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 「本物」の歴史の授業を創るための考え方やアイデアを紹介します。明日を担う賢い日本人を育てるための歴史教育ブログです。

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東郷平八郎

 日露戦争の学習の第1時となる。
 東郷平八郎を取りあげる。

東郷平八郎肖像

『日露戦争の学習の1時間目です。東郷平八郎について学習しましょう』

<ワークシート・第1ページ>

★下の絵は日露戦争でこれから日本海海戦にのぞむ戦艦・三笠の艦橋のようすです。この絵を見て気づいたことを箇条書きで書き出してみましょう。


三笠艦橋図

児童からは以下のような気づきが出された。そして、それに対して適宜、解説を加えた。
「真ん中に偉い人がいる」
「東郷平八郎だと思う」
『その通り、東郷平八郎です』
子どもたちはこの東郷に関連して「左に剣を下げている」「右手に何かを持ってる」など、東郷の持ち物にも興味を示す。
そこで剣はサーベルという西洋の剣であることから、日本が西洋に学んで軍隊を作ったことや、右手に持っているのは双眼鏡であることを教える。
「黒い服の人に中に白い服の人が混ざっている」
『黒い服の人は将校と言って位の高い人たちで、白い服の人は水兵さんです』
「煙が出ている」
『この煙で当時のエネルギーが石炭であることがわかります』
「布団のようなものがたくさん巻かれている」
『これは水兵さんたちが寝るときに使うハンモックです』(写真を見せる)
「旗があるけれどどこの国のものかわからない」
『これはZ旗と言います。たいへん重要な意味を持っています』
その他にこんな意見も出てきた。
「みんな険しい表情をしている」
『これから戦争が始まる直前なのでその雰囲気が伝わってきますね』
「天気がとってもいい」
「煙がたなびいているので、風が右から左へ吹いているのがわかる」
天気晴朗なれども波高し・・・に関連する意見まで出てきた。
その他「望遠鏡かな?」と距測儀に気づく子もいる。距離を測る道具であることを教える。
また、奥に続く船の存在にも気づく。そこでこの当時の海戦は味方の船が一直線に並んで戦うものであることにも触れておく。

戦艦三笠

ハンモック


<ワークシート・第2ページ>
★日本の運命を変える日本海海戦

①薩摩出身で西郷さんとはご近所
 東郷平八郎は薩摩(いまの鹿児島県)出身です。幕末から明治維新まで活躍した西郷隆盛とはご近所でした。平八郎は先輩の西郷隆盛やその弟・従道に勉強を見てもらったり面白い話を聞かせてもらったりして少年時代をすごしました。

②連合艦隊司令長官になる
 その後、海軍に入った東郷は日露戦争の始まる前に連合艦隊司令長官になりました。現場を指揮するリーダーとなったのです。東郷と同じくリーダーになれる力をもっている人は何人かいましたが、日本の運命を決める日露戦争を間近にひかえ「強い運をもっている」と言われる東郷が選ばれたのです。
 
③バルチック艦隊
 東郷平八郎がひきいる連合艦隊はロシアの2つの大艦隊のうち太平洋艦隊はすでに
壊滅させていました。しかし、もう一つのバルチック艦隊が遠くヨーロッパを出発したという情報が入りました。バルチック艦隊が決戦の地へ到着するには6ヶ月かかりました。
 この間に、連合艦隊は作戦を何度も練り直し、大砲を正確に射撃する猛特訓をくり返し
ていました。
 迎え撃つ準備をしているときの東郷の悩みはこのバルチック艦隊がどこを通ってくるかわからないことでした。対馬海峡ルート・津軽海峡ルート・宗谷海峡ルートの3つが考えられます。しかし、この3カ所すべてに戦力を分けてしまうと力が弱まってしまいます。どこか1カ所にすべての戦力を賭けるしかありません。東郷は「バルチック艦隊は対馬海峡を通る」と予想してこの周辺を警戒しました。そこへ「敵艦見ゆ」とバルチック艦隊発見の連絡が入ったのです。東郷はやはり「運の強い」人だったのです。

④Z旗
 連合艦隊の旗艦である戦艦・三笠に乗り込んでいた東郷は出発を命じ、本部に「艦隊見ゆとの警報に接し連合艦隊はただちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し」と電報を打ちました。
 東郷はバルチック艦隊を見つけると、
三笠にZ旗を掲げました。これは、
「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」(日本が生き残るか滅亡するかはこの戦いで決まる。全員がさらに気持ちを高め、努力してこの戦いにいどめ!)という意味です。


Z旗

<ワークシート・第3ページ>
★東郷平八郎になって考えよう―反航戦か同航戦か

 もし、日本がこの海戦で敗れると制海権をロシアに奪われ、日本から中国大陸へ兵士や武器、燃料や食糧が運べなくなってしまいます。日本の輸送船はことごとくロシアの戦艦の攻撃を受けて沈められてしまうでしょう。
 そんなことになれば、日本の負けは決まったも同然です。
 ですから、この海戦は絶対に勝たなければなりません。また、たとえ勝ったとしても相手を全滅させなければ意味がありません。2~3隻でもロシアの戦艦が残ってしまえば、日本の輸送船はやはり攻撃を受ける可能性が高くなるからです。

 じつは当時の海戦は主に2つの戦い方がありました。反航戦と同航戦です。

   ①反航戦   ②同航戦
①反航戦・・・お互いにすれちがいながら相手に向けて大砲を撃ちます。
②同航戦・・・お互いに同じ方向に進みながら大砲を撃ちます。

反抗戦
同行戦
 
 さて、日本の連合艦隊はロシアのバルチック艦隊とどちらの戦法で戦うか、意見が分かれていました。
 あなたがリーダーである東郷平八郎なら、どちらを選びますか?

◇あなたの意見を書いてみましょう。あとでみんなで話し合ってみましょう。


 意見分布は以下のようになった。
      反航戦   同航戦
1組・・・  15人    9人 
2組・・・  20人    9人

 主な意見を見てみよう。
<反航戦>
「ぼくは、反航戦がいいと思います。すれ違いに撃っているから運がよければ当たらない。東郷は運がいいから当たらないはず」
「同航戦だと大砲の数はバルチック艦隊の方が多いと思うので、撃ち合いを続けたら負けてしまうかもしれないので、反航戦の方がいいと思う」
「同航戦だと相打ちになったり、戦力が高いロシアに1隻ずつやられてしまうかもしれない。反航戦ならこっちが残るかもしれない。反航戦ならば1隻1隻の強さがバラバラでもバランスよく戦える気がする」
「反航戦に賛成です。理由は同航戦だと、ずっと攻撃できるけれど、相手は最強の国だから勝てるとは思えない。反航戦にすればすれちがう一瞬にたくさん攻撃すれば相手から逃れられる」
「反航戦です。同航戦だと戦っている時間が長いので、まともに勝負することになる。それだと相手は最強なので勝つのは難しい。反航戦なら少ない時間にすべてを賭けられる。それに日本は練習しているので、確実に当てられるはず」

<同航戦>
「同航戦がいい。反航戦では、すれ違うときは時間が少ししかない。バルチック艦隊を完全に倒す前に通りすぎてしまうかもしれない。日本は撃つ練習をしているし、運もいいので、平八郎なら堂々と勝負しても勝てるはず」
「同航戦の方がいい。理由はこの戦い方をすれば相手との速度がほとんど同じで反航戦に比べて大砲の当たる確率が高くなるからです。相手は6ヶ月も船に乗り続けているので大砲を撃つ集中力もほとんどなくなっていると思う」
「同航戦です。なぜなら、ロシアの船が2,3隻でも残ったらダメだから、残す確率を低くするために同航戦にした方がいい。大砲を正確に当てるためにはその方が可能性が高い」
「日本はバルチック艦隊を全滅させなければならない。反航戦では一瞬しか戦えないけれど、同航戦では何度も打てるから全滅させやすい」

『じつは、ここまで反航戦がいいか?同航戦がいいか?と話し合ってもらいながら,こう言うのも何ですが・・・じつは東郷はどちらも取り入れたというか、第3の方法を使ったんです。では、その戦法を見てみましょう』

<ワークシート・第4ページ>
★日本海海戦での勝利-敵前大回頭と丁字戦法

 Z旗を掲げたとき、バルチック艦隊との距離は12000㍍でした。
 このまま行けば、連合艦隊はバルチック艦隊に対して平行したまますれ違い、反航戦の状態になります。
 ところが、距離が8000㍍まで近づいたとき、東郷は船の針路を大きく変える指示を出しました。バルチック艦隊の先頭を押さえるような形で左へカーブしたのです。のちに「敵前大回頭」(トーゴー・ターン)と呼ばれる指示でした。
 これは丁字戦法(またはT字戦法)と呼ばれています。大きくカーブするために、船は速度が落ちて相手にねらわれやすく危険です。しかし、味方の大砲をすべて1点に集中して攻撃できる利点もあります。

丁字戦法

 予想通り、バルチック艦隊は先頭の「三笠」に攻撃を集中しました。しかし、ロシア側の砲撃はほとんど当たりませんでした。ターンの間、相手の砲撃にじっと絶えていた連合艦隊はついに攻撃を開始し、丁字戦法から同航戦となりました。
 連合艦隊の射撃は正確でした。バルチック艦隊の主力艦である「スワロフ」「オスラビア」「アレクサンドル3世」などを撃沈し、ほぼ全滅させたのです。日本側の一方的な勝利となったこの日本海海戦は世界中を驚かせました。この海戦での勝利によって戦争終結にむけて大国ロシアとの交渉が可能になったと言ってよいでしょう。

日本海海戦

日本海海戦図

 その後、東郷は負傷して捕虜となったバルチック艦隊のリーダーであるロジェストヴェンスキーのお見舞いに長崎県の病院に出向きました。このとき、東郷は6ヶ月の苦難の大航海を成功させたにもかかわらず惨敗したロジェストヴェンスキーにねぎらいの言葉をかけたと言われています。また、海に投げ出されたロシア兵の多くが、日本軍の救助活動によって助けられました。

『戦艦三笠は今も見ることができます。横須賀の三笠記公園にありますから、よければ見に行ってみてください。京浜急行の横須賀中央駅から歩いて15分ぐらいです』

三笠記念公園

子どもの感想を見てみよう。
*やはり、思っていたとおり日本はすばらしい。世界一に勝った上にロシア軍を助けてあげたなんて、もう言葉にできない。
*日本人は戦った相手を最後は助けるというのがすごい。平八郎は丁字戦法を選んだわけだか、そうとう自分の運に自信があるんだなと思った。
*日露戦争に勝てたのは東郷平八郎さんのおかげだと思いました。ロシアに勝てたのはすごい!日本は頑張れば勝てるんだと思いました。
*東郷平八郎のこの戦法は本当にすごくて感動しました。ロシア兵を助けた日本兵のこの心こそが今の日本に必要なのではない思いました。
*ロシア兵を助けたのはすごい優しいと思います。昨日勉強したイギリス人船長とは大違いだと思いました。でも負傷させられてねぎらいのことばをかけれれたロジェヴィンスキーは悔しかったと思うけど、日本人の賢さと優しさは伝わったと思います。
*ロシアは強い国で、かなわないと思っていたが、勝って日本はもう世界と肩を並べたと言っていいと思う。これに負けていたら今の日本はどうなっていたのか心配になった。やはり、昔の軍人はすごいと思った。

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2015.11.30(Mon) | 日清・日露戦争 | cm(10) |

陸奥宗光

 『前回から日清戦争・日露戦争の学習に入りましたが、ここでその前に大事な出来事が起きました』
 
 陸奥宗光の肖像写真を見せる。

陸奥宗光肖像

『この陸奥宗光が活躍します』

<ワークシート・第1ページ>
★下の風刺画を見て気づいたことを箇条書きで書き出しましょう。


ノルマントン号事件風刺画

 有名なビゴーの風刺画である。
 児童からは以下の気づきが出された。
「奥に壊れて沈没しかかった船がある」
「船は斜めになっている」
「そこからおぼれかけている人が流されている」
「小舟に乗っている人はなんか助けていない感じがする」(教室はまさか?助けないなんて・・・という雰囲気である)
『そうです。助けていません』「えーひどい!」
「船長らしき人が浮き輪を持っているのに使おうとしていない」
「なんだかみんな偉そうにしている」
「タバコを吸って余裕みたいな感じでひどい」
『これはノルマントン号事件と言ってイギリスの船長が乗客の日本人を見殺しにしてしまったのです』

<ワークシート・第2ページ>
★不平等条約改正を成功させた陸奥宗光

乗客を見殺しにしたノルマントン号の船長はなんと無罪となりました。
なぜなら、日本とイギリスの間には治外法権を認める不平等条約が結ばれていたので、日本の法律で裁くことができなかったのです。
当時は日本国内で外国人が行動できる範囲には制限がありました。治外法権があるので自由に行動されると問題が起こる可能性があったからです。ただし、西洋人は「自由に行動させてほしい」と言っていました。


外国人行動制限

『見てわかると思いますが、神奈川県でもこの線の内側しか自由に行動はできない決まりになっていました。では、この不平等条約を改正した陸奥宗光について調べてみましょう』

①海援隊で活躍
 陸奥宗光は紀州藩(いまの和歌山県)の出身です。
 幕末は坂本龍馬の海援隊に入って活躍しました。龍馬は「もし武士をやめても食べていけるのはオレと陸奥だけだ」と言って、宗光の才能を認めていました。

②ヨーロッパで勉強
 明治時代になると、伊藤博文にすすめられてヨーロッパに留学しました。
 宗光は、イギリスで内閣制度・議会などがどのようなしくみで運営されているのか、徹底的に勉強しました。また、伊藤博文と同じく、オーストリアのシュタイン博士について憲法を学びました。

③メキシコと平等条約を結ぶ
 ヨーロッパから帰国すると、外務省で仕事をすることになりました。
 駐アメリカ公使及び駐メキシコ公使として、メキシコとの間に日本最初の平等条約である日墨修好通商条約を結ぶことに成功しました。これで条約改正への足がかりができたのです。

④条約改正に成功
 その後、宗光は第2次伊藤内閣のもとで外務大臣となりました。
 宗光が外務大臣になる前にも、日本は不平等条約を改正するチャンスが何度かありましたが、ことごとく失敗していました。
 しかし1894年、ついに黒船来航以来の不平等条約の改正に成功し、イギリスと平等な条約である日英通商航海条約を結びました。その後、アメリカも同じく平等条約に調印、ドイツ、イタリア、フランスなどとも同じように平等な条約に改正しました。
 宗光が外務大臣の時に、不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正に成功したのです。

⑤日清戦争の下関条約
 日清戦争に勝利したのち、宗光は伊藤博文とともに清国代表と話し合いました。そして、この会議で下関条約を調印し、戦争を日本にとって有利な条件で終わらせることに成功しました。しかしその後、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により、遼東半島を清に返還するもやむを得ないとの立場に立たされました。


<ワークシート・第3ページ>
★陸奥宗光になって不平等条約改正の方針を考えてみよう

 不平等条約の改正は、当時の日本人すべての目標であり悲願でした。
 なぜなら、これがある限り日本は西洋の国々から下に見られ、植民地化の恐怖からのがれることはできません。
 つまり、不平等条約の改正は西洋の国々と対等になることの証なのです。
 
 これまで何人もの日本の政治家が不平等条約の改正にチャレンジしてきましたが、失敗に終わっています。では、条約改正を成功させた陸奥宗光はどのような方針で交渉にのぞんだのでしょうか?

A:国民のがまんも限界にきているので、西洋人の国内での行動制限を完全にする。
 そして、すぐに平等な条約の実施を要求しよう。
 (行動制限+すぐ実施)

B:国民のがまんも限界にきているので、西洋人の国内での行動制限を完全にする。
 しかし、すぐは無理なので5年後に実施する約束で、平等な条約を要求する。
 (行動制限+5年後に実施)

C:こちらも歩み寄る気持ちを見せるために、西洋人の国内での行動を自由にする。
そして、すぐに平等な条約の実施を要求する。
 (行動自由+すぐ実施)

D:こちらも歩み寄る気持ちを見せるために、西洋人の国内での行動を自由にする。
しかし、すぐは無理なので5年後に実施する約束で、平等な条約を要求する。
 (行動自由+5年後に実施)


◇上の4つの中から一つ選んで、その理由を書いてみましょう。後で話し合ってみましょう。


 子どもたちの意見分布を見てみよう。

A・・・1組  1人   2組  1人
B・・・1組  0人   2組  3人
C・・・1組 15人   2組 15人
D・・・1組  9人   2組 10人

 主な意見は以下のようなものである。
*A派
「このままにしておくと危険なことがどんどんおきてしまう」

*B派
発言なし

*C派
「行動自由というのは西洋人が言っていたことなので、それをかなえることで不平等条約改正に少し近づくことができる。でも、5年後だと言ったら相手も忘れるかもしれないし、年月が経ってしまって「前のことは前のこと、今は今」みたいなことを言われてしまうかもしないのですぐにする」
「行動自由と引き替えに条約を改正させる。もし、断ってきたら行動範囲を狭くすればいい。犯罪が起きてもずぐに裁けるようにすぐ実施がいい」
「行動を完全に制限してしまうとナマイキだ!と言われて」改正できなくなるし、5年待っているとあっちもいろいろな作戦を立ててしまうから、行動を自由にするからすぐ改正しましょうと持ちかける」

*D派
「5年度に実施にした方が国民も落ち着くだろうし、5年後と言った方が確実に結べると思うから。行動自由の方が西洋の国々も条約改正の話に乗ってきてくれと思う」
「西洋人を自由にしたら、それなら!と言う感じの気持ちにもなると思うから。今すぐだと混乱してしまうので、計画を一度しっかりと立ててからやる方がいい」
「日本も歩み寄る気持ちを見せないと、西洋のことを嫌っているのかと悪く思っているように見られて改正を申し込んだときに断られてしまう。何よりも信頼し合えば言うことを聞いてくれるはず。でも、今すぐは信頼し合うことはできないので、5年後にする」

<ワークシート・第4ページ>
★条約改正に向けての宗光の演説

 宗光のとった方針はDでした。
 宗光は条約改正に向けて国会で次のような演説をしています。

みなさん!
 私は、明治維新以来、政府がとってきた外交上の大方針を明らかにしていきたいと思います。
日本はこれまで開国主義によって国家を進歩させてきました。明治の始めのころと今の日本を比べてみましょう。
 貿易額は5倍以上になり、陸には鉄道や電線が敷かれ、海には数百もの船が浮かび、軍隊も西洋の国々とひけをとらないほど整備されました。言論の自由も広がり、いろいろな制度も改良され、学問や技術も進歩しました。とくに強調したいのは憲法が作られ、議会が開かれて立憲制度が整ったことです。
この20年間の進歩は西洋の国々も世界に例のないことだと驚いています。

さて、外国との交際はギブアンドテイク(あげる・もらうが平等)でなければいけません。
 日本の中にはいまだに「外国人は危険なので日本国内に住まわせるな!」と言っている人がいますが、これは開国主義に反します。こんなことを言っていたら外国に住む日本人にも同じようなルールが決められて、損をするのは日本人なのです。「条約を改正したい」と思うならば、このような考え方を改める必要があります。
 外国から条約改正を求めてくるなどということはありえません。条約改正を成功させるためには、日本の進歩を外国に示すことです。そして、その進歩は開国主義をとることによって可能になります。
大事なことは、国として受けるべき権利は受け、国として尽くすべき義務をやりとげることなのです。したがって外交で重要なのは、自分の国を大事にしながら謙虚に行動し、外国人を侮らずそして恐れず、互いに尊敬し合う関係を作ることで文明強国の仲間入りをすることなのです。


児童の感想を紹介する。
*陸奥宗光は不平等条約を改正し、日本を動かした人だと言うことがわかりました。演説を聴いて、私がこれを当時聴いたら絶対納得していたと思いました。
*宗光の言うとおり「互いに尊敬し合う関係を作ることで文明強国の仲間入りをすることです」にはとても共感しました。お互いに尊敬し合うことができたなら、仲良くできるし、そういう条約も改正できるから宗光の演説はとてもすごいなと思いました。
*日本は強いことが世界に認められるのも、遠くないと思う。また、イギリス(最も強い国)に条約を結ばせた宗光は、国民のため、未来の日本のためにやったと思う。

2015.11.28(Sat) | 日清・日露戦争 | cm(0) |

日清戦争と日露戦争

 日清戦争と日露戦争の学習の導入に当たる授業である。
 なお、この学習に入る前に次の話を朝の会等でしておく。
『これからは戦争の学習が続きます。その戦争の学習に入る前に戦争について学ぶときの3つの心得をお話ししておきます』

 ①戦争は悪い人がいるから起こるのではない。
 ②戦争には必ず原因がある。
 ③戦争を避けるにはどうすればいのかを考える。

 『悪い人がいるから戦争が起こるという考え方は幼稚です。君たちはもう6年生なのだから、原因を考えて下さい。それがわかれば戦争を避けるにはどうしたらいいのかわかるはずです』

 本時は2枚の地図を見せるところから始める。
 最初に図1を見せて児童に問う。
『図1は間違っています。どこが違うかわかりますか?』
必ず誰かが気づく。
「朝鮮半島がない」「韓国がない」
『そうですね。正しいのは図2です』
と言って図2を提示する。
 なおここで、Aがロシア、Bが清、Cが日本であることを確認する。

日本周辺図①
日本周辺図②

 ワークシートを配布する。
 
<ワークシート・第1ページ>
★下の二つの日本周辺図を見て、考えてみましょう。図1はまちがった地図で、図2は正しい地図です。 なお、Aはロシア・Bは清(中国)・Cは日本です。
 
 この二つの地図を見比べると朝鮮半島が日本にとってとても大事な場所であることがわかります。
 なぜ、大事なのでしょうか? 
 また、これまでの歴史の学習を振り返って、朝鮮半島が日本にとって大事な場所である理由を見つけて下さい。


 子どもたちからは以下のような意見が出てきた。
「近いから」「近いから貿易ができる」「近いからすぐに届けることができる」
「朝鮮だけでなく清とか大陸とも貿易ができる」「近いから新鮮なものが届けられる」
「大事な情報とかもここから取ることができると思う」
『そうか・・・新鮮というのはモノだけでなくて情報と言うこともあるかもしれないね』
「なんか大陸とかから強い国が来るときにここで防げる感じがする」
『防波堤みたいな感じかな?』
「たしか江戸時代には朝鮮通信使とか来ていて日本と仲が良かったはず」
「貿易もしていた」「渡来人とかも来ていた」
『みんなの意見を聞いていると朝鮮半島は日本と近いので貿易などで大事だということですね。朝鮮半島は大陸と日本の間にあります。よく見ていると何かに似ていませんか?』
ここは授業をした2クラスとも「橋みたい」という意見が出た。
『ある人は朝鮮半島は日本にとって大陸とつながる橋のようなものだと言っています。でもこれはこれまでの日本の歴史を振り返るといい橋のときもあったし、こわい橋のときもありました』
<板書>
橋・・・いい橋
    こわい橋
『いい橋のときとこわい橋のときを思い出して下さい』
「いい橋は渡来人が来たり、貿易しているとき」「こわい橋はたしか・・・元寇のときだ」
『そうでしたね。では朝鮮半島が日本にとって非常に重要な場所であることがわかったところで日清戦争と日露戦争の学習に入りましょう』

<ワークシート・第2,3ページ>
★日清戦争と日露戦争を比べて、2つの戦争の共通点を考えよう

日本は明治時代の後半に2つの大きな戦争を経験しています。この2つの戦争についての説明を読んで、共通点を見つけてみましょう。

(1)日清戦争
①朝鮮をめぐって対立
 清は「昔からの決まりで朝鮮はわれわれの支配下にある属国(ぞっこく)である」と考えていました。しかし日本は「朝鮮は独立して新しい近代的な国になってもらいたい」と考えていました。朝鮮半島にしっかりした独立国があることが、日本の安全にとって重要だったからです。
 このように朝鮮をめぐって対立していた日本と清は、朝鮮に出兵する場合には互いに事前通告することを約束していました。
 そんな中、1894年に朝鮮内部で大きな戦争が起こりました。この戦争は、キリスト教に反対するグループが朝鮮政府に対して税金を下げることとと外国人を朝鮮から追い出すことを求めたもので、そこに農民が加わったものです。

②日清戦争始まる
 これを自分の力でおさえることができない朝鮮政府は、清国に出兵を頼みました。清が出兵すると、条約に従って通告された日本も出兵しました。
 その後、反乱はおさまりましたが、日本と清は対立を深めました。
 そして、1894年に日本は清に宣戦を布告し、日清戦争が始まったのです。
 日本軍は、アジア一の大国である清国軍を打ち破り、圧倒的な勝利を収めました。そして、講話交渉が行われ、下関条約(日清講和条約)が結ばれました。
 この条約によって、清は朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島を日本に譲ることになりました。また、賠償金2億両(テール)を支払い、清国の4つの港を開くことも約束しました。

③三国干渉
 ところが、講和条約調印からわずか6日後、中国地域への進出をねらっていたロシアが、ドイツ・フランスと共同で、遼東半島を清国に返すよう日本に要求しました。これを三国干渉と言います。
 西洋の国々に比べて、まだまだ力の弱い日本はこの要求を受け入れました。
 その後、戦争の賠償金を使って官営八幡製鉄所が作られ、日本の重工業の中心になっていきました。

(2)日露戦争

①義和団事件後の対立
 清が日清戦争に敗れて国力が弱くなると、イギリス・ロシア・フランス・ドイツなどが中国地域へ進出してきました。これに怒った清の民衆は「西洋人を追い出せ!」と反乱を起こし、義和団というグループを作りました。これが義和団事件です。
 どんどん大きくなった義和団は北京の各国の大使館を包囲しました。これに対して、日本を含めた8カ国の連合軍が戦い、反乱はおさまりました。

②日露戦争始まる
 しかし、反乱がおさまったにもかかわらずロシアは、軍隊を中国東北部の満州に残して自分の国へ戻ろうとしませんでした。朝鮮半島のすぐ近くに強い力を持ったロシア軍が残ったことに日本は危機感を持ちました。また、独立したとはいえ朝鮮の政府が安定してないことも大きな問題でした。
 1904年、これ以上ロシアに時間をあたえては勝ち目はないと考えた日本はロシアとの戦争に踏み切り、日露戦争が始まったのです。

③世界中を驚かせた勝利
 世界中の人は「この戦争は西洋の大国であるロシアが絶対に有利だ」と思っていましたが、意外にも日本軍が優勢のまま進んでいきました。日本軍は多くの犠牲者を出しましたがロシア軍の拠点である旅順(りょじゅん)を占領し、奉天(ほうてん)での激しい戦いののちこれを破りました。
 さらに海の戦いではロシアのバルチック艦隊を東郷平八郎を司令長官とする日本の連合艦隊が迎え撃ち、撃滅しました。

③ポーツマス講和会議
 しかし、まだまだ国力の弱い日本の戦いは限界にきていました。これ以上、戦争を続けることはできないと考えた日本は、アメリカ大統領ルーズベルトにロシアとの講和を依頼しました。こうしてアメリカのポーツマスにおいて講和会議が開かれ、ポーツマス条約が調印されて日露戦争は終わったのです。


日清戦争図

日露戦争図

◆2つの戦争の共通点を見つけて箇条書きで書き出しましょう。

 児童からは以下のような点が共通点として出された。
*大国に戦争を挑んだ
*どちらも日本が勝利した
*世界中が驚いた
*戦いは日本の外で行われた
*どちらも清国で行われている
*どちらも朝鮮半島がこわい橋になっている
*どちらも国の考え方の違いが原因で戦争になっている
*どちらも講和会議が開かれている
*どちらも条約が結ばれている

<ワークシート・第4ページ>
★日清・日露戦争のころの日本と世界
┌──────────────────────────────────────┐
│     まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている │
└──────────────────────────────────────┘
 これは歴史小説家の司馬遼太郎さんの言葉です。
「まことに小さな国」とはどこの国のことでしょうか?
「開化期」とはどんな時期なのでしょうか?

これは日清戦争・日露戦争を戦っているころの日本のことを言っている言葉です。
 つまり、アジアの片すみの小さな国・日本がようやく世界の大国と肩を並べるところまでやってきて新しい時代に入ろうとしている―という意味だと考えていいでしょう。

この時代は私たちが生きている現代とはちがいます。
強く大きな国が小さな国を自分の国の植民地にしたり、属国にするのは当たり前のことで、決して悪いことだとは考えられてはいませんでした。むしろ、それが常識と言ってもいいぐらいだったのです。

日本の周辺のアジアの国々はみんな西洋(ヨーロッパやアメリカ)の植民地にされています。さいわいにも日本は植民地にならずにすみました。幕末から明治にかけて、私たちの日本人のご先祖様がこれまでつちかってきた知恵と勇気で乗りきってくれたのです。さらに、この2つの戦争を経験した日本人は最後の難関も何とか切り抜けることができました。
 日本はここまできて、ようやく植民地化の恐怖からのがれ、独立を維持することができました。そして、世界と肩を並べられるようになったのです。


児童の感想を紹介する。
*今こうして安全な国になっているるということは色々なご先祖様のおかげだということだ。
*日本は2つの大きな戦争をなんとか切り抜けて、そこで他の大きな国とも肩を並べられるようになったから、今があるのだと思いました。
*小さな国なのに勝子とができたところがすごいと思った。
*日本はすごい国なんだとわかりました。絶対に日本は負けると思っていたけれど、日本の知恵と勇気で勝ててすばらしいと感じました。日本が日清戦争と日露戦争に勝ったから植民地化を恐れず独立もできるようになったのは、本当に「進化」したなあと思いました。
*日本も強い国だと思いました。ご先祖様ありがとうございました。
*日本は清・ロシアのような大きな国と戦争をしようという勇気があるので、すごいと思いました。
*日本はずっと昔から天皇などを中心に基礎を固めてきたし、たまに西洋から知識をもらったりして、強くなっていったから勝てたと思います。もしも、基礎を固め州に強くなってしまったら戦争にも負けて植民地になってしまったと思います。
*日本ってすごく弱い国だと思っていた。だけど、日本が勝ったから今の日本があることを知ってうれしかった。ご先祖様に感謝します。
*今日の学習で、日本が植民地にされるかもしれないぎりぎりのところで大きな清とロシアに勝ったことで日本も西洋人と同じぐらいの力を持っていることがよくわかった。

以下の感想には後日、私から朝の会でコメントをした。
*日清戦争も日露戦争も相手は朝鮮半島をねらっていて日本はそれに危機感を感じて日本の未来のために戦ったことがわかった。
→これが大事な戦争の原因ですね。
*この2つの戦争に勝ったことで、日本の将来はほぼ安定といっていいぐらいになって、植民地化されなくてよかったと思う。負けていたら大変なことになっていた。
→その通り。もし負けていたら植民地化されていた可能性は非常に高くなっていた。そうしたら、今頃日本はないかもしれないよ。
*大国に勝利した日本は調子に乗ってしまうのでは?朝鮮がかわいそうです。清からもロシアからも恐怖を覚えているからです。
→調子に乗ってしまうかどうかはこれからの勉強で見ていくことにしましょう。朝鮮はいつも大きな国から圧迫を受けてしまう位置にあります。たしかにかわいそうです。でも、これが朝鮮の宿命なんです。朝鮮の人たちはこの宿命に負けずに頑張って生きています。日本にも宿命があるんですよ。それはこの後の学習でだんだんとわかってくると思います。
*日本は2つの大きな戦争を10年おきにしたことはとてもすごいことだと思う。でも、僕からしてみると、すぐに戦争をするのではなく、十分に話し合ってからにしてほしかった。
→大事なことに気づいてくれましたね。でも、話し合いは何度も行われているんです。繰り返し、繰り返し話し合いをしても一致できなかったから、しかたなく戦争になるんです。戦争は誰か悪い人がいるから起こるのではありません。何度も話し合って、それでも一致できないときに起こるんです。

2015.11.28(Sat) | 日清・日露戦争 | cm(0) |

福沢諭吉

 明治維新の5時間目。最終回は「まとめ」として福沢諭吉を取りあげる。
 いつものように肖像写真を見せる。

<ワークシート・第1ページ>
★右下の写真が福沢諭吉です。左下は若い時の諭吉ですが、11才の外国人の女の子といっしょに写真に写っています。どこで撮ったのでしょうか?


福沢諭吉肖像

諭吉とアメリカ人少女

 子どもたちに簡単に予想を聞いてみる。
「フランス。諭吉がそこで道を聞いたら教えてくれた」
「日本。学校の生徒で優秀だったから」
「アメリカ。諭吉が留学したときにガイド役をしてくれたから」
などなど・・・。
『みなさん面白い予想ですね。正しくは勝海舟が船長だった咸臨丸にいっしょに乗ってアメリカへ行ったときの写真です。帰るときに記念写真として撮りました。11才の女の子に頼んで一緒に写ったらしいです。当時は外国人の女の子と写真を撮るなんてとても珍しいことですから、帰りの船の中でみんなにうらやましがられたそうです』
しかし、蒸気の予想もあながち見当はずれではないことを伝える。
『諭吉はアメリカへ2回、ヨーロッパにも1回、計3回も海外へ視察に行っていますから、みなさんの予想もあながち見当はずれとは言えません。それから諭吉は学校も作っています』

<ワークシート・第2、3ページ>
★『学問のすすめ』(初編)を読んでみよう

福沢諭吉は『西洋事情』『文明論之概略』など多くの著作を残していますが、なんと言っても有名なのは『学問のすすめ』です。
これは1872(明治5)年に初編が発刊されました。最初は初編だけのつもりでしたが、あまりにも評判がよいので4年間で17編まで続きました。最終的には340万部も売れるベストセラーになり、当時の国民の10人に1人は読んだと言われています。
最初に書かれた「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という言葉が有名ですね。
では、全文を読んでみましょう。ただし長いので、先生が短く要約しました。現代語に訳した本もあるので、興味のある人は読んでみてください。

┌──────────────────────────────────────┐
│  「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言う言葉がある。 │
│  ところが、この世の中を見ると賢い人もいれば、愚かな人もいる。みんな平等 │
│ なはずなのに、なぜちがいが生まれるのか?それは学問をするか、しないかによ │
│ って決まるのである。 │
│ │
│ ①ただし、ここでいう学問とは日常生活に関係する「実学」である。たとえば、 │
│ 字の書き方、そろばんの使い方からはじまって地理、物理、歴史、経済、道徳な │
│ どである。こうした教養があってこそ、どんな職業の人も自分のやるべきことが │
│ できる。そうすれば、自分も独立できるし、自分の家族も独立できる。そして、 │
│ 独立した国民が増えることで自分の国を本物の独立した国にすることができるの │
│ である。 │
│ │
│ ②なお、学問をするには「自由」の限界を知ることが大事だ。他人に迷惑をかけ │
│ るわがままは自由とはちがう。一人のわがままは悪い影響を及ぼすからだ。 │
│ │
│ ③この独立と自由は個人のことだけでなく、一つの国にとっても大切なことだ。 │
│ 日本も西洋も同じ地球上にあるのだから、互いにぺこぺこすることもないし、い │
│ ばる必要もない。相手が正しければ、まだ発展していない小さなアフリカの国々 │
│ にも頭を下げるべきだし、自分の国の正義を守るためには、強力な軍隊をもつア │
│ メリカやイギリスも恐れてはいけない。もし、自分の国が名誉を傷つけられたら │
│ 、日本国中の民は一人残らず命を捨ててでも名誉を守るべきだ。それが、国の独 │
│ 立と自由を守ることになる。 │
│ │
│ ④江戸幕府の時代とくらべると、明治維新によって政治はすっかり変わった。生 │
│ まれや家柄ではなく、その人の能力によって大事な役目が決まるようになった。 │
│ 大事な国の決まり事を扱うからこそその人は尊敬される世の中にしなければなら │
│ ない。また、日本には言論の自由もできた。だから、政府に不満があれば遠慮な │
│ く訴えてよいのだ。 │
│ │
│ ⑤このように、個人も国も独立・自由が大切である。もし、独立と自由を妨げる │
│ ものがあれば、はっきりとNOと言わなければならない。そのためにも、私たち │
│ は能力や人格を鍛えるために学問をすることが必要なのだ。 │
│ │
│ ⑥だれだってよい政治を望み、「豊かで強い国になってほしい」「外国から軽蔑さ │
│ れたくない」と思っている。国民は学問を身につけ、よい政治ができるように政 │
│ 府を助け、悪い政治をしないように政府を監視することが大事だ。国民と政府が │
│ 互いに手を取り合って日本の平和を維持していこうではないか。 │
└──────────────────────────────────────┘



★もしあなたが福沢諭吉だったら明治時代の日本人にいちばん言いたいのは①~⑥ のうちの第何段落ですか? 下の「明治時代の日本の課題」を参考にして考えてみましょう。

 課題1:憲法をつくり議会を開こう
 課題2:政党をつくり互いに意見を出し合って話し合うようにしよう
 課題3:不平等条約を改正しよう
 課題4:全国に学校をつくり教育を充実させよう
 課題5:西洋による植民地化の脅威から日本を守ろう


 ここでの教師側の問題意識は授業における『学問のすすめ』の取りあげ方にある。
 教科書も資料集もそして授業でもたいていは最初の「人は天の上に人を・・・」を含む数行しか取りあげていない。これでは全く諭吉の思想を教えることにならない。そもそも人間が平等でることとt学問の話がまったく結びつかない。なぜ、全文読ませようとしないのか?分量がネックになるというのなら要約でもいいので読ませるべきである。

 では子どもたちの意見を見てみよう。

*1組・・・①0人 ②1人 ③13人 ④6人 ⑤2人 ⑥3人
*2組・・・①0人 ②0人 ③5人  ④8人 ⑤0人 ⑥17人

主な意見は以下のものである。
◇②
「みんな平等と言っているのだから、わがままはそれを台無しにする」

◇③
「日本は外国に比べたら、小さくて弱い国だと見られていると思うが、弱いままの態度でいてはいけないと思う。もう少し自分の国を守るということを大切にしていった方がいい。また強い国にすべて従ったら自由はなくなってしまうと思う。そうしたら、不平等条約は永遠に続いてしまう」
「課題3のことから、今一番日本が困っているのは不平等条約だから」
「独立と自由が今の日本には大切で、正しいことをして名誉を守ることが大切。強いアメリカやイギリスにも恐れずに立ち向かうことができなければ何もできないから」
「みんなが同じように平等でなくてなはらない。ぺこぺこしたり脅したりしたら強い西洋の国々や小さなアフリカの国とのバランスが西洋に偏ってしまう。ちゃんとアフリカにも技術とかを教えて地球をみんな平等にするべき」
「日本の独立を守るには国全体がまとまっているほうがいい。そして人々が自由だといい国になっていくと思う。それにいい国を見習っていくことが大事だと思う」
「日本は今までも独立を大切にしてきました。独立を守るためには、政府だけでない国民全員が協力しなければいけないと思います。段落5にもつながるし、日本が一つにまとまればよりよい国になっていくはずです」

◇④ 
「家柄がよくてもその人に能力があるとはかぎらない。家柄だけを考えていたら能力がある人が大事な役目に就くことができなくなる。それに政府に不満があれば訴えることも大事だと思う」

◇⑤
「はっきりNOと言えば、日本を西洋から守ることができて、西洋との交流がもっと盛んになれば、不平等条約を改正できる。 学問が盛んになれば学校が全国にできてその中の人が将来の国会議員になるかもしれない」

◇⑥
「国民はきちんと学問を身につけるなど第6段落は課題にしっかりあてはまっている。そして、よい政治ができるように政府を守り、政府を監視する。互いに手を取り合って日本の平和を維持していこうという文から一番日本のことを考え、日本人に伝えたいと思う気持ちが大きい」
「平和を維持することで、だんだんと強くなっていくし、国民と政府が協力して国に自信が持てればもう植民地化される心配はいらない。あの女の子との写真は外国から軽蔑されたくないということを見せるために撮ったと思う」
「やっぱり日本は政府のものではなく国民全員のものだから。ふつうの国民も日本のことについて考えなくてはいけないから。だから、国民と政府が互いに手を取りあって日本の平和を維持していったほうがよい」
「課題5に書いてあるように、植民地になってしまうかもしれないと思いながら一生を過ごすのと植民地にはならないと思いながら過ごすのではぜんぜん違う。だから、日本を強くする。けれど、政府はサボることもあるだろうから、それを民が監視しておくと政府もやるようになると思う。学問も強さも両立できる日本がいいと書いてあるから」

 この学習の価値はどの段落を読んでも明治維新期の日本人の課題と結びつくことにある。
 子どもたちは③=課題3の不平等条約と④=課題1・2議会と政党、そしてまとめあたる⑥に意見が集中した。ここまでの学習の内容がよく理解できていると考えられるだろう。

<ワークシート・第4ページ>
★福沢諭吉の生き方を調べよう

*身分制度は親のかたき
お父さんは中津藩(いまの大分県)の武士でしたが、藩の仕事のために家族といっしょに大阪で暮らしていました。このときに諭吉が生まれたのです。お父さんは学問が好きでたいへん優秀でしたが、身分の低い下級武士だったので希望する仕事につくことができずに亡くなりました。のちに、諭吉はそんなお父さんのことを気持ちを考えて「身分制度は親のかたきでござる」と言っています。

*オランダ語と英語を学ぶ
20才のときに緒方洪庵の「適塾」に入門しました。オランダ語を猛勉強してわずか2年後には塾のリーダーになりました。その後、横浜を訪れたときに英語の重要性に気づいて今度は英語を猛勉強しました。
その後、諭吉は3回も西洋を訪問しています。1回目は咸臨丸でアメリカへ、2回目はヨーロッパへ、3回目は再びアメリカへ渡っています。この訪問で西洋から多くのことを学びました。

*慶応義塾を開く
諭吉は23才のときに塾を開きました。それから10年後に慶應義塾を開きました。戊辰戦争の時には上野方面に煙が上がり、砲撃の音が聞こえる中で「世の中に何が起こっていても、この塾では学問はやめない」と言って平然と講義を続けたそうです。


慶應義塾

 子どもたちの感想である。
*「この本がベストセラーになったのは国民のことを考えてすべての課題にあてはまり、国民の心を大きく動かしたからだと思います」
*「砲撃の音が聞こえても授業をやり続けるということはたぶん、とっても学問を大切にして勇気のある人にしかできないと思う」

2015.11.21(Sat) | 明治維新 | cm(0) |

板垣退助

明治維新の授業はこれが4時間目。
 人物は3人目となる。取りあげるのは板垣退助である。
 まず、肖像写真を掲示する。

板垣退助肖像

 次に昔懐かしい100円札を掲示する。子どもたちは興味を示す。

100円札

ここで、大久保利通と伊藤博文の出身藩と現在の県名を確認する。そして、板垣退助の出身藩が土佐藩であることを教える。
「坂本龍馬と同じだ」
質問が出る。
「龍馬とは知り合いだったんですか?」
 互いに知っていたかもしれないが、幕末当時は下級武士の龍馬に対して板垣退助は上級武士であり、身分がかなり違ったことに触れる。

<ワークシート・第1ページ>
★下の絵を見て、気づいたことを箇条書きで書きだしてみましょう。


演説会

 この絵は「明治会堂演説の図」という。
 中央に弁士がいて大勢の人が演説を聴いている。会場も文明開化らしい雰囲気が漂う。
「建物が洋風」
「電灯がある」
「着ているものが和風なので一般の人なのではないかと思う」
「国会?」
「中心の人が何か発言している」
「大勢の人が集まっている」
「2階にも多くの人がいる」

 これは図の中にある文字でもわかるように「演説会」であることを教える。
 今日学習する板垣退助と演説会には関係があることを伝えて次の学習へ進む。

<ワークシート・第2ページ>
★自由民権運動と板垣退助

①国会(議会)を開け!
 板垣退助は、坂本龍馬と同じ土佐藩(いまの高知県)の出身です。
 退助は、明治新政府の中で大事な仕事をしていましたが、大久保利通たちと意見が対立し、政府から去ってしまいました。
 地元の土佐に戻ると「立志社」をつくり「国民が選んだ議員に政治を任せるべきだ」と主張して、1874年に「民選議員設立の建白書」を政府に提出しました。
 この建白書には「いまの政治は、天皇も国民も関係ないところで政府の役人たちが自分たちの考えだけで進めている。これではいけない。すぐに国民による選挙で選ばれた人たちが話し合う国会を作って、役人が自分たちの考えだけで政治を進めるのをやめさせなければいけない」と書かれています。
 この「建白書」の提出が自由民権運動のはじまりと言われています。なお、「建白書」というのは身分を問わずにだれでもが政府に意見を述べることができる制度のことです。
 
②板垣死すとも自由は死せず
 この自由民権運動の影響もあって、政府は1881年に「国会開設開設の詔(みことのり)」を出しました。10年後にの国会を開くことを約束したのです。退助たち自由民権運動を進めていた人たちの思いが政府に届いたのです。
 新しい政治を進めるためには政党が必要だと考えた退助たちは、国会開設にそなえて,自由党(じゆうとう)を結成し、大隈重信たちは立憲改進党(りっけんかいしんとう)を結成しました。
 退助は自由党の考え方を広めるために全国で演説を行いました。
 岐阜県に行ったときのことです。
 演説を終えて、会場の玄関でくつをはいているときに突然、若い男が短刀で退助の左胸を刺したのです。退助は深手を負いましたが、この男をにらんで「板垣死すとも自由は死せず!」といったと言われています。

板垣遭難図

 
③憲法と国会ができた
 自由民権運動は、武力ではなく言論の力で政府を動かそうとして始まったものでした。ところが、この運動にかかわった者の中には役所を襲ったたり、全国各地で事件を起こす者も現れました。こうして運動が過激になることで、運動から離れる人も増え始め、自由党は解散しました。
 その後、1889年に「大日本帝国憲法」が発布され、1890年には第1回の選挙が行われて国会が開かれました。「日本の未来を作ろう!」と自由民権運動を進めた人たちの努力が実ったのです。


<ワークシート・第3ページ>
★あなたも「民選議院設立の建白書」の論争に参加しよう!

 板垣退助たちが出した「建白書」が新聞にのると、民選議院を作ることについて大きな論争が巻き起こりました。下の2つの意見を読んでみましょう。
┌──────────────────────────────────────┐
│ A:民選議院を作るのはまだ早すぎる! │
│ 日本がひとつの国として安定するためには民選による国会が必要なのは言うまでも│
│ ありません。 │
│ しかし、日本は明治という新しい世の中に変わったばかりです。 │
│  国民は、国を動かすしくみや日本を取り巻く世界のようすを理解しているとは言えませ│
│ ん。そんな状態で、日本の将来を決める議員をいきなり選挙で選ぶことができるので│
│ しょうか? │
│  それよりも、まずは日本の教育を充実させて国民のレベルを上げることが大事でしょう。│
└──────────────────────────────────────┘
┌──────────────────────────────────────┐
│ B:民選議院はすぐに作るべきだ! │
│ 国民のレベルを上げるためにこそ民選議院が必要なのです。 │
│  民選議院ができれば国民は自分から進んで国のしくみや世界のようすを知ろうとす│
│ るはずです。大事な日本の将来を決める議員を選ぶのですから真剣になるのはま │
│ ちがいありません。 │
│  また、立候補する議員たちは自分から進んで学問をして知識を身につけた人たち │
│ ですから心配することはありません。  │
└──────────────────────────────────────┘

◇あなたはAとBのどちらに賛成しますか?明治時代の国民になって考えてみましょ う。後で、みんなで話し合ってみましょう。


 話し合いの開始前と終了後に意見分布を取った。

*A・・・1組 9人→12人  2組 8人→ 5人
*B・・・1組21人→18人  2組18人→21人

 人数分布的にはBが優位なのは変わらないが、話し合い終了後の人数変更には大きな違いが起こった。
 これはA派の「よくわかっていないのに選挙をしたらへんな議員を選んだり、悪い議員に騙されて選んでしまうかもしれない」という意見への理解と共感の違いのようである。
 1組ではこの意見への賛同者が多く、2組ではそれほどでもなかった。
 では、主な意見を見てみよう。
◆A派
「日本は明治という新しい国になったばかりで、新しい日本にまだなれていないかもしれないから、教育を充実させてから民選議院を作った方がよい」
「もし、立候補した人が元武士だったら、まだ頭の中に江戸時代の考え方があるので、危ない。まずは教育を充実させた方がよい」
「いきなり選挙をしたら国が混乱する。悪質な議員が無理矢理自分に投票させるかもしれない。まだ選挙は早い」
「何事にも順序がある。まずは文明開化のことなどをみんながよく理解するためには、日本の教育を充実させて国民のレベルを上げてから金銭議院を作った方がいい。口先だけの議員が出てくるかもしれないから」
「日本はまだまだ外国とつきあいを始めたばかりの国だから、すぐに選挙をしては国民の混乱をまねく可能性もある。でも、自由民権運動の人々も何かを起こすかもしれないから今すぐではなくても早いうちに選挙をしたほうがいいかもしれない」
「新しい世の中ができたばかりなのでそんなに急ぐ必要はない。教育を充実させて、将来日本の役に立てる人たちを創っていければいい」
◆B派
「民選議院ができれば、議員に選ばれようとして演説をして、国民に自分がどんな議員か知ってもらえるし、国民も日本の将来を決められる。明治政府の考え方も変わるかもしれない」
「民選議院ができれば、日本を動かす力が大きくなり、議員の活動も活発になる。また、頼りにできる議員なら国民に苦しくない生活にしてくれるかもしれない。日本を大きく動かす力が今は必要だ」
「だれでも身分を問わずに意見を言えるようになれば、今までは取り上げれなかった国民の意見も聞けるから、いい意見もたくさん出てくるかもしれない。国民の意見を最優先するべきだと思う。国民のレベルが上がってくるまで待っていたらすごい年月がかかってしまうので、待つよりも実戦あるのみ」
「今、立候補する議員は、知識を身につけた人たちなので心配はないと思う。その議員たちを見て次の予備軍を育てればいい」
「新しい日本になったからこそ、新しい民選議院が必要でしょう。心配している暇はないです。早く新しい日本を動かしていかなければ」

<ワークシート・第4ページ>
★言論によって政治を進める

 板垣退助たち自由民権運動を進めていた人たちはBの意見でした。しかし、Aの意見の人たちとどこがちがうのでしょうか?
 じつはAとBの考え方をくらべてみても、ちがいはほとんどありません。
 どちらも、これからの日本は憲法を作り、国会を開くことが必要であることは認めていました。
 ちがいは国会を開く時期だけです。
A派の人たちは「あわてずにじっくりと」作るべきだと考えていました。それに対してB派の人たちは「いますぐに」作るべきだと主張しました。
 結局、政府は10年後に国会を開くことを約束したわけですから、A派・B派どちらの意見も取り入れられたと考えていいでしょう。

自由民権運動は「言論」(げんろん:話し合いや議論すること)によって政治をよりより方向に進めようとする雰囲気を日本に広める役割をはたしました。
 現在の日本では多くの国民が、新聞やテレビ・インターネットなどで政治家の意見を聞いていますが、明治時代の自由民権運動のころから新聞や演説会で政治に関する意見を知る機会が増えてきた、と言ってよいでしょう。

 明治時代に次のような言葉が残されています。
「一枚の紙、数行の字であっても、場合によっては百万の兵隊にもまさる力がある」
「演説は、人の心を励まし、自分の意見を主張したいという気持ちにさせてくれる。それは百万の兵隊と同じような力がある」


子どもたちの感想を紹介する。
「板垣退助の日本のよりより未来を作りたいと言う気持ちが伝わってきました。板垣死すとも・・・はきっと運動する人々に勇気をあたえただろうと思いました」
「板垣退助たち自由民権運動を進めていた人たちは国と国民のことをとても考えていたと思いました。板垣退助の言葉が心に残りました」
「明治時代はほんとうにいろいろあって奥の深い時代だと思った」

2015.11.16(Mon) | 明治維新 | cm(0) |

伊藤博文

 明治維新の人物学習2人目は伊藤博文を取りあげる。
 導入は現在の国会議事堂と伊藤の銅像にまつわるエピソードである。
 まずは肖像写真を見せる。
 旧千円札の図案になった有名なものと若い下級武士の頃のものである。

伊藤博文肖像

伊藤博文肖像2


<ワークシート・第1ページ>
★国会議事堂には伊藤博文の銅像が3つあると言われています。


銅像1
議事堂内

銅像2
参議院中庭

銅像3
議事堂のてっぺん?

台座
神戸・大倉山公園台座

※国会議事堂を設計した人は神戸市・大倉山公園の台座をヒントにしてデザインしたので はないか?と言われています。この台座にはもともと伊藤博文の銅像がありました。

◇日本でもっとも重要な話し合いの場である国会議事堂に3つ?も銅像がある のはなぜだと思いますか?


 なお、この3つ目の銅像は実際にはない。都市伝説として子どもたちに紹介する。子どもたちは興味津々である。
「初代総理大臣だから」
「明治時代に一番偉かった?」
「国会は話し合いの場だから重要な話し合いを解決させたから」
「国会に深い関わりがあった」
「国会議事堂を設計した」
「政治家としてとても厳しい人だったから、後の国会議員を油断させないように作った」

<ワークシート・第2、3ページ>
長州藩出身の伊藤博文はもともとは農民です。下級武士となった博文は吉田松陰の松下村塾に入門しました。ですから、高杉晋作は先輩になります。 
 のちに伊藤博文は明治新政府で重要な仕事をまかされ、日本で最初の総理大臣になっています。

★あなたも伊藤博文になって憲法を作ろう!
 
 新しい日本の政治を進めるためには憲法が必要です。この憲法を作るためにリーダーシップを取ったのが伊藤博文です。伊藤博文になって憲法づくりを体験してみましょう。
 
(1)まずはアドバイスを聞いてみよう!
明治新政府は、新しい国づくりを進めるためには西洋の国々と同じように憲法が必要であると考えていました。しかし、なにぶんにも初めてのことなのでどこから手をつけていいかわかりません。
そこで、憲法を作るために西洋の国々に学ぶことにしました。伊藤博文をリーダーとしてヨーロッパへ調査団を派遣したのです。伊藤博文は3人?の外国人からアドバイスを受けました。このアドバイスをあなたもいっしょに聞いてみましょう。

①グナイストさん(ドイツの法律専門家)のアドバイス
憲法は外国のものをそのままマネすればいいというものではありません。自分の国の歴史や文化にピッタリしたものでなければうまくいかないのです。
 ところで、日本の憲法に「議会を開く」ということも入れるのですね。それは大事なことですが、議員たちが自分の意見ばかり主張して決めたいこともなかなか決まらなくなります。ですから、外交や予算のことは政府が決めるというルールにすることをおすすめします。

②シュタインさん(オーストリアの法律専門家)のアドバイス
私も同じです。憲法は自分の国の歴史を木の幹にして、そこにヨーロッパで学んだ知識を枝にしていくことが大事です。あわてて西洋のマネをすれば国が混乱することになるでしょう。
ところで、国民が政治に参加するためにも議会は大事ですが、話し合いはどうしても議員の利害や関心に左右されます。すると安定性がなくなるので、国にとって大事なことを安定して進められるように政府の力を強くしたほうがいいでしょう。

③西洋人のひそひそ話
そう言えば、10年ほど前にトルコ人が憲法を作ったけど、うまくいかずに1年間で憲法停止・議会解散になったな。やっぱり西洋人以外には憲法を使った政治はできないんじゃないの?

(2)これからの日本に必要な憲法はどうあるべきなのか?

以下は先生が考えた架空の話し合いです。
 みなさんは自分が憲法制定の責任者である伊藤博文になったつもりで話し合いに参加してみて下さい。伊藤博文は以下の3人の意見を聞いて悩んでいます。
 
*Aさん
歴史を見ると、日本は天皇を中心にまとまってきました。ですから、憲法も天皇を中心にするべきです。いまの日本で責任を持って大事なことを決定できるのは天皇しかいないではありませんか。
 日本はまだ弱い小さな国です。西洋の国々にいつ植民地化されてしまうかわかりません。議会を開いたとしてものんびりと話し合いをしている時間はないのです。議会の力は最小限にして天皇中心のリーダーシップで政府が引っ張っていく憲法にしましょう。

*Bさん
 たしかに、日本の歴史を考えれば天皇中心にまとまっていくのに賛成です。でも、実際の政治は新しい日本を作るために、すぐにでも議会を開き、国民が政治に参加できるようにすることが大事です。 
 Aさんの言うとおり、日本はまだまだ弱い国です。多少の混乱はあっても、西洋と同じように議会を強くしなければいつまでたっても追いつくことはできません。だから、議会で決めたことをを大事にして政府が動くような憲法にしましょう。
 
*Cさん
私も日本の歴史を見れば天皇を中心にまとまるのが大事だと思います。ですから、天皇には日本の代表として<すべてを見ている存在>になってもらいましょう。そして政府と議会が天皇を助けて政治を進めるのです。
あわてて議会の力を強くするのは危険です。西洋の国々は日本の国内が混乱し、争いが起きるのをねらっているのです。まずは政府のリーダーシップで日本の基礎を固め、それから徐々に議会の力を強めて、あわてずに国民中心の政治へと成長していける憲法にしましょう。


◇さて、あなたが伊藤博文ならどの人の意見に賛成しますか?


 児童の意見分布を見てみる。

*1組・・・A 0人  B 5人  C 22人
*2組・・・A 2人  B 5人  C 22人

 この問題の構成上、AとBの折衷になるCが多くなるのは当然ではあるが、子どもたちの意見を見てみよう。
*A派
「のんびり話し合いなんかしていたら、西洋にやられて植民地にされてしまう」

*B派
「日本は弱い国だけど、ゆっくりしているといつまでたっても西洋に追いつけなくて、置いて行かれてしまう。っこで一気に追いついて西洋と対等に貿易などを行えるようにしたい」
「西洋人より強い国を作るためには、西洋人と同じレベルにならなくてはいけない。今はまだ弱い国だがまずは同じレベルにまで行かなくては強い国になれない。議会で決めたことはすぐに実行しましょう」
「天皇中心はいいと思う。けれど、なんでも天皇だけで決めるのはよくない。国民も政治参加できるようにするのがいいと思う。議会で決めて、それを大事にして政府・天皇が動けば速く西洋に追いついて植民地にならないようにしたい」

*C派
「私も天皇中心にまとまるのが大事だと思います。Cさんと同じようにあわてて議会の力を強くするのは危険で、もしかしたら日本が植民地にされてしまいます。なので、政府と議会が天皇を助けて政治を進め、国民中心の政治へ成長していける憲法になったら、日本も安定すると思います。新政府もできたばかりだから徐々に力を持っていくのがいいと思います」
「やっぱり西洋人は日本国内が混乱して争いが起きるのをねらっていると思うから、そのために少しずつ議会の力を強めて、日本の基礎を固め、不満が出ないようにすることが大切だと思います」
「日本がいきなり議会の力で日本を動かしていったら、みんな自分の意見ばかり主張して混乱してしまう。だから、天皇の助けとして小さな規模から、だんだんと大きく中心に近づけていった方が、きっと安定すると思う」
「Cなら五か条の御誓文を守り、日本を西洋の国から守れる。Cさんの言うとおり、あわてて議会を開くと国が混乱して西洋がもし攻めてきたら団結力が落ちてしまう可能性がある」
「CさんとAさんは似ているけど、政府がリーダーで、天皇は<すべてを見ている存在>は、これからの日本にいいと思う。西洋人の思い通りにはしません」

 じつはAもBもCも背後にある問題意識は同じである。それは「対西洋列強を考えたときにいかにして植民地化を回避するか」である。
 述べている意見もほぼ変わらない。天皇中心という主軸は問題文にあるようにA・B・Cともに同じで、あとは天皇・政府・議会の重要性をそれぞれの立ち位置から強調している点のみが相違点である。

<ワークシート・第4ページ>
★伊藤博文たちの憲法づくり

伊藤博文はヨーロッパから帰ると憲法作成に取りかかりました。
 いっしょに作成に参加したのは井上毅・金子堅太郎・伊東己代治の3人です。博文は作成を始める前に3人にこう話したと言われています。
「憲法の作成にあたって、私たち4人はみんな<憲法学者>になったつもりで取り組もう。位は私がいちばん上だが、私がまちがっていると思ったら遠慮なく意見を述べて欲しい」
 4人は神奈川県の夏島で1年間の合宿も行っています。朝起きるとすぐに議論、ご飯を食べながらも議論、夜は12時まで話し合いを続けました。こうして、3年後の1889年に<大日本帝国憲法>が完成しました。

 では伊藤博文たちが作ったは憲法はどんな内容になったのでしょう?さっきの話し合いと関係する所を見てみましょう。

*第4条  天皇は日本の元首であり、そのすべてを見ている存在である。なお、こ      の憲法の条文に合わせて必要なことを行う。
*第37条 すべての法律は帝国議会の承認がなければならない。
*第55条 大臣は天皇を助ける責任を持っている。また、法律や国の大事な決まり事は大臣のサインが必要である。

 これを見ると、天皇中心ではあるが天皇が何でも勝手に決められるわけではなく、大臣のサインや議会の承認も必要です。このように君主(日本では天皇)を国の中心にしながらも憲法に決められた約束で政府や議会が政治をするしくみを「立憲君主制」と言います。
 伊藤博文たちは西洋人のアドバイスを大事にしながらも、日本人の能力と志の高さを信じて議会の力も決して弱くない理想の憲法を作ったと言っていいでしょう。


 読み上げながら、前時と同じくA・B・Cに「1票」を入れていく。
 第4条はCに1票である。第37条はBに1票。第55条はAに1票となる。
 すべてに1票ずつ入ったわけだが、天皇の位置づけとAの考えもBの考えも含み込んでいるCの考え方で明治憲法ができていることを話す。

 子どもの感想を紹介する。
*伊藤博文は外国人の意見も大切にして、それに手を加えて日本の大日本帝国憲法を作ることができたから、国の混乱を防いで納得を得られたのだと思いました。
*やっぱり、西洋の国をもとにして作っているのだと思った。4人で憲法を作るのがすごいなと思った。西洋に負けない憲法を作ったのがすごい。
*伊藤博文は西洋人の話を聞きながら日本独自の憲法を作ったことがわかりました。農民から一番偉くなるのが豊臣秀吉みたいだなと思いました。

2015.11.14(Sat) | 明治維新 | cm(0) |

大久保利通

 明治維新の人物学習、一人目は大久保利通を取りあげる。
 大久保が新しい日本の基礎を作った功労者でるあることをテーマとする授業である。なお、大久保はたいへん誤解されることの多い人物であるが、この視点にも触れる展開にしたいと考えた。

<ワークシート・第1ページ>
★写真を見て気づいたことを箇条書きで書き出しましょう。
 右の写真が大久保利通です。左の5人の中にもいます。探してみましょう。


大久保肖像

岩倉使節団

 まず使節団5人の中でどれが大久保か当てさせる。
 次に気づいたことを発表させた。
「髭がすごい」
「みんなスーツを着ている」
「全員シルクハットを持っている」
「真ん中の人だけ日本風で、偉そうにしている」
「真ん中の人がリーダーなのか?」

『では、大久保利通がどんな人物なのか調べてみましょう』

<ワークシート・第2、3ページ>
★ある人が大久保利通についてこんな風に言っています。読んでみましょう。

①島田一良さん
「大久保さんは勝手な人だ。みんなの意見を聞かないで、日本の政治を自分の都合のいいように動かしている。しかも、自分も武士だったはずなのに、士族を困らせることばかり実行するから国内の内乱をまねいている。だから、私がこらしめてやるつもりだ」

②小野梓さん
「大久保さんは誤解されやすい人だ。彼は日本のために必要なことをしている。府や県に地方議会を開くなど、国民が政治に参加するきっかけを作った人だ。政治を自分の都合のいいように動かすような人が、こうした自由な制度を作るはずがない」

③中江兆民さん
「大久保さんはすごい人だ。新しい日本の法律・経済・道徳についての方針を立て、それを実行した。こうした大事な仕事を彼ほどしっかりやった人はいない」

④山本権兵衛さん
「大久保さんはあまりしゃべらない人だ。いつもこわい顔をしているので、こっちも言いたいことがなかなか言い出せない。西郷さんにくらべると人気がない」

⑤馬場辰猪さん
「大久保さんはとても用心深い人だ。どんなに犠牲をはらっても日本の平和を守ろうと努力していた。予想外のことが起こっても冷静に対応していた」

※5人の意見を聞いて大久保利通はどんな人だと思いましたか?


 数人に感想を求める。
 子どもたちからは「本当はいい人なのだが、誤解されやすい?」「冷静で静かな人では?」などの感想が出てくる。

★海外視察した大久保利通が最も影響を受けたのは?

 1871(明治4)年、明治新政府は<廃藩置県>を行いました。
 これはそれぞれバラバラに存在していた「藩」をなくし、かわりに中央政府のもとに「県」を置くというものです。これにより武士というものがなくなることになりました。ですから、新政府は武士の反乱を恐れていました。しかし、予想に反して大きな混乱は起こりませんでした。
 当時の武士たちのほとんどはこれが新しい日本に必要な改革であると理解していたからです。各藩の年貢は新政府のもとに集まることになり、これでようやく新しい日本を作るための資金ができたのです。

 さて、同じ年に新政府はアメリカ・イギリスなど西洋の12の国々を視察することにしました。岩倉具視をリーダーとしたこの使節団を「岩倉使節団」と言います。
 この使節団の目的は次の2つです。
 ①不平等条約改正の予備交渉をする
 ②西洋文明を実地に学び取る
大久保利通もこの使節団に入ることを希望しました。新しい日本を作るためには広く西洋の制度や文化、施設を研究する必要があったからです。

(1)各国の視察のようすを写真で見てみましょう。


 まず廃藩置県について当時の地図を見せる。今、日本にある「県」という制度は明治時代に始まることを説明する。ただし、今とは「県」の区分や名称が異なることに着目させて、改正されて現在に至っていることを教える。

 次に冒頭に見せた5人の写真は岩倉使節団がアメリカで撮ったものであることを説明し、さらに他の画像を見せる。

横浜港出発
横浜港から出発

津田梅子
使節団には8才の少女・津田梅子がいた

大統領会見
アメリカ大統領・グラントと会見

晩餐会

一行は各地で大歓待を受ける

 次はこの授業のメインの課題である。

(2)大久保利通にいちばん影響を与えたのはどのアドバイスだろう?

 あなたが大久保利通なら、その後の行動にもっとも有益なのは下の誰のアドバイスだと思いますか?

<イギリスさん>
私たちの国の工場は見ましたか?
 造船所、製鉄所、製紙工場、ガラス工場、木綿工場など各地の都市には必ず工場があります。これが世界一豊かな国である秘密です。私たちの国の資源は鉄と石炭ぐらいです。原料は他国から輸入して製品を作り、輸出するのです。また、工場を成功させるためにはものと人を運ぶための道路・橋・鉄道が国中に通っていることが重要です。

<フランスさん>
もし政府の考え方に反対するものがいたらどうするか?
それは自信をもって排除することですよ。いろいろな考え方があるのは大事ですが、話し合うばかりで何も決まらなければ実行できません。この間もフランスではパリ・コミューンというグループが政府の方針に反対して一揆を起こしたので、徹底的に取りしまりました。おかげでいまのフランスは平和です。

<ドイツさん>
西洋の国々とどうつきあっていけばよいか?
世界中の国は、親しくそして礼儀正しくつきあっていますが、それは表向きのことですよ。自分の国の利益が守られれば礼儀正しいのですが、不利と見れば巨大な軍事力を平気で使います。これがきれいごとではない現実です。日本のような小さな国が独立を守るためには軍隊の力が必要です。私たちの国も陸軍に力を入れています。

◇ひとつ選んでその理由を書いてください。


 意見分布は以下のようになった。

*1組・・・イギリス11人 フランス5人 ドイツ9人
*2組・・・イギリス22人 フランス4人 ドイツ3人
(なお、1組のみ討論終了後にもう一度意見分布を取ったところイギリスから4人移動してイギリス7人 ドイツ13人と逆転した。フランスは変わらず)

次のような意見が出された。
*イギリス派
「イギリスみたいに原料を輸入して製品を作り、輸出すれば利益を上げられる」
「日本はたしか生糸がたくさんあるからこういう工場を造って輸出すれば儲かるし、他の工場の原料もこのお金で手に入れればいい。鉄道や道路が全国に行き渡れば国中の人がいろいろなところにいきやすくなる」
「世界でもトップクラスの工場を持てば、日本のような小さな国でも西洋とつきあえる。利益が上がれば政府に反対する人もいなくなる」
「イギリスのように工場がたくさんあれば豊かで何かと生活の上で必要なものが不足しないと思う。また、他国と輸入・輸出をすれば外国との仲がよくなり、争いが起きなくなると思う」
「日本はイギリスと同じで資源が少ないから、原料を輸入して工場をいっぱい造って、道路を造り、鉄道を通せば日本も巨大な軍事力を持って西洋と対等につきあえる」
「陸軍などの武器を作るには工場が必要だから、軍事力を高めようとしてもどっちみち工場がないとダメ」

 イギリス派が増えることは予想されたが、軍事力を伸ばすというなら工場が必要だ、という意見は説得力がある。

*フランス派
「ドイツにそんなことを言われても、それは西洋の国のことであって、今の日本に必要なのは「一つになる」ことだから、そのためのアドバイスを教えてくれているのはフランスだと思う」
 
フランス派は混乱や内乱が国の発展の阻害になるという意見である。

*ドイツ派
「今は西洋と仲良くやっているけれど、もしかしたら裏の顔があるかもしれないし、軍隊の力があれば何かと安心だから。攻めるのではなくて守る軍隊を作る」
「日本では五か条の御誓文が発表されて、その一つに強い国にしようというものがある。それは軍隊を作ろうと言っているのだから軍隊に力を入れているドイツさんが日本にとって一番有益だと思う」
「日本はとても小さい国だから日本を守るためにはたしかに軍隊の力が必要だ。うまくつきあっていくとしても、もしものために強い軍隊も用意しておくことが大切だ」
「日本は他の国よりも小さい国なので、もっと強くしないと、日本も植民地にされてしまう」

 1組では「植民地化」についての意見が複数出されていた。これが最終的にドイツ派の増加につながったと思われる。

<ワークシート・第4ページ>
★大久保利通の活躍

 西洋の国々から学んだ大久保は大きなショックを受けました。
「西洋の国々の発展の理由はよくわかった。しかし、はたして日本は同じようになれるのだろうか?」
 しかし、弱音ばかりを吐いているわけにはいきません。
「この世界に日本が独立した国を建てるには<富国強兵>の国づくりが必要だ。そして、これを実行するためには<殖産興業>に力をつくし、着実に進歩させることだ。さらに、これらを実行するためには強力なリーダーシップが必要だ」
と考えたにちがいありません。では、帰国した大久保はどんなことをしたのでしょう?

①内務省を作った
大久保は「内務省」という新しい省を作りました。これは日本の産業をさかんにするための殖産興業、警察、地方政治、戸籍作成、土地の測量と土木工事など国としての基礎を作るための仕事をすべて行うものです。日本国民の力を養成することを大事な目標にしていました。

②殖産興業
大久保は、民が豊かになることが国が豊かになることにつながると考えました。最初は政府が手伝いますが、その後は民間が自分たちで工業を推進すれば国は豊かになるはずです。世界遺産になった「富岡製糸場」などはこの考え方で作られました。

③外国との問題を一気に解決した
まず、ロシアと千島樺太交換条約を決めて、北の国境をはっきりさせました。次に台湾との問題でこじれていた清国と直接話し合い、これを解決しました。さらに「征韓論」に反対して国内の問題を優先させました。

④元武士のたちの反乱にきびしく対応した
 佐賀、熊本、福岡、山口などで新政府の方針に反対する士族の反乱があいついで起こりましたが、大久保はきびしく対応しました。また、親友である西郷隆盛も鹿児島で大規模な反乱を起こしましたが、これも鎮圧しました。自分の方針が親友にも理解してもらえないのはつらいことだったでしょう。

 大久保は海外視察で学んだことをすべて生かした政治をしたと言えるでしょう。


 大久保の「したこと」4つを読み上げながら板書のイギリス派・フランス派・ドイツ派に「1票」ずつ入れていく。
 ①②はイギリスへ1票、③はドイツとイギリスへ1票、④はフランスへ1票。
 つまり、大久保はすべての国のアドバイスを生かしたわけである。だが、大久保はまずは国内問題を優先し、国の基礎を作ることに力を注いだ・・・と言う意味でイギリス派へおおめの3票となっている。

 子どもたちの感想を紹介する。
*大久保利通は国のためにたくさんのことを考えている。すごく頭が良くて、国のために何かをしよう!という国思いな人なんだと思いました。
*大久保さんは自分勝手な人なんかじゃないです。新しい日本をつくるために精一杯力を尽くしたすばらしい人だと私は思います。(中江兆民さんと同じ)
*大久保利通は親友にも理解してもらえない方針をもって立ち向かって。自分の考えを信じ、政治に取り組んでいたからすごいと思いました。
*大久保の方針は、元武士だった人たちには不評だったかもしれないけど、現代の方向に向いている。これからの時代にはいい方針だと思う。
*大久保利通は日本のために生きて、日本のために死んでいったのですごいと思いました。




2015.11.14(Sat) | 明治維新 | cm(0) |

明治維新の導入

 明治維新は以下の4人を取り上げる。
 ①大久保利通・・・富国強兵と殖産興業
 ②伊藤博文 ・・・明治憲法制定
 ③板垣退助 ・・・自由民権運動
 ④福沢諭吉 ・・・学問のすすめ

 しかし、この4人を取り上げる前に言わばオリエンテーションとして次のような授業を行う。

(1)明治維新
 まず、次の2点を確認する。
*江戸幕府が滅びた。そして新しい明治新政府ができた。この時代を「明治維新」」と呼ぶ。
*明治時代の生活と文化が大きく変化した。これを「文明開化」と呼ぶ。
 そして、授業のタイトルに「明治維新と文明開化」と板書する。この時に次のようにガイドする。
「タイトルの明治維新も文明開化も四字熟語ですね。これから明治の学習を進める中でこうした大事なキーワードが四字熟語でたくさんでてきます」

(2)明治時代になって日本の生活に変化が起こった
 以下の写真を掲示して気づいたことをノートに書かせて発表させる。

文明開化・日本橋付近

 
意見の発表の後に、明治時代の様子をいろいろな画像で見せる。



(3)明治新政府の大方針を知る
「新しい明治時代の様子がつかめましたね。では、今度は明治新政府の政治の方針を確認しましょう」
 教科書に掲載されている「五か条の御誓文」を読み、ポイントを解説する。そして、5つのキーワードを板書する。
 ①話し合う ②強い国にする ③願いをかなえる ④よくないしきたりをやめる ⑤世界と天皇中心 

(4)教科書の関連個所を読み、ワークシートに重要用語を書き込む
 教科書を読みながら「富国強兵」「殖産興業」「四民平等」「廃藩置県」など四字熟語が出てきたらチェックさせる。

2015.11.13(Fri) | 明治維新 | cm(0) |

勝海舟

 幕末の5時間目。
 取りあげる人物は4人目となる。勝海舟である。
 ここまで学習してきた人物をおさらいし、出身藩や現在の何県かを確認する。そして、今日は勝海舟を取りあげることを伝える。
 なお、前回まで学習した3人とは違い、勝海舟は幕府側の人間であることを話す。

<ワークシート・第1ページ>
★左は荒れる海を進む帆船です。右は勝海舟の写真です。この2つにはどんな 関係があると思いますか?あなたの予想を書いてみましょう。

咸臨丸

勝海舟肖像

子どもの予想はおおよそ3つである。
「勝海舟がこの船を造った(設計した)」
「この船の持ち主が勝海舟か?」
「勝海舟がこの船でどこか外国へ行った」
他には
「嵐の中で難破して命を落としたのでは?」
といった予想もあった。

<ワークシート・第2ページ>
★咸臨丸と勝海舟

①オランダ語の辞書を丸写しして辞書を2冊作った
勝海舟は貧乏な武士の家に生まれました。名は麟太郎と言います。麟太郎はとくに剣術と蘭学を熱心に学びました。
 蘭学はオランダ語で書かれた本を読めるようにしなくてはなりません。外国語を学ぶためには辞書が必要ですが、60両という高価なものだったので買うことができません。そこで、麟太郎は辞書を持っている医者から借りて、1年かけて58巻もある辞書を手で写しました。しかも、2冊分です。1冊は自分のものにして、もう1冊を売って貸出料の10両を払ったのです。

②幕府に意見を出して注目された
大人になった勝海舟は幕府の役人となりました。ペリーが日本へやってきて開港をせまったときに勝は幕府へ意見書を出しました。それは次のようなものでした。
*身分のこだわらずにすぐれた人物を幕府の役人にすること
*日本を守るために軍艦を作ること
*軍艦を作るための費用は開国して貿易によってまかなうこと
*日本を守るための技術研究所や軍隊の訓練をするための学校を作ること
これらの意見は採用され、実現していきました。

③咸臨丸でアメリカへ
幕府もこれからの日本には海軍が必要だと考えるようになりました。そこで、長崎に海軍伝習所という学校を作りました。実習で使う本物の蒸気船はオランダが寄付してくれました。また、海軍について教えてくれる先生もオランダから招きました。
 勝はここで航海術・造船学・砲術・測量学・算術・機関学などを徹底的に学びました。その後、幕府の命令で咸臨丸に船長として乗り込んでアメリカへ渡り、西洋の科学技術や社会の仕組みを学びました。日本人による初めての太平洋横断です。

④西郷隆盛を説得した
1864年、幕府は薩摩藩をはじめとしていくつかの藩に長州藩への攻撃を命令しました。幕府と長州藩では国づくりの方向に意見のちがいがあり、長州藩は常に幕府を批判していたからです。薩摩藩は幕府とは意見のちがいはあるものの、過激な行動をとりがちな長州藩に対して批判的だったのです。
 長州藩の攻撃をまかされた薩摩の西郷隆盛は「長州藩を壊滅させて京都から遠い、東北地方へ国替えさせるのがいい」と考えていました。ある日、西郷は幕府側の責任者である勝海舟との話し合いでこの意見を述べました。すると、勝はこう言いました。「いまの幕府には新しい日本を作る力はない。私は早くつぶれた方がいいと思っている。そんなときに、新しい日本のためにがんばっている日本人同士が殺し合っている場合だろうか?」
 これ聞いた西郷は驚きました。幕府側の責任者が「幕府はもうだめだ」と言うのです。ものごとを広くとらえ、日本全体のことを考えている勝海舟の考え方に西郷は感動しました。自分がまちがっていたことに気づいた西郷は、長州藩と話し合い、幕府に謝罪させることで実際に戦うことを避けることに成功しました。


<ワークシート・第3ページ>
★江戸総攻撃の情報が伝わった~あなたが勝海舟ならどう考える?

 薩長同盟が成立すると「幕府から離れて自立しよう」「そして藩同士が協力して新しい政府を作ろう」と考える武士が増えはじめました。
 なぜなら、いまの幕府ではあまりにも策がなく日本の危機を乗り越えることはできないと感じていたからです。しかし、いまの朝廷にも政治を進める能力はないのです。

江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜は土佐藩などからの忠告を受けて、政権を朝廷へ返すことを決めました。<大政奉還>です。さらに<王政復古の大号令>が出されて新しい政府の誕生が宣言されたのです。
 しかし、江戸幕府の中にはこれに従わない勢力もありました。また、東北地方を中心に「あくまでも徳川家中心に新しい政府を作るべきだ」という藩がまだたくさん残っていました。
 また、西洋の国々は自分の国から軍艦を呼び寄せて、自分の国の兵士を日本に集めていると言います。
 そんなとき、京都の鳥羽・伏見で新政府軍と旧幕府軍の間で戦いが起こりました。そこで新政府は薩摩藩の西郷隆盛をリーダーにした新政府軍を江戸へ送り、江戸総攻撃を計画したのです。

江戸にいた勝海舟は悩んでいました。

「たしかに役に立たない幕府はなくなってしまった方がよい。しかし、日本の中心地である江戸が戦場になったら、そして日本人同士が真っ二つに分かれて戦ったら、新しい日本にとって困ることにはならないか・・・」


◇あなたが勝海舟ならどんなことを心配しますか?いろいろなことが考えられ ます。あなたの考えを書いて下さい。あとで話し合ってみましょう。


子どもたちからは大別して3つの意見が出た。
①巻き添えになって多くの民が死ぬ
②多くの人材を失ったり、町の復興に多くの時間がかかる
③日本が2つになることで勢力が弱まり、西洋につけいる隙を与える。そして植民地にされる。

「日本という国が日本ではなくなる。二つに分かれてしまい、別々の国になってしまう」
「一つにならなければいけないはずなの日本が中心地である江戸を戦場にして戦争をしたら、関係がくずれてしまう。そして、戦争をすることで日本は弱くなってしまう」
「お互いに勢力が弱まり、西洋の植民地になってしまう。攻撃されても対等に戦えなくなってしまう。西洋の植民地になってしまったら、また悪いことが起きる」
「多くの国民が亡くなってしまう。それに江戸が焼け野原になって住めなくなる。そのすきに西洋の国につぶされてしまう」
「もし、江戸が戦場になり、江戸が火の海になってしまうと、外国に攻めるすきを与えることになってしまう。さらに、江戸にはたくさんの人が住んでいるのだから攻撃されると罪のない江戸住民まで逃げることになる」
「戦うとお互いに日本の力を弱めあうことになって、そこを外国人につけ込まれて植民地になってしまうかも」
「日本の大都市・江戸が戦場になったら、西洋との貿易もできなくなるかもしれない。日本が二つになったら江戸もボロボロになってしまう。江戸に住む西洋人も巻き添えで死んだら、西洋から攻めてくるかもしれない」

 内戦→日本が弱まる→西洋による植民地化、という論理を立てている児童は2クラスともに約3分の1である。これは興味深い結果だ。

<ワークシート・第4ページ>
★実現した江戸無血開城

勝海舟はこう考えていたのではないでしょうか。
「この江戸には大勢の民が住んでいる。江戸が戦場になれば民の命と住まいが危険になる。日本の中心地・江戸をいくさの火で壊滅させてはならない。それに、日本人同士が戦う内戦となれば、互いに傷つき力が弱まるだろう。日本をインドや清国のように植民地にしようとねらっている西洋の国々につけいるスキを与えることになってしまう」

 もともと幕府の役人だった勝は旧幕府の代表として新政府軍と話し合うことになりました。新政府軍の代表は西郷隆盛です。
 新政府軍はすでに江戸の一歩手前にあるいまの川崎付近まで軍隊を進めていました。話し合いに失敗は許されません。
 勝の考えは西郷もよくわかっていたのでしょう。会談は成功し、江戸城は血を流すことなく新政府軍に明け渡されました。こうして「江戸無血開城」が実現したのです。新しい日本にとって最悪の事態は回避されました。

 しかし、戦いがまったく行われなかったわけではありません。江戸では小規模ではありましたが戦闘が行われ、東北でも新政府軍と旧幕府側の戦いが行われました。
 これを<戊辰戦争>と言います。
 どちらも新政府軍が圧勝し、旧幕府勢力は完全になくなりました。


 授業後の子どもの感想文を見てみよう。
*今日の授業では勝海舟という人はとてもすばらしい人だと知りました。勝さんが新政府軍と旧幕府軍の戦いを止めたのはすばらしいことで、日本を救ったと言ってもまちがいではないと思いました。
*勝海舟は幕府の役人だからといって幕府側ではなく、今後の日本のために公平な立場で話し合ったのがすごいな、と思いました。
*勝海舟は幕府の役人なのに、わざわざ新政府のために江戸城を明け渡したのがすごいと思いました。勝海舟の行動こそが、江戸時代以降の日本の国づくり役立ったのだと思いました。
*昔の日本は西洋の国々に植民地にされないようにするために知恵を出し合っていたんだなと思いました。
*勝海舟のおかげで、日本の未来が守れたんですね。もし、勝がいなかったら、今、日本は日本でなかったかもしれないですね。

2015.11.06(Fri) | 幕末 | cm(0) |