが分かりました。仁徳天皇の「苦しみをやわらげようと思う」ということが民がわざわざ作ることにつながったと思います。あと「民こそが、国の根本であることをわすれてはいけないのだ」というやさしさもあったと思います。

  以上の感想は最も多かったものである。これは明治期に来日し、大阪の造幣局に勤務しながら日本各地の古墳を調査したイギリス人のウィリアム・ゴーランドと同じ感想である。
「この驚嘆すべき築造物は、疑いもなく、天皇の慈悲深い支配を身をもって感じた人民によって築かれたものである」(『日本古墳文化論-ゴーランド考古論集』創元社・昭和56年 p141)
  ゴーランドは『日本書紀』の仁徳天皇の記述を読んでいるに違いないが、その記述と巨大古墳を結びつける「感覚」は小学生も同じなのだ。当時の大和人たちはなぜこのような巨大古墳の造営に参加したのか?に対する回答としてこの結びつきはナチュラルに納得できる論なのだと思う。ちなみに私はゴーランドのこの言葉を子どもたちに紹介していないし、ほのめかしてもいない。

(2)悪しき為政者イメージの払拭
*ぼくの中で、王様やリーダーは、自分かってな王様しかいないのかなと思いました。でも、仁徳天皇は、民のことを考え、民になったつもりで民をささえたのかもしれません。そんな仁徳天皇はかっこいいと思いました。

*ぼくは、昔の指導者や豪族、大王たちは、みんないばっているというイメージでしたが、仁徳天皇はちがっていて、びっくりしました。古墳の大きさが大きいほど、そのなかにねむっている人が信頼されているのかなあと思いました。

  こうした悪しき為政者イメージがこの年代の子どもの中にあるのは由々しき問題である。だから、市町村の「無風選挙」地帯が増えるのでないか?政治家は立派でカッコイイな仕事なのだ、というイメージを歴史教育の中で培う必要がある。

(3)追体験型のよさ
*先生の作った架空の日記がおもしろくてわかりやすかった。日本は「昔すごい国だったんだな」と思った。

*先生が作った架空の日記があって、分かりやすかった。巨大古墳づくりに参加した人になりきってインタビューに答えるのは楽しかった。

*仁徳天皇は民のことを考えてくれるとてもやさしい人なんだと分かりました。昔の人が思ったことを予想して書いてみると昔の人になった気がして、昔のことを考えることができておもしろかったです。

  人物学習は「エピソード」の追体験である。その有効性を今回も確かめることができた。 どのようなエピソードを選び、どのような設定で児童に追体験させるのかが教材研究の課題である。



           

2015.05.30(Sat) | 古墳・飛鳥・奈良 | cm(0) |

仁徳天皇(2)

 仁徳天皇の第1時である。
  この時間は次のように展開した。
①画像により大仙古墳を紹介し、以下の解説を加える。
*この古墳は世界最大の面積を持っている。
*この古墳がある大阪・堺周辺には大小さまざまな古墳が集中している。
*当時、このような古墳がほぼ日本全国に作られた。
*この巨大な古墳は仁徳天皇の墓ではないか?と言われている。
*当時の完成時は葺石で被われて太陽の光で輝いていた(五色塚古墳の画像を見せる)。
仁徳天皇陵1
百舌古墳群
五色塚古墳1
五色塚古墳2

②古墳築造の想像図を見て気づいたことを出し合う。
③さらに築造過程の別の想像画像を見る。
古墳築造2
古墳築造3
古墳築造4

④教科書・資料集等で調べたことを付け加える。
⑤知識定着のための穴埋めプリントをやる。

  この時間の学習は古墳についての基礎知識と周辺情報を子どもたちにインプットしてもらうことがねらいとなる。これが次時へ布石となる。

2015.05.30(Sat) | 古墳・飛鳥・奈良 | cm(0) |

仁徳天皇(1)

 人物学習は仁徳天皇から始めたい。
なぜスタートが仁徳天皇なのか?二つの理由がある。
一つめは『日本書紀』にある「民のかまど」のエピソードにある。この著名なエピソードは日本人が持っている政治リーダーの理想像を描いている。つまり、仁徳天皇は日本で最初の<理想の政治家>として記録されているのである。
 なお、このエピソードが事実かどうかが問題なのではない。大事なのは『日本書紀』の作者がある意図を持って記録したという「事実」である。
 二つめは世界最大の面積をもつ大仙古墳の被葬者として伝えられていることにある。最近では教科書には「仁徳天皇陵」と呼ばずに「大仙古墳」と書かれている。考古学的な観点からこう名付けられるのは理解できる。しかし『日本書紀』の記述よればこの古墳が河内の百舌(もず)という地名に関連しているのは間違いない。仁徳天皇ではないという決定的な発見がない限りは「伝承」として仁徳天皇と結びつけることに問題はない。
 ところで、上記の二つには重要な関連がある。
明治期に来日したイギリス人のウィリアム・ゴーランドは、大阪の造幣局に勤務しながら日本各地の古墳を調査した。ゴーランドの調査は近畿地方はもとより九州や東北にまで及んでおり、その実証的な古墳研究は現在でも通用すると言われている。
 そのゴーランドが次のような言葉を残しているのである。
「この驚嘆すべき築造物は、疑いもなく、天皇の慈悲深い支配を身をもって感じた人民によって築かれたものである」(『日本古墳文化論-ゴーランド考古論集』創元社・昭和56年 p141)
  おそらくゴーランドは『日本書紀』の「民のかまど」のエピソードを読んでいるはずで、それがあの巨大な大仙古墳と上のように結びついたのである。
 現行の小学校学習指導要領6年社会の「内容ア」には次のようにある。
「農耕の始まり,古墳について調べ,大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際,神話・伝承を調べ,国の形成に関する考え方などに関心をもつこと」
 これに照らせば以下の授業実践の構造は以下のようになる。
*「古墳について調べ」・・・大仙古墳
*「大和朝廷による国土の統一の様子」・・・仁徳天皇の「民のかまど」エピソード
*「神話・伝承を調べ」・・・日本書紀
*「国の形成に関する考え方」・・・ゴーランドの言葉
  巨大古墳と仁徳天皇の善政、そしてそれを結ぶ人民の行動の3つがポイントである。

2015.05.30(Sat) | 古墳・飛鳥・奈良 | cm(0) |