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 「本物」の歴史の授業を創るための考え方やアイデアを紹介します。明日を担う賢い日本人を育てるための歴史教育ブログです。

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歴史教育ノ道標54悪代官史観

【歴史教育ノ道標54悪代官史観】
 山本博文さんはテレビ時代劇の影響で未だに「悪代官史観」が信じられていることに警鐘を鳴らしています。そして、江戸時代は代官が威張り、庶民がじっと我慢しているという固定観念を覆す史料をいくつか紹介してくれています。
 山本さんの著書『日曜日の歴史学』(新潮文庫)の中から二つのエピソードをご紹介しましょう。
 一つ目は来日した外国人ヘルマン・マローンの証言です。
 当時、幕府は長崎に病院を建てようとしていて、それに適した土地を十二分な金額で買収しようとしました。ところがそこに住む農夫は「この土地は絶対に譲らない」と宣言したのです。そこで幕府はこの土地をあきらめて病院建築に不向きな別の場所を買い取ったというのです。当時の幕府なら強制収用することなど簡単な気がしますが、強引なことは一切しなかったという意外な展開です。
「幕府から役人として長崎に派遣される長崎奉行は、長崎の住民から土地を取り上げる権限がなかったわけではありません。しかし、あくまで納得づくでそれを行おうとし、相手の納得がなければあっさりとあきらめています」(p75)
二つ目は大井川の橋についてです。
 幕府が西国大名の謀反を警戒して大井川に橋を架けらなかったという話は有名ですが、それは初期の話で中期以降は不便なので橋を架けようとしたことがあったそうです。しかし、この幕府の計画に猛反対した人たちがいます。大井川の両岸・島田と金谷の住民です。なぜなら、橋ができたら川越人足たち、旅籠、料理屋、仕出し屋などの宿場町全体が仕事を失います。つまり、幕府といえども既得権益を守らざるえなかったという話です。
 なんだか現代とちっとも変わらない話です。正直言って江戸幕府がここまで民に弱腰とは驚きです。
民が暗いつらいと感じる江戸時代から民が明るい元気な江戸時代へ―さまざまな分野で江戸時代の見方を変える必要がありそうです。
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2019.02.28(Thu) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標53愛情のコップ

【歴史教育ノ道標53愛情のコップ】
教育の世界には「愛情のコップ」と呼ばれる話があります。それをご紹介したいと思います。
 子どもたちはみな、めいめいが「愛情のコップ」を持っています。
どの子もこのコップに一杯の愛情を入れて欲しいと思っています。家庭で十分な愛情を受けていればコップは一杯になっています。この子は何も問題はありません。学校へ行ってもごくふつうに勉強し、給食を食べ、休み時間に遊んで家庭へ帰ってきます。
 しかし、まれにこの「愛情コップ」がほんの少ししか入っていない状態で学校へ来る子がいます。なんらかの事情で家庭での愛情が受けられずにいる子たちです。しかし、この子たちだってコップを一杯にしたいのです。そうすると、先生に対しての「愛情獲得行動」が始まり、いわゆる「問題行動」に発展する場合もあります。家庭での愛情が足りない分を先生からの愛情で埋めようとするのです(なお「問題行動」は愛情の問題だけではなくさまざまな要素がからむ場合もあります)。
この「愛情のコップ」の話は、そのまま歴史教育にもつながります。
 自国に対する愛情がある人は何も問題はありません。その愛情はどこから受けるのかと言えば、それは歴史ではないかと思います。上記の子どもの例で言うところの家庭にあたります。家庭にはその家族の歴史があります。その子が生まれ、育ったプロセスがそのままその子の家庭を形作ります。ですから、日本という国を家庭と考えれば日本の歴史から愛情は注がれるはずなのです。自国への愛情を基盤にしてさらに自国の欠点や足りないところを提起するのであればそれは大事なことです。「愛情のコップ」は十分に満たされていてさらに中身を充実させることにつながるのですから。
 しかし、自国への愛情が足りない人がいます。日本の歴史から愛情を十分にもらえなかったのでしょうか?そういう人たちは往々にして「自分の国は悪いことをした」「自分の国はよくない国だ」と言いたがります。これは「愛情獲得行動」のようなものと言ってもいいのではないでしょうか。そこには、自分をインテリだと見て欲しい、特定の国の人から称賛されたいという意識が見え隠れしているように感じます。

2019.02.24(Sun) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標52サイコヒストリー②

【歴史教育ノ道標52サイコヒストリー②】
前回は「サイコヒストリー」の分野におけるエリクソンの発言から歴史人物教材を選択するときの2つの視点の話を書きました。その一つはその人物の葛藤状態のエピソード、もう一つはその人物が関わる歴史上の重要場面です。この2つが一致したところがその人物を教えるのに最も適切な教材になります。
 これについては西平直さんがエリクソンの『ガンディの真理』の分析を通して次のように述べています。
西平さんはエリクソンの理論枠組みは「生育史の論理と歴史の論理とを同時に見据えながら、その複雑な影響を描き出そうとする点は一貫している」として
*中年ガンディの危機と祖国インドの独立という課題
*断食という方法をめぐる彼個人にとっての意味と反英闘争での意味
*非暴力の実践がガンディ個人の真理探究にとっての意味と人類の倫理にとっての意味
という3つの例を上げてこう言っています。
「こうした話の進め方に目をとめてみるならば、その理論枠組みが最も鮮明になってくるのは、〈歴史上の指導者(政策決定者・改革者)における歴史的な決断の時〉であることは間違いない。その決断は、そこから歴史を動かす決断であるとともに、その個人の人生を決定する決断であり、自分の過去と歴史の過去を結びつけ、そこから自分の未来と社会の未来とを同時に創り出そうとする決断である。(中略)歴史的指導者における歴史的決断とは、そうした生育史の論理と歴史の論理とが、最も直接的に触れ合う一点、最も凝縮される地点ということなのである。」(西平直『エリクソンの人間学』東京大学出版会 p122~123)
歴史人物学習ではこうした「最も凝縮された地点」を見つけてその場面を教材にすることが求められることになるということになります。それは単に歴史事象から歴史的意義を学ぶだけでなく、決断する人物の姿を通して人間としての本質を学ぶこともできることになると言えるでしょう。
さらにこうして選択された人物エピソードをどう見せればいいのか、についてもエリクソンはそのヒントを与えてくれています。エリクソンは「偉大な人間の全貌を描きたいと思うならば」として「三つの可能性」を上げています。(p48~49)
①多少ぼやけるとしても、その全体の輪郭が姿を現してくる地点にまで引き下がってみること。
②徐々に偉大な人物に近づいてゆき、その生涯のいくつかの部分に焦点を合わせ、その一部を全体像として拡大して見ること。
③逆にその全体像を一部分のように小さく見ること。
この3つを私なりに解釈すれば①はその人物がどのように生を受け、どのような教育を受けてきたか、そしてその生涯をどう閉じたか―その人物の半生です。②はまさしくその人物の葛藤状態+歴史上の重要場面という決定的状況。そして③は①の半生が②の決定的な状況につながっていることです。
つまり、子どもたちに与える歴史人物教材の中にはその人物の半生と決定的エピソードを揃えることが基本となると言えそうです。

2019.02.22(Fri) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標51サイコヒストリー①

【歴史教育ノ道標51サイコヒストリー①】
 エリクソンはアメリカの発達心理学者・精神分析家です。とくに「アイデンティティ」の概念を広めたことで知られています。
 このエリクソンの業績の一つに「サイコヒストリー」という分野があります。この分野におけるエリクソンの発言の中には歴史教育に関わる重要な知見が見られます。
 エリクソンは、この分野への臨床心理学者の参加について次のように述べています。
「しかし、私たち臨床家は最近になって、症例史を歴史から切り離してはならないことを学んだ。そして同様に、歴史家たちも、歴史的事件の論理を、事件の中で生じている人生史(ライフヒストリー)の論理から切り離すならば、歴史の生きた問題をたくさん見捨ててしまうことを学んでいるように思われる。」(E・H・エリクソン『青年ルター1』みすず書房 p15)
個人の症例はその時代の歴史的事件と無関係ではないのと同じように、各歴史的事件をその人物の人生と切り離して考えるべきではないと言うのです。
では「歴史の生きた問題」とは何でしょうか。 
エリクソンは、人生上の危機の解決と歴史上の危機の解決の2つが一致したときこそ「歴史的「偉大さ」」が現れると言っています。
その一つは、臨床研究者の視点から見た「人間の本性を研究するのに最もふさわしい」場面としての「葛藤状態」です。
 もう一つは歴史研究者の視点から見た「並はずれた人間たちが自己中心的な策略を企て、カリスマ渇望を刺激することによって、伝記(あるいは自伝)」となる状況です。
 歴史学習の内容はその歴史的意義によって決められます。そして、その内容を教えるときに児童・生徒の前に示されるな絵、写真、グラフ、お話などが教材と呼ばれるものです。教師はある教育内容に対してどんな教材を用意するのが適切だろうか?と考えます。
 このときにエリクソンが提示したこの2つの視点=「葛藤状態」と「伝記となる状況」が参考になります。どちらも人間に焦点を当てての発言ですから、これは歴史人物教材を選択するときに役立ちます。(p16)
 結論を言えば、上記の2つの視点―その人物が葛藤状態と歴史上の重要場面が一致したところがその人物の歴史的偉大さを教えるのに最もふさわしいものになるということになるでしょう。

2019.02.21(Thu) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標50戦争をどう教えるか③

【歴史教育ノ道標50戦争をどう教えるか③】
 中学1年のときに映画『大脱走』を見ました。
 ドイツ軍の捕虜収容所から連合軍捕虜が集団で脱走するアクション巨編です。それ以来、私はアメリカ空軍大尉ヒルツ役のS・マックイーンの大ファンなのです。
 さて、大人になってDVDを買って繰り返し見ているうちに中学生の時の疑問が一つまた一つと解けていきました。
 その中の2つの疑問から戦争を考えてみたいと思います。
中学生時代の疑問その1―なぜ同じドイツなのに着ている服のデザインが違うのか? 大人になってドイツ軍(収容所長)とヒトラー親衛隊と秘密警察ゲシュタポはそれぞれみんな違うことを知りました。ちなみに映画ではドイツ空軍の所長は悪い人としては描かれていません。つまり、軍人は悪者ではないのです。
中学生時代の疑問その2―なぜ、ヒルツは階級章を見せるのか?
 脱走したヒルツ大尉はドイツ軍のバイクを盗み、ついに中立国・スイスとの国境にたどり着きますが、鉄条網が張られた国境を目の前にしてドイツ軍に包囲され銃撃されます。転倒したヒルツ大尉は命は無事でしたが捕まります。
 さてこの時にヒルツ大尉はバイクごと突っ込んだ鉄条網に体を絡ませながら両手を上げて降参するのですが、同時にセーターの襟首裏に隠して付けていたアメリカ空軍の階級章をめくるようにして見せるのです。このシーンの意味が当時はまったくわかりませんでしたが、その後、大人になってやっと意味がわかったのです。
ヒルツは階級章を見せることで「私は脱走してきた軍人です」とアピールしているのです。これは何を意味するかといえば「私は民間人に化けたスパイではありません」と主張していることになります。スパイは大罪なのです。なお、他の脱走兵のほとんどはゲシュタポに捕まりスパイとして射殺されます。ヒルツ大尉のみが階級章を見せることで、しかも捕まった相手がゲシュタポではなくドイツ軍であったために助かります。
映画『大脱走』を見ることで、戦争を教えるときに軍人をどう扱うべきなのか?を考える小さなヒントが見つかります。

2019.02.19(Tue) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育の道標49戦争をどう教えるか②

【歴史教育の道標49戦争をどう教えるか②】
 88歳になる私の父親は長く航空会社に勤務して定年を迎えました。ですから海外出張も多く、様々な国の方とお話しする機会があったようです。その話の中で興味深いものがあります。
 ひとつめはインドです。向こうで一緒に仕事をした方がこう話しかけてきたそうです。「日本人か?ならばチャンドラ・ボースを知ってるか?」
 チャンドラ・ボースは戦時中、イギリス軍に対して日本軍と一緒に戦ったインド独立義勇軍を組織したリーダーです。
 二つめはドイツです。タクシーの運転手に言われました。
「日本人だって?おい!今度やるときはイタリア抜きで一緒に組もうぜ」
 これも戦時中に日独伊で同盟を組んだときのことを言っているわけです。
 どちらも1950年代後半のことです。終戦から十年ほどしか経っていません。共通しているのは戦争を通じてインド人もドイツ人も日本を仲間だと思っていることです。
 では最後に現代のアフガニスタン人の日本評です。
「そういえば、日本とアフガニスタンの独立記念日が同じであるという話を現地の人々がよくしていた。アフガニスタンは1919年にイギリス支配を脱し、8月19日に独立を宣言した。何を根拠に独立記念日が日本と同じだというのかは不明だが、日本はアフガニスタンに侵攻したイギリス、ロシア、アメリカと戦った国という点で、アフガニスタン人から評価されている」(宮田律『イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか』新潮新書p51~52)
 なんと戦争をしたことで高く評価されているのです。
 おそらくアフガニスタンの人々は欧米の大国に戦いを挑んだ日本に対して尊敬の念を持っているのでしょう。これも戦争の一つの見方です。
 私たち教師自身が戦争に対する硬直したものの見方を変えなければなりません。

2019.02.18(Mon) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標48戦争をどう教えるか①

【歴史教育ノ道標48戦争をどう教えるか①】
 一般的に戦争の学習と言えば「悪い」「よくないもの」「残酷」「悲惨」と教えることが常識だと考えられています。
 確かに戦争の中には他国が理不尽に攻め込んでくる場合や国際条約や国際法を無視したものもあります。戦闘に参加する兵士はもちろん、一般市民が巻き添えをくうこともあります。ですからそこには「悪い」こともあるし「よくないもの」であることもあるし「残酷」「悲惨」なことも当然起こります。
 しかし、学習がこれだけで終わったなら戦争に対して思考停止状態を作るだけで終わってしまいます。それではほとんど意味がありません。私たちの責務は未来の主権者たる子どもたちに悲惨な戦争をしないですむ力を付けることにあるはずです。
 感情的・感傷的に「いやだ」「嫌いだ」と言っているだけでは戦争は回避できません。まずは第一に戦争というものに正面から向き合って、その本質を理解することが求められます。
 塩野七生さんは戦争の本質について以下のように述べています。
「古代ギリシアもローマも、本質はあくまでも、市民が主権者である国家であった。主権者であるからには、権利が認められる一方で義務も課される。権利は、選挙を通じての国政への参加であり、義務は武器をもっての祖国の防衛だった」(『日本人へ リーダー篇』文春新書p13)
「戦争は、血の流れる政治であり、外交は、血の流れない戦争である」(同p29)
 つまり、もともと戦争は国民の義務であること、そして戦争は政治・外交の一形態であること(ただし血が流れる)―この2つが戦争の本質を教えるときの基本的な見方・考え方でしょう。
まずは教える側がこの認識をもつことが求められます。

2019.02.17(Sun) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標47歴史は知的構造物

【歴史教育ノ道標47歴史は知的構造物】
 以前、肖像画の話や塩野七生さんの話から「歴史は想像力こそが重要である」と書きました。
 これについて西尾幹二さんが「歴史は知的構造物」というテーマでわかりやすく解説してくれています(『歴史と科学 日本史を歩く』PHP新書p198)。
以下、西尾さんの言葉を見ていきます。
「歴史というと、人は「事実」を期待するであろう。しかし、事実とは、そもいったい何か?ゲーテに、「過去におけるいっさいの出来事は象徴である」との名言がある。われわれは過去について、純粋事実そのものを完璧に、客観的に把握することはできない」
 歴史は限定された史料でしか知ることはできません。
史料は大事ですが、それだけで歴史を語ることはできません。もちろん、歴史学が学問として史料を重視するのはわかりますが。
では、客観的に把握できないならば歴史的事実とは何なのでしょう?
「歴史はどこまでも、現代に生きるわれわれが造る知的構造物であり、書き留められた言語世界が「歴史的事実」なのである」
西尾さんはきっぱりと言います。まずは言葉が歴史的事実です。
「われわれは、言葉に限らず、豊富かつ多様な材料をかき集め、精査し、それを基に想像を広げながら歴史を再構築していくほかない。また、そうする権利を有しているのである」
 言葉だけでなく遺物や言い伝えなども歴史再構築の材料になります。
 この「権利を有している」のは大人だけではありません。子どもも持っています。子どもは大人ほどに材料を集めることはできないかもしれませんが「想像を広げる」力は大人以上のものがあります。知的構造物を作り上げる面白さ、自分の手で歴史を再構築する楽しさを教えるのが歴史教育の使命でしょう。
西尾さんの言う「歴史の再構築」という言葉に歴史教育の重要な使命があるように感じます。過去をただなぞるだけの学習がいかにつまらないか?は無味乾燥な用語や年号の暗記で嫌というほど体験してきているはずです。

2019.02.16(Sat) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標46三島由紀夫と歴史教育②

【歴史教育ノ道標46三島由紀夫と歴史教育②】
 三島由紀夫・東大全共闘『美と共同体と東大全共闘』角川文庫 平成12年初版・平成18年再版)における三島由紀夫の発言を続けて追ってみます。
 前回ふれた天皇の問題と関連して「民衆の底辺」ということが討論に出てきます。以下の三島の意見は日本の歴史というものの本質を鋭く言い当てています。
「民衆の底辺というのは、日本人の持続したメンタリティということで、時間の問題をぼくはさっきからたびたび言っているわけだ。」
三島は、時間の問題=歴史の問題であり、日本は優れて歴史性の高い民族で、長い時間を経て自分の国を作り上げてきた。なぜ、それができたかと言えばそこに古代より連綿と続く天皇の存在があったからだ、と言います。そして天皇という存在そのものに日本の文化の源流があり、私たち日本人のメンタリティはこの2000年以上の時間的持続の中から生まれている、というのが三島の主張です。(p66)
日本という国は長い長い時間の継続を持っている、ということ自体が歴史教育の大事な指導事項です。そして、なぜこれほどまでに長い時間、一貫した日本という国柄を継続できているのかと言えばそれは天皇の存在によります。しかも、天皇の存在そのものが日本文化そのものであり日本人のメンタリティであるとも言えるのです。
三島の発言を読むと、わが国の歴史教育の最重要指導事項は「天皇」であることがわかります。
そして、実際に天皇が日本を成立させ、さらに日本の文化の源流も天皇の存在によるということであれば次の三島の発言もなるほどと思います。
三島は、天皇は一つの人間の中で、人間天皇(統治する天皇・権力形態としての天皇・儒教的原理に縛られている天皇)と詩的・神話的天皇(神的な天皇・神話や伝説の中に生きる天皇)の二重(ダブルスタンダード)構造をもって存在していると言っています。(p90~99)
以前、朝会で仁徳天皇のお話をした校長先生を「歴史として神話を教えるのは許されない」と批判したマスコミがいましたが、いかにナンセンスな批判であるかということがわかります。歴史教育の中で人間天皇と詩的・神話的天皇の両者を教えるのはごく自然なことであり、常識です。

2019.02.15(Fri) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標45三島由紀夫と歴史教育①

【歴史教育ノ道標45三島由紀夫と歴史教育①】
 今から50年前の1969年に三島由紀夫と東大全共闘が東大教養学部教室で行った討論記録があります(三島由紀夫・東大全共闘『美と共同体と東大全共闘』角川文庫 平成12年初版・平成18年再版)
大した議論ではありません。そもそも東大の学生は何を言いたいのかさっぱりわかりません。しかし、その中に「天皇」についての三島の重要な発言があります。
 三島は天皇親政と直接民主主義は政治概念上の区別はない、と言います。この2つの共通点は、国民と国家意思が「中間的な権力構造の媒介物」を経ずに直結している点にあると言うのです。そして、これは「夢」なのだとも言っています。とても不思議に感じる考えです。ということは、古代日本の天皇中心の政治形態とギリシアの政治形態は理想の姿なのだということになるのでしょうか。(p64)
また、戦後に言われた「朕はたらふく食っているぞ。御名御璽」という言葉は「非常に下劣な文章である」と三島は共産党や民青を批判してます。そして、以下の重要な指摘をしているのです。
「ところが、天皇というものはそれほど堂々たるブルジョアではないんだ。もし天皇がたらふく喰っているような堂々たるブルジョアであったら、革命というものはもっと容易であった。それでないからこそ、革命はむずかしいんじゃないか。」(p65)
その危険は何度もあったのに、とうとう日本では左翼革命は起きませんでした。日本が共産主義化できなかった理由は天皇の存在が大きいと言えます。ほぼ理想ともいえる天皇というリーダーの存在とその天皇と国民・民衆の間の驚くほどの平等な関係(この連載の第1回で書きました)が邪悪な共産主義思想をなんとか水際で食い止めていたのではないでしょうか。
 やはり、天皇と国民・民衆の関係を抜きにして日本の歴史を教えることはできません。天皇と国民・民衆の関係という観点でいえば仁徳天皇、聖武天皇、昭和天皇の3人は必須の学習内容です。

2019.02.13(Wed) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |