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 「本物」の歴史の授業を創るための考え方やアイデアを紹介します。明日を担う賢い日本人を育てるための歴史教育ブログです。

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歴史教育ノ道標95問題解決学習②

【歴史教育ノ道標95問題解決学習②】
日本社会科教育学会編『新版社会科教育事典』(ぎょうせいp220~221)の検討の続きです。
 
②問題とは?
 「「問題」とは、課題を達成する過程において子どもたちが直面する障害である」と書かれています。さて、ここで前回の「必要性」「具体的場面」に続いて「問題」という第3の接着剤が出てきました。3つの接着剤をまとめてみます。

<課題達成の過程における「具体的場面」で「問題」という障害に直面し、解決の「必要性」が生まれる>

これを私の歴史人物学習の言葉で置き換えてみます。

<わが国の理解と愛情を深めるという課題達成の過程において適切な「具体的場面」の中でその人物になってみることで「問題」という障害に直面し、その人物=自分自身にとって解決の「必要性」が生まれる>

 ここで大事なのは「障害に直面」しなければならないという指摘です。現代に生きる子どもたちが過去の歴史の中で「障害に直面」するためには疑似的にでも過去に行くしかありません。遠く離れた現代からいくら叫ぼうとそれは「障害に直面」しているとは言えません。ですから疑似体験=当時の人物に「なってみる」シミュレーションが必要なのです。
 
問題解決学習が『新版社会科教育事典』に書かれているように「必要性」「具体的場面」「問題(直面する障害)」の3つの要素で成立しているとすれば、私の提唱する歴史人物学習も「問題解決学習」の一つの形態であると言うことができます。

2019.06.08(Sat) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標94問題解決学習①

【歴史教育ノ道標94問題解決学習①】
 前回まで10回に渡ってアメリカで社会科が誕生するまでの経過を追ってきました。
 ご承知の通り、わが国では歴史は社会科の枠内で教えられています。すると、以下のような質問が寄せられることがあります。
 
「授業で追求すべき学習問題というのは子どもたちから生まれるべきだ」「子どもからの生まれた疑問を学習問題とすることで主体的に学習に参加するようになる」「先生が問題を設定するのでは押しつけにならないか」

 これはいわゆる「問題解決学習」というスタイルの学習を念頭に置いた質問です。確かにもっともなご意見です。そこで、しばらくは「問題解決学習」について考えてみたいと思います。ここからは教育関係の各種事典に記載されている「問題解決学習」項目についての記述を検討するという方法を取っていきます。
 1冊目は日本社会科教育学会編『新版社会科教育事典』(ぎょうせいp220~221執筆者:藤井千春)からです。

①問題解決学習の目的
 冒頭で「課題達成の過程において、そのための具体的な必要性から知識や技能を習得させるという学習活動の指導方法」と定義されています。子どもが「必要性」を感じながら学習することが大事だということを確認したいと思います。なお「必要性」の度合いはレベル1からレベル100まで様々でしょう。すべて100レベルで学習が進むとは思えません。1もあるし50もあるに決まっています(ただし0ではダメだということです)。

 私の歴史人物学習も「必要性」を大事にしています。ですから課題はWhy重視です。「なぜ?」と問われなければ「必要性」は語れないからです。Howでは事実をなぞるだけになりがちです。つまり「必要性」は子どもから出てくるかどうか?が決定的に重要なのではなく(子どもから出てきた方がよりベターではありますが)、教える側がどう問うのか?の方が決定的に重要だということになると思います。

 冒頭に続いて「課題達成の過程での具体的な場面でその知識や技能を使用するように、学習活動を導く」と書かれています。「具体的場面」という指摘が重要です。私の歴史人物学習の言葉で言い換えるなら「エピソード」です。

 「必要性」(問い方)と「具体的場面」(エピソード)は密接な関係にあります。
 課題達成と知識・技能の習得を結び付けているのは第1の接着剤「必要性」(問い方)でした。同じく課題達成と知識・技能の使用を結び付けているのは第2の接着剤「具体的場面」(エピソード)です。「必要性」(問い方)と「具体的場面」(エピソード)は課題達成と知識・技能の2つを結び付ける同じ接着剤の役目をしていると言えます。

2019.06.08(Sat) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標93社会科歴史⑩

【歴史教育ノ道標93社会科歴史⑩】
 森分孝治『アメリカ社会科教育成立史研究』(風間書房)を読み進める中、前回は斎藤武夫先生の質問からマクマリーの「課題解決法」について回答しました。ちょっと気になるのでマクマリーについてネットで調べました。

 有効な情報はヒットしませんでしたが、慶応大の教育学者・藤本和久氏がマクマリーについての論文を公開していました。そのうちの一つを読みましたのでご紹介します(なお、ここに紹介するC・A・マクマリーと森分氏の文献に出てくるマクマリーは、活躍している年代も氏名(英字スペル綴り)も同じなので、同一人物だと思いますがもし違っていたらお詫びします)。

 論文は『20世紀初頭のプロジェクト論カリキュラムの開発とその普及―C・A・マクマリーによるタイプ・スタディの普及を手がかりに―』という大変難しそうなタイトルが付いています。 読んでわかったことを要約的に紹介します。

①1880~90年代にマクマリーはアメリカにヘルバルト理論を普及させ、その影響で米国ヘルバルト協会ができた(ちなみにですが現代ではヘルバルト理論というのは古臭い時代遅れの理論ということになっています。当時もそうなりかかっていたようですが、マクマリーはそういう状況に抗したのでしょうか?)。

②マクマリーは「タイプ・スタディ」という単元論を提唱しました。この「タイプ・スタディ」というのは「他の教育内容にも応用が効く典型性(タイプ)を中心軸として物語化された大単元であり、多くは読み物教材や教師用資料として副読本化されている」(p17)と説明されています。でも、残念ながらこれだけではよくわかりません。

③「タイプ・スタディ」は学校現場に広く普及したようです。とくに農村部や僻地において支持を得ていました。

④以下が歴史教育との関係を示唆している唯一の記述です。
「しかも、彼が開発したタイプ・スタディ、とりわけ地理や歴史分野にもとづいてかかわっていたことが読み取れる。マクマリーのストーリーが多くの子どもにより印象深く語られており、タイプ・スタディの眼目である「物語」は子どもたちの興味・関心をおおいにひいたようだ。」(p20)
 やはり、歴史教育とは関係が深いようです。しかし「タイプ・スタディ」と呼ばれているものが「課題解決法」と名付けられているものと同じなのかはわかりません。

2019.06.07(Fri) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標92社会科歴史⑨

【歴史教育ノ道標92社会科歴史⑨】
 ここまで森分孝治氏の著書『アメリカ社会科教育成立史研究』(風間書房)をノートしながら社会科歴史の出自を追ってきました。
 じつは連載88回で読者のお一人である斎藤武夫先生から質問をいただいています。
「マクマリーの話はぼくもこれが近いかなと思って読んでました。マクマリーの課題解決法ってどんなんですか?」というご質問です。
 マクマリーは森分氏が「文学的歴史教育論」とラベルしている考え方です。そこで、もう一度該当箇所を読み直してみました(同書p220~221)。

「物語は主人公による課題解決の連続であり、一つの題目は一つの課題となっているので、子どもに主人公の立場にたって課題解決に取り組ませるのである」
歴史を「物語」としてとらえているところが私と同じです。

「すなわち、まず、教師が問題的事態を、すなわち主人公の目的・目標とその実現を阻む主として自然条件ときに社会条件を口頭によって語った後に、主人公はこうした事態でどうすべきであるか、どうしたかを課題として提示する。子どもたちは話し合い、解決法を予測する。その後に主人公が実際にどうしたかを教師が生き生きと語り聞かせる。そしてその後に、子どもによる口頭再話に入っていく過程をとる」
驚きました。私が提唱する「なってみる」=シミュレーション型学習と全くと言っていいほど同じです。課題解決法をマクマリーが提唱したのは1903年ですから約120年前にマクマリーは私と同じ思考で同じ学習方法にたどり着いていたんです。感動です。

「子どもは、教師が提示した事実と自分達が蓄積してきている知識、特に自然環境に関する既有の知識を用いて課題解決に取り組むことによって、既有の知識、経験を修正、再組織していくとともに新しい知識を習得、同化していく」
つまり、これは課題解決するプロセスを踏むことで既習の知識を利用し、それが生きた知識へと進化していくということです。新しい学習指導要領でも重視されている進歩的な知識観です。

「また、課題解決は子どもに目的・条件と行為との因果関連を推理させ、所与の事態でとるべき行動の判断を求め、蓋然的思考力を育成することができると主張される」
 こうした当時の人物の立場に立って自己決定させる学習はその子の思考力や判断力を育てることにもつながるという主張です。

 斎藤先生の質問にお答えしようと思ってもう一度読み直したら、思わぬ発見となりました。昨年の夏に読んだときこの部分のページをコピーしていたので、自分でも気にはなっていたんだと思いますが、再読の機会をいただいて感謝しています。

2019.06.02(Sun) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |

歴史教育ノ道標91社会科歴史⑧

【歴史教育ノ道標91社会科歴史⑧】
 森分孝治『アメリカ社会科教育成立史研究』(風間書房)より。
 ここまでアメリカの歴史教育論は、ドイツ的な方法・内容・本質主義をもつ科学的歴史教育論・文学的歴史教育論からアメリカ的な機能的歴史教育論へと変化してきました。
 この機能的歴史教育論こそが社会科歴史の理念と言っていいでしょう。

社会科歴史は以下の3つの考え方で成立しています。
①歴史それ自体には意味はない
これは「過去は現在に関係づけられて初めて意味をもつことができる」という考え方です。私たちは歴史全体を把握することはできないので、現在の何らかの視点で事実を選択・解釈して再構成するしかなく、私たちが歴史に意味を与えるのだから現在の問題や状態をよりよく理解するための過去研究であるべきだという主張です。
②歴史は現在を理解するための手段である
これは、歴史は現代社会理解の手段と考えるのは上記のように歴史研究の科学的方法そのものだからという考え方に加えてこの考え方が子どもを知的に解放するのだという主張です。科学的・文学的歴史教育論は一つの立場からの解釈を押しつけることになり、それはアメリカの必要とする合理的精神や進歩・発展に取り組む意思を妨げることになると言っています。
③歴史教育の方法を子どもの必要感・興味関心におく
内容編成の基本を歴史的事実の展開(年代史的なもの)におくのではなく、社会で生活する子どもの必要・社会に対する興味関心におくべきだという主張です。よって政治史・制度史ではなく全領域を対象として特に経済(産業)と社会を中心にすべきだと言っています。

①②③はどれも間違ったことは言っていません。ただし、上記の考え方にはやや不足している大事なポイントがあると思います。

 ①について
「現在の問題や状態をよりよく理解するため」に学習するのはその通りですが、前提として現代とは違う過去のその時代の条件や当時の人々の心情・思考を踏まえて理解させなければなりません。現代人から見れば常識でも当時の人にとっては非常識ということもあります。そこを理解しないで現代人の立場や都合のみで考えさせるのでは歴史を学ぶ意味がありません。
②について
 そもそも現代に伝わる史料はある人間が書き残したものですからバイアスがかかっています。それを読んで解釈すればさらにその人のバイアスがかかります。ですから歴史はバイアスから逃れることはできません。何をどう教えようがすべてはある「解釈」をもとに学習せざる得ないのです。それがダメだというなら歴史は教えられません。歴史は指導要領にある「わが国に対する理解と愛情を深める」という目的のための手段です。上記でも「アメリカの必要とする」と言っています。「合理的精神や進歩・発展に取り組む意思」はアメリカ国民としてアメリカ国家のために必要なのです。
③について
「子どもの必要・社会に対する興味関心におくべき」はその通りです。教師が追求すべき理想です。しかし、幅広く深淵な歴史を持つ日本の歴史を興味・関心のみでカバーできると考えるのは現実的ではありません。さらに「興味関心におくべき」と言いながら「経済(産業)と社会を中心」と言うのは矛盾しています。ですから、ここはすでに無理なことを自分で暴露して「自爆」していると言えるでしょう。

2019.06.02(Sun) | 歴史教育ノ道標 | cm(0) |